プロローグ
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――これは、とある兵士の回顧録。
血生臭く、泥にまみれた身上話。
華々しい武勇伝でもなければ、お世辞にも綺麗とは言えない物語だろう。
それでも、あんたが俺の見た世界を知りたいというなら。
静かに、真摯に、ときに笑って聞いてほしい。
兵士という存在。戦場の実態。戦いに生きる者たちの――生き様を。
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十九になる年の三月、俺は帝国軍付属士官学校を卒業した。この日、三年間に及ぶ教育と訓練をこなし、めでたく兵隊としてのスタートラインに立ったわけだ。
特に感動も面白味もない卒業だったが、実際には軍隊への入隊式も兼ねた儀式だったので、来賓枠にはごつごつした軍人どもが偉そうに鎮座していた。
やつらは卒業する若者たちを、ひよこの選別をするような目で眺め回していた。きっと新兵を品定めしていたんだろう。
俺はあまり良い気がせず、お偉方とは極力目を合わせないようにしていた。
鋼鉄の帝都アレクサンドリアの前に広がる平原で、隊列を組んでずらりと並び、期待や不安、誇らしさや焦燥、そして未知なる戦場への恐怖と高揚が見え隠れする複雑な表情の若者たち。
皇国との長い戦いで多くの者が命を落とし、祖国が疲弊しつつあることは子供の頃から聞かされていたし、敵の強大さは俺もぼんやり感じていたので、あまり浮かれた気分にはなれなかった。
だが、俺の隣に立つ友人――ライグ・ダンバーだけは、不安に揺れる他の仲間たちとは少し違っていた。
ライグは士官学校での三年間を共にした友人だ。生真面目で努力家、同期の誰よりも真摯に祖国のことを思う男で、周囲から慕われている好漢だ。
「ピトン、俺は今最高に気分が良いよ。これから祖国のために思う存分戦えるのだと思うと、誇らしさと歓喜で震えそうだ」
式の直前、ライグはいやにキラキラした眼差しで宣った。ライグが帝国への忠義に燃えているのは昔から周知だったんだが、全く恐れを知らないその様子にはほとほと呆れたぜ。
今思えば俺もやつもまだ若かったんだろう。卒業式のときのライグは期待に胸を踊らせ、俺は戦場への不安でいつも以上に小さくなっていた気がする。
長ったらしい口上や演説、卒業生代表の宣誓が終わりようやく自由行動を許された新米兵士たちは、友人や後輩、卒業の様子を見に来ていた親族の元に駆け寄り、祝福や激励の言葉を送り合った。(普段は一般人が士官学校の儀式を参観することはできないが、卒業のときだけは別とされている)
俺たちはこの後荷物をまとめたら、今日明日で搬送される家畜よろしくそれぞれの任地へ送り届けられる運命だ。若者たちの家族は別れの挨拶のため式に赴き、我が子の無事と成功を祈って涙を流しながら彼らを送り出すのが通例だった。
大兄弟の真ん中で、親や兄たちにぞんざいに扱われ放り出されるように士官学校に入った俺は、生憎見送ってくれる親族もいなくてね。
同じく送り出してくれる者がいない卒業生、もとい新米兵士仲間の輪に加わった。ライグは親元を飛び出し単身帝都に登ってきた口だったので、やつも俺と一緒に他の仲間たちと他愛もない話をしたり、互いの任地の戦況について論じたりしていた。
日が落ちると俺たちは寄宿舎に戻り、少ない荷物を手早くまとめそれぞれの任地へ出立する用意をした。
学校を卒業すれば寄宿舎に居場所はないからな。これは士官学校の教官の受け売りだが、次にやって来る新入りのため速やかに去るのが育んでくれた学校への礼儀なんだとよ。
俺とライグは荷物を黙々と整理し、同室の残り三人、アルガンとユベールとロブも沈黙したまま各々の準備を進めていた。
きっと皆、仲間や校舎との別れを前に感傷的な気持ちに浸っていたに違いない。そういう俺も、既にホームシックを起こしそうなくらい寄宿舎との別れがつらかった。卒業するまでは苦行でしかないと思っていた訓練だが、不思議なことにこうしていざ本物の戦地に赴くとなると、苦しかった訓練や仲間たちとの何気ない日常がひどく輝かしく尊いものに思えた。
同期の中でも一際大柄で筋骨隆々なアルガンが、背中を丸め声を殺して泣き始めた。アルガンは一見がさつに見えるが中身は繊細な男で、俺たちの間では「気は優しくて力持ち」な大男として認識されていた。
アルガンが鼻を啜る音を聞き俺たちが余計に哀愁の念を強くする中、部屋の中でもリーダー格のライグがアルガンの肩を抱いて励まし始めた。
「大丈夫だ、アルガン。きっとみんなまた会える。それに、ここで過ごした三年間を俺はぜったいに忘れない。俺たちはずっと友だちだ」
臭い台詞だが、その時の俺は、そんな言葉にも少し涙ぐんでしまうほど寂しさと不安で一杯だったんだ。
その晩は俺たちが寄宿舎で過ごす最後の夜だった。みんなで荷物を整理して部屋を綺麗に掃除したあとは、遅くまで過去話に花を咲かせ馬鹿みたいにはしゃいでいた。
明日から戦地に向かうってのに無茶をしたと思うが、そうやって騒いでいないと別れを実感して辛かった。
俺たちはいつか五人で再会することを誓い、興奮と緊張の中、浅く短い眠りについた。
翌日、まだ帝都に朝日が差さないうちにユベールとロブが馬車に乗って旅立った。早朝の寒さの中で二人を見送る際、俺たちはそれぞれ堅い握手を交わした。
ロブは五人の中で一番寡言だったが、この日は珍しく饒舌に仲間一人一人に別れを惜しむ言葉を連ねた。
「ピトン。君は器用な人だけど、案外溜め込みやすいたちだから少し心配してるよ。君の側にはライグやアルガンがいるんだから、苦しいときは仲間を頼るように、ね」
俺は予想外に鋭い指摘に動揺しつつも、そこは強気に応じた。
「わかったよ。俺の心配をしてくれるのはありがてぇが、お前もちゃんと自分の心配をしろよ。お前は他人を優先して自分を後回しにしがちだからな。もっと自分本意に考えていいんだぜ?」
ロブは少し暗い顔つきになり、おもむろに頷いた。
「そうだね。心に留めておくよ」
ロブは仲間のフォローに回るのが得意な男だったが、自主性には欠けていた。もしかしたら、やつはそれを自分の欠点だと思っていたのかもしれない。
俺は続いてユベールと向き合った。俺は友人の中でも特にユベールと気が合ったので、このクールな男を見送るのは心底こたえた。
「俺とロブが向かうのは最南の砦だ。汗水たらしながら泥にまみれて戦うのは趣味じゃないんだがな」
「誰だってそんなの趣味じゃねぇだろ。熱中症には気をつけろよ、お前は熱いとすぐにぶっ倒れるんだから」
冗談めかして忠告した俺に、ユベールは悪戯っぽくウィンクした。
「あれは訓練をサボるための演技だ。お陰で随分楽ができた。お前が気づいてなかったとは意外だな」
ユベールは本当にすかした野郎だったが、そんなところが嫌いじゃなかった。
ロブとユベールを乗せた馬車が朝霧に霞む平原を行くのを見届けると、俺たちは自分たちが乗り込む予定の馬車が到着するまで外壁の外でだらだらと話しながら時間を潰した。
俺とライグとアルガンの三人が向かうのはグレーデン地方の守りの要で、西の国境間際に位置する砦――通称“蛇の牙”と呼ばれる場所だった。謂れの由来は、砦の周囲を囲む森の形からだとか、戦線の重要拠点だからとか、俺にとってはどうでもいい理由だった気がする。
「蛇の牙では多数の戦死者や負傷者が出て、治療や支援が追いついてないって聞いた。おれたち、そんな場所でやっていけんのかな」
弱気な言葉を吐いたのはアルガンだ。俺はアルガンのこういう臆病風に吹かれた発言が苦手で、正直に言うと当時は奴のことがあまり好きじゃなかったんだ。
まだアルガンに対して当たりがきつかった俺は、やつの発言に露骨に舌打ちした。
「やっていけるかどうかじゃなくて、やってくしかねぇんだろ。そんな弱腰じゃ真っ先に死ぬぞ。お前は体格にも恵まれてるんだし、もっと堂々としてろよ」
俺は昔から、自分が軍人仲間の間では小柄だという自覚と劣等感があってな。ユベールにはいつもそのことをネタにからかわれていたし、俺の次に小さいのはロブだったが、それでも俺とロブの間には約十センチの隔たりがあった。
アルガンがもごもごと謝るのを聞いて、俺の苛立ちはさらに倍増したが、ライグが俺たちの間に割って入る。
「いや、アルガンが言っているのは本当だ。現在グレーデンでは苦しい戦況が続いていると聞く。俺たちも覚悟を決めて向かうべきだ……いざ現実に直面したとき、冷静さを保つことができるようにな」
今と変わらずライグは生真面目な男で、むしろ戦場が待ち遠しいって様子だった。俺はこういうときのライグは頭のねじがいかれてると思ったし、普段のやつのことは嫌いじゃないのに、祖国への忠誠を熱く語るライグは気味が悪くさえあった。
俺は今でも時々ライグはわからない男だと思う。あいつは何事にもひたむきで努力家で、堅物だがわりとお人好しで仲間思いなところがあって、一言で言うなら良いやつだ。しかし、帝国への忠義を貫くという信念に並々ならぬ執着を見せ、その為なら己の命を投げ出すことも厭わない。俺のような俗物には、到底理解が及ばない強靭な精神をしているんだと思う。
ようやく俺たちを乗せる予定の馬車が到着した。今以上に短気だった俺は、乗り込んだ馬車がぎゅうぎゅうなことに腹を立て小声で口汚く悪態をつき、一緒に乗り込んだ他の仲間の足をわざと蹴ったりしていた。
アルガンがそれに気づいたかは知らないが、奴は大きな体を丸めできるだけ場所をとらないように、俺にあまりぶつからないように気を付けていた。
今ではその時のアルガンの気遣いに素直に感謝できるが、昔の俺は奴には素っ気ない態度ばかり取っていて、今更ながら申し訳なく思う。
馬車での旅は丸々二週間に及んだ。時々軍の補給地点などで飯を食ったり強ばった体をほぐしたりしたが、それでも馬車での長期間の移動は過酷なもんだ。
特にライグの弱りようは目に余るほどで、奴は軍人としてはある意味重大な弱点――乗り物に酔いやすい体質を抱えていたので、二週間の旅は地獄だったろう。
俺とアルガンは馬車に乗っている間、ライグのために水と手拭いを用意した。奴がこらえきれず馬車の外に向かって戻したあとに、顔を拭く布がほしいだろうと思ったからだ。
俺が無言で濡らした手拭いを差し出すと、奴は声音だけは気丈に律儀に礼を述べた。
三年間共に過酷な訓練をこなしてきた士官学校の仲間は、それこそ多くの失敗や醜態をお互いに見てきたので、ライグの乗り物酔いは俺とアルガンにとっては慣れたことだった。
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――さて、ここからはちと血腥い話が続くが大丈夫か?
蛇の牙で俺たちを待ち受けていたのは、十九やそこらの若造には刺激が強すぎる残酷な戦争の実態だった。
俺は砦に辿り着いたその日から、兵士として生きることの過酷さを身をもって体感したよ。
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