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小舟は帰らず  作者: 霧雨ウルフ
蛇の牙
4/26

初陣 前

 俺たちが蛇の牙にやってきてから四日目の朝、ついに異変が起きた。

 斥候に出ていた部隊が、皇国軍が怪しげな動きをしていると報告してきたらしい。知らせを受けたバルビエは、引き続き皇国軍の動向を探るように指示を出すと、増援部隊にできるだけ早く砦に来るように要請した。

 俺たちは警備の任務の合間に続けていた死体の埋葬作業を中断し、皇国兵の動きに備え砦内で待機することになった。

 その日、偶然居館で拾った果物ナイフを片手でくるくる回しながら、俺は陰険な目で仲間たちの様子を伺っていた。

「そうかりかりするな、ピトン。必ずしも敵襲があるとは限らない」

 剣の刀身を磨きながら、ライグが声をかけてくる。

「それよりお前、そのナイフはどうした?」

「拾ったんだよ。誰かが使ったあと放置していったんだろ」

 ライグは少し思案したあと、俺にある提案をした。

「お前は長剣を使うより、そのナイフで戦った方がいいんじゃないか? 帝国式の剣は、お前が振るうにはやや大振りだろう。小回りの利く短刀の方が、お前には向いてると思う」

 ライグは俺がナイフ遊びが得意なのを知っていた。尤もな忠言だ。

 しかし、そのときの俺には長い得物相手に果物ナイフで襲いかかる勇気はなかった。

「おいおい、相手は長剣と槍持ちが大半だぞ。こんな果物ナイフで立ち向かえると思うか?」

「いざというときに役に立つかもしれない。持っておけよ」

 ライグがやたらと果物ナイフを推してくるので、俺はしょうがなくナイフを腰のベルトに差し込んだ。重たい長剣は正直邪魔だったが、結局ナイフと一緒に持っておくことにした。

 斥候部隊が再び戻ってくるのを待ちながら、三人で昼下がりまで広場でぼんやりした。満足に食えず腹も空いていたので、そうやってじっとしてるのが一番楽だったからな。

 そんな中でも、ライグは時折聞こえる金属質な音、仲間の兵士の武器が鳴る音に過剰に反応し、目をぎらつかせて辺りを警戒する瞬間があった。

 俺がだれている間も、ライグは歩き回ったり城壁に登ってそわそわしながら森を見張ったりしている。やつはとにかく落ち着きがなく、俺がいよいよ声をかけようとしたとき――。

 ついに、その瞬間が訪れた。

 ぼんやりした午後の日差しの中でうつらうつらしていた俺の耳に、切迫した大声が轟く。

「敵襲だ!! 敵がすぐそこまで来ているぞっ!!」

 大音声の主は、側塔の見張り台に出ていた若い男だ。

 俺は仰天して飛び起きる。頭は真っ白になっていた。

 俺が敵襲の伝達を受け入れられず立ち尽くしている間に、砦を囲う森の奥で、静かなざわめきが生じた気がした。

 敵襲の知らせを受け、砦の兵士たちの間にピリッとした緊張が駆け抜ける。

 瞬刻の張り詰めた静寂ののち、城塞の中が急にどっと騒々しくなった。

 慌てて飛び起きる者、鐘楼で警鐘を鳴らす者、武器を手に走り出す者――本当に様々だ。有事に際した仲間たちは、いつもよりずっと機敏で活発だった。

 敵兵を迎え撃つために城門が開かれ跳ね橋が降りると、仲間たちはすさまじい勢いで砦の外へと飛び出していった。

 俺の隣にいたはずのライグも、いつの間にか駆けていく兵士の流れに加わって、あっという間に仲間に紛れて見えなくなる。

 仲間たちが各々の行動を起こす中、俺は城塞の奥へ逃げ隠れたい気持ちに駆られた。

 だが、後ろから押し寄せた他の仲間たちに突き飛ばされ、不本意ながら前へと押し出されてしまう。なんとか流れから抜け出そうともがいたが、何せ兵士というのは大柄で屈強な奴らばかりだ。二十歳にもならない痩せたチビが抵抗しても、勢いに逆らうのは不可能に決まってる。

 俺はもうやけくそになって、雄叫びを上げながらなまくら剣を引き抜いて、他の奴らと一緒に城壁の外へ飛び出した。

 蛇の牙での戦闘は、隊列だとか指揮だとかはまともになくて、とにかく目の前の敵を凪ぎ払い追い返すという、最も粗野で乱暴な戦闘が主流だ。

 ここはいつ敵に襲われるかもわからない戦争の最前線、帝国の張り出し陣だからな。細かいことは言わずに敵を蹴散らす、それが蛇の牙での基本だったのさ。

 そんな兵士たちと共に外へ放り出された俺だが、状況は全くわかっていなかった。

 敵はどこだ? 規模は? 兵器は? そもそも本当に敵襲なのか――?

 もだもだ考えるよりも先に、俺は目で現実を把握していた。

 俺はこの時初めて、“戦う皇国の兵士”を目の当たりにした。

 俺は実地演習に参加した際、この軍服を実際に見ていたから、遠目でも敵の姿はすぐにわかった。

 しかし、士官候補生だったときの俺が見たのは、“捕虜にされた皇国兵”だ。

 捕虜の兵士は、よほどのことがない限りこちらに攻撃しない。武器も取り上げられ、大半が戦意喪失している。

 だが、今回俺が目にした皇国の兵士は、確かに生きて、武器を持って、俺たち帝国兵を殺すために城塞を攻撃していた。

 やつらから放たれる、明らかな殺意を肌で感じた。

 敵兵の姿を目視したことで、戦場にいるという感覚が現実味を帯び、俺に明確な死の存在を突き付ける。

 俺が剣も構えず根が生えたように硬直していると、他の仲間たちが迷惑そうにぶつかっていった。俺は依然として動けず、ただ目の前で展開される衝突の様を呆けた面で眺めていた。

 俺が凝視していた皇国兵の元に、一人の帝国軍人が近づく。皇国兵と帝国兵は剣を構え、彼らはさも当然のように命の応酬を展開した。

 落ち着きのある皇国兵は帝国兵の剣先をうまくいなし、相手と数回の剣劇を交わしたかと思うと、紙切れにナイフを突き立てるみたいに――いとも容易く帝国兵の体に剣を貫き通した。

 まるで、寸劇を見ているかのように味気なく、一瞬の出来事だった。

 無惨に地面に崩れ落ちた帝国兵の姿を見て、俺はようやく命の危機を感じ取る。

 どうしようもない虚脱感が押し寄せ、足が微かに震え出した。

 頭の中に逃げろ!という警鐘が鳴り響く。

 だが、意識と体が完全に乖離していた。頭では危険だとわかっているのに、体が言うことを聞いてくれない。

 やつに攻撃される前に逃げなければ――そう思うのに、全身ガチガチに強張っていて、じゃりじゃりと足踏みをするので精一杯だったんだ。

「~~~っ!!」

 その時、一人の男が何かを喚きながら俺の前に躍り出て、皇国兵と俺の直線上に割って入った。

 男の背中に遮られ俺の視界から皇国兵の姿が消える。俺は度肝を抜かれたが、後ろ姿と軍服の色で味方だとわかり、心の底から安堵する。

 顔も名前も知らない帝国軍人は、さっきまで俺が見つめていた皇国兵に斬りかかっていったみたいだ。

 何も出来ずただ見守っていたら、ふいに強い力で腕を掴まれ後方にぐっと引っ張られ、俺はすっ転びそうになった。

「ぼんやりするな、死ぬぞ!」

 俺が慌てて身を捩り相手を確認すると、そこには見慣れた顔があった。

 やつは俺を掴んだまま走り出し、どんどん仲間たちの後ろへと下がっていく。

「アルガン! おい、止まれってば!」

 強引に連れ戻され半ば混乱した俺がそう怒鳴ると、アルガンは息を切らしたまま振り返り、俺の顔をまじまじと見た。

 やつは既に泣きそうだった顔を歪めてわっと泣き出し、俺を力一杯抱き締めてきた。滅茶苦茶痛かったので、すぐに文句を言って押し戻してやったが。

 どうやら、俺はアルガンに引っ張られ跳ね橋のすぐ手前まで後退していたようだ。砦周辺の開けた場所を中心に展開した仲間たちが、忙しなく動き回っている姿を後ろから見て、さっきまで自分がかなり前線にいたと気づき生きた心地がしなかった。

 俺は、俺の目の前で殺された仲間のことを思ったが、悲しみよりも虚しさの念が強く、人はあんなに簡単に殺されてしまうのかと戦慄した。

 皇国兵の落ち着いた剣さばきが脳内で再現され、あんなやつらに勝てるわけがない、と泣きそうになる。

 俺が身震いしていると、アルガンはべそをかきながら言葉を連ねた。

「もうおれ、わけがわからなくて、でも上官が進めって言うから、とりあえず前に出てきて……」

「……そうか」

「お前とライグを必死で探してたんだ。そしたらお前が突っ立てるのが見えて、無我夢中で引っ張って来たんだよ」

 アルガンは俺の肩を痛いくらいに掴んでいたが、きっと俺が生きているのをちゃんと実感したかったんだろうな。

 俺は友人の顔を見て次第に冷静さを取り戻し、仲間たちの戦いぶりに目を向けた。

 これまでは、毎日だらだらと下らない遊興で盛り上がったり喧嘩したり、無気力に怠惰に過ごしているだけだと思っていた軍人たちが、やけに凛々しく勇敢に見えた。

 大剣を振るい猛然と敵に襲いかかる巨漢、素早いフェイントで相手を翻弄し急所を貫く槍兵、慣れた挙動で鋸壁の隙間から的確に矢を射る弓兵。

 戦闘になると彼らは別人だ。それぞれが自分の得物で果敢に敵と交戦している様は、命を削る最前線で戦ってきた貫禄を感じさせる。

「こんなところで何をしている、まぬけがっ!!」

 怒声と共に強い衝撃が俺の背中を襲い、無様に顔から地面に叩きつけられた。

 鼻梁に熱を感じ唖然としていると、鼻からぼたぼたと血が滴り落ちてくる。

 砦で初めての負傷は、このときの鼻血だ。かっこ悪い話だけどな。

 俺とアルガンを蹴り飛ばしたのは、大佐のバルビエだ。

 砦の暴君は、俺の髪を引っ張って強引に立たせた。

 俺は体と鼻と頭皮がびりびり痛むのをこらえ、バルビエの髭面を直視し、思わず怯み上がる。

 やつは大層お怒りだった。俺はその理由を即座に理解し、体の奥底が凍てつく感覚を味わった。

「敵前逃亡は万死に値する。そのことを、先日身をもって教えてやったつもりだが?」

 あのときは本当に震え上がったよ。人を家畜みたいに処することに慣れた人間の目は、鉄よりも硬く冷たく、簡単に相手の思考力を奪っちまうんだ。

 俺は、なんとか必死に言い訳を捻り出そうとした。

「体勢を立て直すための、一時的な後退です、司令官。今からまた、戦線に戻ります」

「一時的な後退? そのわりに随分長い間二人で突っ立っていたなぁ。そもそも、俺の指揮する部隊に一時的な撤退など存在しない。敵が存在する限り、戦場でやつらを貪り尽くすのが蛇の牙の掟だ」

 俺がやっとこさ絞り出した言葉を、バルビエは取りつく島もなく両断した。

 どうする、どうすればいい。

 俺の頭はパニック直前だった。まさか、仲間であるはずの帝国軍人の手で殺されるなんて――惨めすぎて涙が出そうだ。

 が、死を覚悟した俺が歯を食いしばり涙をこらえていると、バルビエがふっと手の力を弛め、俺はよろめいて尻餅をついた。

 やつは心底面白くなさそうな声音で、

「……二度目はないぞ。お前たちは初めての戦場だからな、今回だけは見逃してやる。さあ、とっとと行け!」

 と吐き捨て、倒れた俺とアルガンの背中をまたしても蹴りつけた。俺とアルガンはなんとか立ち上がり、震えて仕方ない手でなまくらを拾い上げ、逃げ出すようにバルビエから離れた。




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