最後の夜
大尉は俺たちの前で歩を止め、詳細を話して聞かせた。
「実のところ、先ほどバルビエ大佐に優秀な兵士を紹介してくれと直訴したのだが、取り付く島もなく断られてしまってね。どうしようかと思いながら城郭を歩いていたら、たまたま討伐軍の話が聞こえたので、声をかけた次第だ」
なるほど。俺たちに関心を示したのは、そういうわけか。
「バルビエ大佐にとっては、この砦を守り抜くことこそが全てだ。手塩にかけて育てた兵士を、自ら差し出してくれるはずもない。しかし……私としては、勇猛で知られるこの砦の兵士を、ぜひとも借り受けたいと思っていてな」
大尉は俺たち三人の顔を順に覗き込み、顎に手を当てて何事かを思案する。
「…………ふむ。驚いたな。卒業して二、三年といったところだろうが、三人とも実に良い目をしている。さすが最前線の砦、猛者が集う蛇の居城だ」
「そのお言葉は、俺たちを討伐軍へ引き抜いてくれる可能性があると見ていいでしょうか」
状況を理解したライグは、やや高揚気味にオリンダ大尉に詰め寄った。
勇む若者を見て、大尉はどこか面白そうに言う。
「随分と討伐軍に関心があるようだな。この砦を離れ、南国での激戦に挑む覚悟はある、と?」
「あります。祖国の人々を脅かすニグミ族を退けるのは、帝国軍人としての使命だと思っています」
即答したライグに焦りつつ、俺もそれとなく主張する。
「俺たちが討伐軍に従事したいと言えば、そのように取り計らってくれるんでしょうか?」
「バルビエ大佐殿との交渉次第……といったところだが、現在私は討伐軍の指揮の一端を担う者として、一時的に佐官クラスの権威を付与されている。こちらが強気に出れば、大差殿も承認せざるを得ないだろう」
「つまり……俺たちを討伐軍へ推挙してくれるんですね?」
「可能、ということだ。尤も、討伐軍へ引き抜くのは誰でも良いというわけではないがな」
大尉はライグが腰から下げた剣に目をやり、ついで、俺のベルトに差し込まれた二対の短剣を見つめた。最後に、一生懸命話についていこうとしているアルガンを見て、なにかを決意したように口を開く。
「……私が欲している部下は、過酷な状況下でも取り乱すことなく最善の道を打ち出せる者。個の能力に優れると同時に、あらゆる局面で連携することができる結束力を持つ者。そして……これからの帝国を担えるだけの気概と若さがあれば、完璧だ」
彼は目を細めてにっとする。
「もう一度、大佐殿に交渉を持ちかけるだけの価値はありそうだ。君たちからは……大いなる可能性の臭いがするよ」
唐突に訪れた大尉、もといオリンダ大尉との出会いは、俺たちの兵士人生を大きく揺るがす岐路となった。
彼はバルビエに、俺たち三人だけでも討伐軍へ組み込みたいという旨のことを告げたようだ。よほど、蛇の牙仕込みの兵士が欲しかったらしい。
もちろん、頭の硬いバルビエがそう簡単に承諾するはずもなく、やつはなにかと理由をつけて大尉の提言を退け、威圧的な態度で観念を迫った。
しかし、オリンダ大尉は多少の威迫に動じるたまではない。
彼は粘り強く交渉を続け、結局――俺たち三人の身柄を預かることに成功した。
「思いがけない形で、ここを離れることになったな」
出立の日取りが決まった日、夜風に当たりながらライグがしみじみと言った。
「おれ……正直に言うと、砦のみんなと離れるのが寂しい。最前線だけあっておっかない場所だけど、頼れる仲間もたくさんいるから……」
べそをかきそうな声音でアルガンが応じる。
俺は辛気臭い二人に少しばかり苛立って、声を張った。
「おいおい、まさか一生この砦で暮らすつもりだったわけじゃねぇよな? 心強い仲間がいるのは事実だが、ここは、鬼のバルビエが君臨する無慈悲な独裁国家だぜ?」
俺は自分を奮い立たせるように語気を強めた。
「それに、討伐が終わればここへ帰ってくることもできるって言っただろ。戻ってきたとき、俺たちが成長した姿を見せつけてやるためにも、強気でいようじゃないか」
アルガンは複雑そうな表情を浮かべたが、なにも言い返さなかった。
ライグが深く息をつき、迷いなく宣言した。
「俺たちは兵士だ。人手が必要な場所へ場所へ赴き、戦果を上げ、軍団に貢献し、ひいては国を……民を守る存在だ。相手が敵国であろうと、ニグミ族であろうと……我が国の脅威なら討ち滅ぼすまでさ」
ライグの目を見てゾッとする。
こいつは昔からそうなんだ。“帝国を守る”という言葉の元、どんな苦境にも残虐にも耐え、敵を容赦なく斬り伏せていく。
それを忠義心といえば聞こえは良いが、一種の狂気、盲信とも呼べるかもしれない。
ある意味では、バルビエにも負け劣らない究極の理想主義者だ。
やつは、ふと我に返ったように立ち上がり、俺とアルガンに申し訳なさそうな顔をした。
「お前たちの意志も確認したとはいえ、流れで俺に付き合わせる形になってすまないな。だが……お前たちと共に激戦地へ迎えるのは、やはり心強い。どうか、これからも俺と共に戦ってくれないか?」
アルガンは少しだけ寂しそうな目をしていたが、照れ臭そうに微笑した。
「あたり前だろ。おれは砦のみんなも好きだけど、やっぱり、ライグとピトンと一緒にいるのが一番だ。なにがあっても、お前らと一緒に立ち向かうぞ」
ライグはアルガンの言葉に顔を綻ばせた。
「…………いや。俺にそんな目線を向けられても」
なにかを期待するように俺を見つめる二人に、素っ気なく言い放つ。
「俺は臭い友だち台詞なんて持ち合わせちゃいねーぞ。『これからも死なねー程度に気張れよ』くらいで勘弁しろや」
「熱い宣誓を期待したわけじゃないよ。お前が天の邪鬼だってことは、俺もアルガンもよくわかってるからな。だが、ついてきてくれるのは、素直にありがたい」
と、ライグが深刻な表情になる。
「ところでお前……リースベトはどうするんだ? 何年か後に軍人を辞めて、彼女と一緒になる予定だと言ってなかったか?」
「わかってるよ。心配するな」
もちろん、リースベトのことを忘れていたわけじゃない。オリンダ大尉と一緒に討伐軍へ向かうことを彼女にもちゃんと知らせ、俺の思いを伝えなければならない。
「『ライグたちと一緒に討伐軍で大活躍して、たんまり恩給をもらったあと、華麗にお前を迎えに来てやる』って伝えとくさ」
翌朝、俺はまだ眠そうなリースベトを居館裏に呼び出した。
彼女と初めて会った場所で、二人並び、しばし沈黙する。俺が大事な話を控えていると悟ったのだろうか、リースベトはいつになく静かだった。
俺は、意を決して切り出した。
「リースベト。大事なことだから、しっかり聞いてくれ。俺は――」
言葉を止め、ちらりと彼女を見やる。
そして、息を飲んだ。
リースベトは、なにもかもをわかったような表情で、優しく俺を見つめていた。
「知ってるわ。討伐軍へ引き抜かれることになったんでしょ?」
俺が告げるまでもなく、彼女は事の真相を知っていた。
なぜ、と問いかけようとしたが、その前に、俺は一度冷静になる。
俺たちはこの数日、オリンダ大尉とたびたび顔を合わせていた。彼が討伐軍から来た視察もとい勧誘だと気づいている者は少なからずいたし、ジャベリンも薄々感づいている風だった。
俺たちがオリンダ大尉と共に砦を発つであろうことは、俺をよく知る彼女にはおおよそ予想できる展開だったのだろう。
リースベトは、俺から視線を外し、遠くを見るような目をする。
「実のところ……貴方は、長くはここにいないだろうという気がしていたの。長年色んな男を見てきてわかったことがあるわ。大きな可能性を秘めた人には、運命が自ずと大きな舞台を用意するものよ。貴方も、貴方の友人も……きっと、蛇の牙だけで終わる器ではないってことね」
彼女は髪をかき上げ、ふぅと息をついた。
「良い男ほど、私の手が届かない遠い場所へ行ってしまうのね。やっぱり、自分なんかが留めておける人じゃないって、なんとなくわかるもの」
「そんなことは……! 他の男がどうだか知らねーが、俺は本気でお前と将来を共にしたいと思ってるんだぞ!」
こらえきれず、俺は声を上げた。
「白状するなら、この薄暗い城塞から解放されるのは少し嬉しいよ。見知らぬ土地で違う上官のもと腕をふるえるかもしれないと、新たな展望に期待する気持ちもある。身勝手でごめん……だけど……ここの仲間たちとの別れが寂しくないわけじゃない。お前を置いていくことだって、本当は……!」
「いいのよ。はじめから、諦めていたから」
はっきり言い返され、俺は動揺で硬直した。
リースベトは表情を軟化させる。
「悪い方向にとらえないでね。貴方に期待してなかったって意味じゃなくて、私みたいな女が人並みの幸せを望むなんて、端から無謀だと思っていたの」
「なんでだよ……? お前は、こんなに綺麗で……情が深くて……間違いなく良い女なのに」
俺の言葉に、リースベトはふふっと笑う。
「ありがとう、でもね、娼婦ってのはどうしても卑屈になっちゃうのよ。貴方との未来を思い描くのはたまらなく至福だけど……同時に、抗いがたい恐怖が付きまとう」
彼女は、全てを包み込むような慈悲深い眼差しで、俺の瞳を射抜いた。
「貴方がいつ帰らぬ人になるかもわからない。負債を返し終え水商売を辞めたとしても、上手く日の世界に馴染めるかもわからない。そして、なにより……長く時間を共有すればするほど、貴方の愛が覚めてしまうその瞬間が怖くなる。
貴方は一生私を愛してると言ってくれるかもしれないわ。だけど、人の心は移ろうものよ。私がいつまで若い女の体を保てるかもわからないし、男を喜ばせる手段以外取り柄のない女なんて、いつか飽きられてしまうでしょう……」
「――! 違う!」
俺は、驚く彼女の顔を間近で見つめながら、なんとか言葉を絞り出した。
「俺だって、殺し以外取り柄のない男だ。でも……そんな俺とお前でも、少しずつ変わっていけるはずなんだ。二人なら……お前となら、俺は人としての幸福を見出だせる気がする」
俺は普段のすかした態度を捨て、素直に自身の思いを言葉に出して伝えた。彼女への想いが本物だと、伝えなければならなかった。
「お前は、俺の弱さを受け止め、支えてくれた。本当に感謝してる。俺は、そんなお前を自由にしてやりたい。お前の故郷へ一緒に行きたいんだ。
そのために、討伐軍で戦って、お前を連れ出すための資金を作ってくる。お前が安心して身を任せることができる大人の男になるから……それまで、どうか信じて待っていてほしい……!」
連合軍に行くことで、必要な財も強さも手に入るというのなら――しばしの別離にも耐え、さらなる強敵にだって挑んでやる。
俺はそう心に決めていた。
俺の宣言を受け、彼女はしばし黙り込む。沈思しているとも、迷っているともとれる表情だ。俺は次第に、身勝手さを呆れられたのかと不安になってきた。
俺が見守るなか、赤毛の恋人がふわりと微笑む。
「……馬鹿ね。いくらでも待つわよ。私、そこまで薄情な女じゃないもの」
「……! ありが……――」
俺が喜びを示す間もなく、リースベトに軽く鼻をつままれた。
無様にふがふがしていると、リースベトは言い聞かせる調子で俺を諭した。
「何度も言うけど、死んじゃ駄目よ。手柄を上げようと意気込むのもほどほどにね。貴方は砦でも上手くやってきたんだから、きっと向こうでも上手くやれると自信を持って。あと……」
彼女は俺の耳元に顔を寄せ、低い声で囁く。
「万が一、向こうで他の女と懇ろになっても……私のことを忘れては駄目よ? 迎えに来ると宣言した以上、約束は守ってほしいの……」
切なさを孕む響きに、胸が熱くなった。
「俺を信じろ。お前のためなら、どんな試練だって乗り切ってやる。他の女に情を移したりもしない。待っていてくれ。必ず迎えに来るよ……」
愛する女との未来を希う想いは、不思議なほど人を強くする。
荒んでいた俺の心に灯火を与えてくれたリースベトのためなら、なんだってできる気がした。
リースベトに決意を伝えたその晩、俺たちは互いに抱き合ったまま眠りについた。
彼女と過ごした最後の夜のぬくもりを、俺は一生忘れないだろう。




