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小舟は帰らず  作者: 霧雨ウルフ
蛇の牙
23/26

それから


 こうして、多くの犠牲を払いつつも、殲滅作戦は終了した。

 東に追い立てられた皇国兵たちは全て帝国兵によって撃滅され、捕らえられた時魔導師の男は、皇国に与した重要参考人としてしばらく拘束されることになった。

 のちに聞いた話だと、時魔導師の男はやはり元軍属で、捕虜となったことで心神喪失に陥り、以降は心ない人形のように皇国軍に利用されていたらしい。

 残酷な話だが、そうやって敵方の魔術師を洗脳したり懐柔したりして、戦力に取り込む事例は珍しくない。魔術師ってのは、どの軍勢からも渇求される存在だからな。

 存外若く見えたその男は、目から完全に光が消え、陶器の人形みたいな表情していた。これが本当に生きた人間なのかと疑うほど生気がなく、悪寒を覚えて目を反らしてしまったほどだ。

 この男は皇国に与した敵だが、同時に戦争の実態を物語る哀れな証人でもあった。戦禍がもたらす無尽の非情を、この作戦を経て俺は痛切に感じた。




 潜伏する敵方を壊滅させた戦績は、喝采の拍手と共に砦中から称えられたよ。あのバルビエでさえ、笑顔を見せて作戦に従事した部下たちを労った。

 だが、年の離れた友人であり頼れる先輩だったデシデリオの死は、影のように俺に付きまとうことになる。

 カード遊びをするときも、任務を終えて共に飯を食うときも、仲間たちの中にデシデリオの姿がないことが、どうしても信じられなかった。いつも会話の中心にいたデシデリオがいなくなると、仲間たちと談笑していても妙な静けさを覚え、いやでもやつの不在を痛感じた。

 1ヶ月ほど経ってようやくデシデリオの死と向き合えるようになると、俺の気持ちの変化を見て、ジャベリンは任務の合間などにぽろぽろとやつに関する話を聞かせてくれるようになった。

 デシデリオの過去の戦いでの活躍。

 義足となった経緯、怪我との格闘と再起。

 身体的不利をものともせずに戦い続ける芯の強さ。

 様々なことを、ジャベリンなりの言葉で俺に少しずつ伝えてくれた。

 俺の中にあった大きな喪失感は、次第に、静かな惜別の情へと変わっていった。




「俺も、君に話しながらデシデリオのことを思い出して、心の整理をしているのかもしれない。あいつとは長い付き合いだったから……もう二度と会えないのかと思うと、やっぱり寂しいね」

 二人だけで見張り台に出ていたあるとき、ジャベリンは珍しく素直に心境を吐露した。

 俺も同じ事を思い感傷に浸っていると、ジャベリンはじっと俺を見つめ、意を決したように息をつく。

「君は、デシデリオの最期の言葉がどうして謝罪だったのかわからないって言ってたね。『すまねぇな』って言葉が、誰に向けられたものなのかと」

 俺は少し驚き、金髪の男をまじまじと見返した。

「あんたには心当たりがあるのか?」

「ある、と言えばあるよ。けれど……」

 やつは少し逡巡したが、話を聞いているのが俺だけだと確認し、

「ここから先は、俺の独り言だと思って聞いてくれ。わかったね?」

 と、思いがけない言葉を投げかけた。

 頭を回転させて、ジャベリンの言わんとすることを探し当てようとしたが、到底妥当な憶測には行き当たらない。

 俺が頷きつつも戸惑いの表情を向けると、ジャベリンは目を反らし、宣言通り独り言みたいに淡々と綴った 。

「デシデリオは、砦内の“不安因子”を見つけ出す監査官――兵士たちの見張り――という役割についていた。やつがあれだけ情報通だったのも……脱走を企てる者を誰よりも早く見つけ出していたのも……ようは、砦内の怪しい者を探し出して上に報告する“密告者”だったからだ」

 ジャベリンは声を落として続けた。

「デシデリオ自身からはっきり真実を聞いたわけじゃないけどね。デシデリオは俺が“気づいていることに気づいていた”ようだし、俺の憶測を否定することはなかった」

「待ってくれよ」俺は思わず口を挟む。

「デシデリオは、つまり、仲間を探るバルビエの手先みたいな存在だったってことか? 最期の言葉は、仲間たちに向けたものだったと……?」

 目は合わせてこなかったが、ジャベリンは小さく頷いた。

「そういうことになるかな。君も、大佐が緻密な情報網を築き、砦全体を掌握しているのは知っているだろう? あの人は、デシデリオみたいな情報収集役を忍ばせ、部下たちを密かに見張っているのさ」

 信じられない気持ちと、妙に腑に落ちる感覚がせめぎ合う。

 俺はくらくらしそうになりながら、デシデリオとの様々なやり取りを思い返した。

 脱走を企てる若い二人組――アンとドゥを見つけたとき、デシデリオの勘は勘とは言えないくらい的確だった。砦の掟を破った者に対する対処も、えらく慣れている風だった。

 他にも思い当たる節はある。やたらと耳が早かったのも、存外頭が切れたのも、やつが“諜報員”だったからだと思えば――。

「大佐は頑強で、苛烈で、時に兵士たちの反感を買うような制裁をする。現に、バルビエ殿に密かに恨みを抱く者も少なくない」槍士はしばし言葉を止めた。

「それでも――あの人でなければ、今の砦は上手く取り仕切れないだろうと思う。だからこそ、デシデリオは大佐の権威を守るために、仲間たちを監視する役目に徹した。デシデリオは密かに仲間たちを見張ることで、彼なりに砦の秩序と均衡に貢献していたんだよ」

 俺とジャベリンの間に、深い沈黙が横たわる。

 考えれば考えるほど、ジャベリンの言葉が真実味を増し、デシデリオが密かに遂行していた任務の重さを実感した。

「……デシデリオが俺たちに近づいたのは、監視のため……だったのかな?」

 頭に浮かんだ一つの予測を、思わず口からこぼしていた。

 俺たちは結局のところ、ずっとバルビエの掌で転がされていたのかもしれない。デシデリオが俺たちに見せた笑顔や親切は、俺たちを手懐けるための罠だったのかもしれない。

 そう思うと、デシデリオを無条件に信じていた俺が惨めにすら感じる。

 しかし、俺の予想に反し、ジャベリンは優しげな微笑みを浮かべた。

「それはどうかな。もし仮に、はじめは君たちを警戒し見張る目的で近づいたんだとしても……最終的には、心から信頼していたと思うよ」

「本当にそう思ってるのか?」

「俺はデシデリオと長く一緒にいたけど、やつがここまで後輩を気にかける様子を見せたのは初めてだったからね。君たちはたぶん――本当に成長を楽しみにされていたんだよ」

 俺は目を瞬いた。

 走馬灯のように、デシデリオが俺に投げかけてきた数々の言葉が、教えが、頭の中を巡る。

 熱い想いが込み上げ、思わず目が潤んだ。

「鮮やかなまでに強かな野郎だ。かっこいい先輩だったよ……」

 涙をこらえながらぐずぐずと鼻を啜る俺を見て、ジャベリンは何も言わずに、背中を軽くぽんぽんと叩いて慰めてくれた。

 あのとき、俺はようやく――本当の意味で、デシデリオの死を受け入れることができたんだ。



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