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小舟は帰らず  作者: 霧雨ウルフ
蛇の牙
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初陣 後

 俺は鼻血と土で汚れた顔を拭い、隣でずっと啜り泣いているアルガンの背中を叩いて走らせ、二人で仲間たちの群れに加わった。加わろうとした。が、所在なさげにうろうろする俺たちはむしろ邪魔者のようで、仲間の一人に剣を突きつけられ追い返された。

 俺はバルビエが恐ろしくて戻るに戻れず、くそったれとしきりに悪態をつきながら、仲間たちの間から皇国兵の様子を窺う。

 どうやら相手は森から投擲で攻撃する部隊と、前に出て剣や槍で攻撃する部隊の二手がいるらしい。しかし、見たところ総数は多くなさそうだ。

 走り回って少し頭が冷えた俺は、少数による奇襲作戦だと踏んだ。

 蛇の牙を落とさない限りは、先の帝国領への進行は地理的にも兵鋲的にも厳しいため、皇国軍としてはどうしてもこの城塞を手中にしたいのだろう。ゆえにありとあらゆる作戦を駆使して砦を強襲してくるわけだ。ご苦労な話だろ?

 脳内で色々と分析しながら戦場の端をうろついている間、アルガンはずっと俺のあとをついてきていた。

 大柄な友人が側にいることに安堵し、俺はつい周囲への注意が散漫になっていた。

 ――ヒュッ、という風を切る音。

 目の前で、鮮やかな赤が閃く。

 直後、俺の顔の左側にべちゃりと生暖かい液体が降りかかる。

 心臓を鷲掴みされたような圧迫感と猛烈な吐き気に襲われ、意識がふっ飛びそうになった。

 が、俺が叫び声を上げるより先に、近くにいたアルガンが反応した。

 アルガンは、俺と、俺の向こうにある何かを見て悲鳴を上げ、背中から地面に転倒した。

「アルガンッ!!」

 俺は恐怖に包まれ、倒れたアルガンの元に駆け寄った。

 どこからか攻撃されたのかもしれない――。

 そう思い、心臓をばくばくさせながらやつの状態を確認したが、やつの体に特に負傷はなかった。

 きっと俺も動転してたんだろう。少し考えれば、アルガンは死体の山を見て吐いたくらいだし、目の前でむごいことが起きたら卒倒するかもしれないってわかりそうなもんだ。

 ハッとして辺りを振り返ると、俺とアルガンからさほど離れていない場所に、アルガンが卒倒した原因と思われる凄惨な光景が展開していた。

 俺が見つけたのは、首から上を半分以上吹き飛ばされた帝国兵の死体だ。

 勢いよく頭部を矢で貫かれ、肉片や頭の中身が散乱していた。

 あまりにもむごたらしく、うっと息が詰りそうになる。先ほど俺の顔についた液体は、こいつの血飛沫だったわけだ。

 辺りは丁度人が捌け、周辺には俺とアルガン、そして頭のない死体だけが存在していた。どうやらいつの間にか集団から離れ、格好の的になる状況に置かれていたようだ。

 恐れではなく、防衛本能が囁いた。

 俺は剣を構えてぐるりと周囲を見回し、危険の正体を探す。

 ――見つけた。

 皇国兵が、弓で俺を狙っている!

 蒼い軍服を纏う男は、森の木陰から俺たちを窺っていた。

 だが、俺に気づかれたと感づき、やつは弓筒から次の矢を引き抜こうとした。俺は、すぐに自分が置かれた状況を理解した。

 命の危機を前に、考えるより先に体が動き出す。

 俺は低く唸り声を上げ、力いっぱいに地を蹴り出した。

 決死の覚悟で走り出した俺を見た若い皇国兵は、弓を放つより先に俺に殺られると感じたらしい。

 相手は一瞬戸惑い怯えた様子を見せたが、すぐに弓を投げ捨て、腰に下げた剣帯に手を伸ばした。剣で迎え撃つつもりだろう。

 しかし、死ぬ気になった俺はいつも以上に速かった。

 俺はすさまじい勢いで敵との距離を詰め、剣を低く突き出すように構え、相手の体に真正面から突撃していく。

 無心だった。相手に返り討ちにされるかも、とか、避けられたらどうしよう、とか、そんなことを考える余裕はなかった。そのくらい必死だったんだ。

 どしんっという強烈な衝撃と、げえっという潰れた蛙のような喘ぎが、俺の体に伝わる。

 俺の剣が敵の体を貫通したときの感覚は、なんとも形容し難いものだった。

 ぐりりッ……そんな感じのスッキリしない鈍い衝撃が手から伝わり、得体の知れない不気味さに全身が総毛立ったよ。

 俺は、相手の体を木の幹に打ち付けるような形で剣を突き通していた。眼だけ動かして手元を確認すると、俺の剣は男の左の脇腹から肩甲骨の間を貫通し、背後の木の幹に突き刺さっていることがわかった。見事に急所を貫いていた。

 あまりにも一瞬の出来事で、無我の境地でやったことで、本当に己の手で成したことだとは思えない。

 しばらくそうして剣を突き立てていたが、俺はようやく現実的な感覚を取り戻し、ゆっくり辺りを見回した。

 周辺に他に敵の気配がないかを確認し、痙攣しながらごぼごぼと血を吐き出す皇国兵の体を蹴りつけて引き剥がす。ベルトに差し込んでいた果物ナイフの存在を思い出し、それを抜き出すと、敵の喉に狙いをつけてシュッと勢いよく切り裂く。

 暫くすると相手の痙攣も収まった。

 自分の手で、確実に人を葬ったことを認めた。

 率直な話、敵兵の息の根が完全に絶たれた瞬間を見届けたとき、俺はひどく安堵したよ。泣きたいほどの歓喜とじわりとした充足感が心の中に広がった。

 罪悪感よりもはるかに、「自分は生を勝ち取った、まだ生きているんだ」という喜びが大きく、俺はそんな自分を不思議にすら思った。

 殺めた相手の死体を前にしても俺は冷静で、自分が初めて人間を殺したこともすんなり受け入れていて、逆に不安になったりもした。こういうのは、もっと劇的な変化や苦痛が伴うものだと思っていたんだ。

 俺は、殺らなければ殺られていたから仕方ない、という至極シンプルな結論に行きつき、そこでひとまず納得する。そもそも、そんなことを長々と考えていられる状況でもなかったしな。

 重たいなまくらを鞘に収め、ナイフを手に再び行動を始めた。これまで戦場に怯えていたことが嘘みたいに、清々しいくらいに吹っ切れていた。

 しかし、まずはやらなきゃいけないことがあった。

 俺は力を振り絞り、倒れたアルガンを引きずって自陣の奥まで連れていった。

 後方支援を担当する治療師たちは他の負傷兵の対応で手一杯だったので、気絶しているだけのアルガンは適当に地面に転がして放置していくことになったが、ひとまず安全な場所に預けられたので良しとしよう。

「大佐にくびり殺されたくなかったら、ここに留まるのはおすすめしないよ。さあ、行った行った」

 俺は少しの休息も許されず、また戦場に追い返された。

 負傷した仲間の中でも、程度の軽いやつはすぐに戦場に追い立てられていた。怪我をしていても動けるうちは働け、ということらしい。理屈はわからなくもないが、意識がないおかけで戦わなくていいアルガンがやはり羨ましい気もした。

 俺は仲間たちの戦いぶりを見守りながら、ひとまず友人ライグの姿を探すことにする。

 辺りには剣劇の音や怒声がこだまし、至るところに戦いの痕跡――つまりは死体や重症の兵士の姿があった。

 俺は、地面に散乱した武具や死体が持っていた武器の中から手頃な短剣を二本拾い、負傷してのたうち回る皇国兵を見つけては止めを刺すということをしながら戦場をうろついた。

 しばらく様子を見ていると、森の間際、遠方に剣を構えるライグの姿が目に飛び込んでくる。

 やつは皇国の兵士数人に囲まれていた。

 俺はひやりとし、一旦木陰に隠れライグに接近する機会を伺う。

 ライグの目がほんの一瞬俺をとらえた。俺の存在に気づいたんだ。

 ライグは、俺がいる方向が死角になるよう慎重に立ち回ってくれた。

 俺が思っていた通り、戦闘になるとライグは見事な技能と感覚を発揮したよ。士官学校時代からやつは白兵戦にはめっぽう強く、俺やアルガンはいつも歯が立たなかったんだ。

 俺は慎重にタイミングを見計らいながら、木々の影を間を縫ってそろそろと皇国兵の背面に近づいた。

 そして、やつらが完全に背中を見せたときを狙い、覚悟を決めて木陰から飛び出していく。

 俺は左端にいた男の背に飛びつくやいなや、喉元にナイフを突き立て力いっぱいに捻ってやった。上手い具合に喉笛をかっ切れたようで、切り口から鮮血が激しく吹き出す。

 最初のときよりもずっと、人を殺しているという罪悪感は薄れていた。この短い時間に、数え切れないほど人の死に目に立ち会ったせいだろうか。

 仲間の血が噴き上がる様に動揺した他の兵士たちに、ライグの剣が容赦なく獰猛に襲いかかった。

 ライグの戦いぶりはやはりすさまじく、恐ろしいほどだった。

 やつは士官候補生時代、教官にも讃えられた剣技で同時に三人の敵を翻弄し、あっという間に全員を討ち取ってしまう。

 俺はライグが熟練の剣士の如く敵兵を貪る様子に感嘆し、倒れて苦悶の呻きを漏らす哀れな兵士に止めを刺すのを見て、軽くひゅーっと口笛を鳴らしてみせた。

「さすがだぜ。今日のお前は、怖いくらいに冴えてるな」

 ライグは、俺の声で意識が切り替わったみたいだ。やつはさっきまでの猛々しい獣みたいな眼光から、友との再会を無邪気に喜ぶ少年みたいな顔つきになる。

「ピトン、無事で良かった! お前の不意打ちも素晴らしかったぞ!」

 俺は親指を立てて応じた。

「……待て、アルガンは?」

 ライグは、即座に姿が見当たらないアルガンの心配をした。あいつらしいこった。俺は卒倒したアルガンを後方部隊に引き渡したことを伝え、ライグを安心させてやる。

 あの時の俺はライグの無事が嬉しくて、生きて再会できたのが奇跡みたいに感じられたよ。アルガンも無事だろうと思ったし、このまま三人で初陣を乗り切れるかもしれないという希望で心が軽くなった。

 しかし、体の方は正直というか、短い時間にあまりに衝撃的な出来事が続いたせいか、急激な疲れが押し寄せてくるのを感じていた。

 無意識に心身に多大な負荷がかかっていたんだと思う。俺はライグと再会し敵を倒したことで緊張の糸が切れ、へなへなとへたり込んでしまいたくなった。

 突然、辺りに鐘の音が鳴り響く。

 鐘の回数からして、後退の合図だった。

 俺とライグが様々な可能性を予測し不安に駆られていると、砦の側塔の頂きに現れた人影が、指笛で兵士たちの視線を集めた。

「お前たちに勝ち目はない、皇国軍!」

 このときだけは、上官バルビエのだみ声がとても頼もしく聞こえた。

「たった今、こちらに大数の増援が到着した。少数で奇襲を狙ったお前たちでは、とうてい太刀打ちできない数だろう。全滅を免れたければ、ただちにしっぽを巻いて自国へ逃げ帰るんだな!」

 やつは勝ち誇った笑みを浮かべ、地で戦う兵士たちを見下ろしていた。

 城塞の主の威圧的な態度に、辺りにいたやつらは敵味方問わず気圧される。

 やがて、帝国軍の仲間たちから次々に歓声が上がり始めた。武器を振り上げ猛々しく吼える者や、静かににやにやと笑みを浮かべる者など、反応は様々だったが、仲間たちは一気に活気を取り戻し息巻いている。

 俺とライグも、たまらず拳を振り上げ歓喜の咆哮を上げていた。

 息を吹き返した帝国兵を目の当たりにし、皇国兵がじりじりと後退さり始める。

 歓声に紛れ、増援とおぼしき部隊が戦場に参入してくると、皇国兵は自分たちの不利を悟り、速やかに撤退行動を開始した。

 やつらがそそくさと敗走し、砦の周囲から完全に姿を消したとき、辺りは既に日が傾こうとしていた。

 この日ばかりは――グレーデンの血のような真紅の夕日も尊く感じられた。




 こうして、俺たちの初陣は幕を閉じる。

 俺たちは確かに勝利した。共に初陣を生き延びた。

 だが、今回の戦闘による犠牲は決して少なくなかった。負傷者や戦士者は大勢いた。

 血まみれの兵士でごった返す居館と、広場に新たに積み上げられた死体の山を見ながら、俺は戦場の虚しさを痛感したもんだ。

 そして、俺とライグには初陣以降ある心配事が生まれた。

 戦場を経験して以来、すっかり塞ぎ込んでしまった友人――アルガンのことだ。


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