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小舟は帰らず  作者: 霧雨ウルフ
蛇の牙
19/26

出撃


 ゴーチエから一通りの訓練を受けたあと、ついに動く時が訪れた。

 蛇の巣窟に潜む皇国兵を潰しに行く頃合いだ、と、バルビエがジャベリンを通して俺たちに指示を出してきたんだ。

 翌日の早朝、作戦に臨む仲間たちは慌ただしく集まり、連携の最終確認をした。

 会議室で一週間ぶりくらいに見たライグは、なぜか顔に無数の痣を作っていた。

「俺が見てない間、なにやらかしたんだ?」

 率直に聞くと、ライグは少し誇らしげな表情になる。

「何度か、ロルダンと試合をな。実技演習のときよりは、俺も強くなったと思う」

 ライグの相変わらずのチャレンジャー精神に呆れていると、当のロルダンが部屋に現れた。

 やつの眉尻にも痣があり、これはもしかしてライグがしてやったのか?と俺は疑る。

 ロルダンはライグと俺の視線に気づいたらしく、鼻を鳴らして通り過ぎていった。

「な?」

 茶目っ気たっぷりに破顔するライグに、ロルダンにつっかかるのはほどほどにしておけよと警告しようとしたら、やつは声を潜めて続けた。

「この前の喧嘩みたいに、悪い意味で戦ったわけじゃないんだ。少しは、あの人に近づけたような気がする。アルガンについても、ちょっとだけ相談できたし……」

 思いがけない言葉に目を瞬く。

「アルガンについてなにか話したのか? ロルダンと?」

 先の衝突以降、なんとなく俺たちとロルダンの間には不穏な空気が漂っていたから、ライグの行動には驚かされた。

 ライグはちらりとアルガンに目を向けた。

「工兵としての能力は認めていると言ってくれたぞ。それに、アルガンなりに仲間のために頑張ってるってことも、一応わかってくれたみたいだ」

 ロルダンが本当にそう評したのだとすれば衝撃だ。なにせ、あいつはこれまでアルガンに対して肯定的なことをほとんど言わなかったからな。

「なんにせよ、最近は少しずつアルガンも落ち着いてきた。この作戦に参加すると決めてから、あいつの心にも変化があったのかもしれないな。やはりまだ魘されることもあるが、それでも……あいつはきっと、あいつなりに前に進もうとしてるんだよ」

 確信はなさそうだったが、ライグは晴れやかな面持ちで続けた。

「ロルダンもロルダンで、本当に根っから血も涙もないわけではないのかもしれない。仲間のために奮闘するアルガンのことを、少しずつ認ようとしてくれている気がするんだ。それに、ジャベリンやデシデリオも、なんだかんだロルダンを頼りにしているだろ? だから俺も、ロルダンをできるだけ認めて、仲間として信頼したいと思うよ」

 ライグの殊勝な発言に、俺はただただ感心した。

 短気な俺だったら、ロルダンの言い草にいちいち腹を立ててしまいそうだ。器のでかいライグだからこそ、ロルダンの言動も寛容に解釈できるんだと思う。

 確かに、俺も完全にロルダンを悪人だと言い切れるわけではなかったし、やつが作戦において重要な柱となるのは見えていた。良いか悪いかは抜きにして、ロルダンの姿も一つの戦士の在り方なのだろう。

 このときライグが、ロルダンとどのような会話をし、どのような言葉を聞いたのかという詳細は、結局今に至るまで聞けず仕舞いだ。ライグはああ見えて、ストイックに強さを求める部分は少しだけロルダンに似ている。だからこそ、言葉ではなく剣で通じ合うものもあったのかもしれない。

 難しく考え込む俺を見つめ、拳で武神と渡り合ったとおぼしきライグはどこか楽しそうに言った。

「そういうお前は、顔つきが変わった気もするぞ。ゴーチエは良い教官だったみたいだな」

 俺は心底げんなりする。

「やめてくれ、死ぬほど扱き倒されたんだ。ゴーチエの野郎、バルビエ並みの鬼だぞ」

 笑われるかと思ったが、ライグは思いがけず真剣な顔になった。

「いいや、お世辞じゃないさ。前よりも雰囲気が鋭くなったんじゃないか?」

 不覚にもびっくりして、俺はつい自分の面に手をやる。

 言われてみれば、相当厳しい訓練を乗り越えたわけで、実際、作戦に向ける心構えも多少なりとも変わっていた。

 実感はあまりなかったが、どうやらライグの目には内面の変化も見えたらしい。

 俺たちがそういった話をしていたら、部屋の奥からロルダンの静かな怒声が飛んできた。

「おい、ガキ共。さっきからへらへらしてんじゃねーよ。遊びのつもりなら今すぐ出ていけ」

 ロルダンは相変わらず怒りっぽく、談笑する俺たちの存在すら気に障るらしかった。

 苛立つ猛獣をジャベリンが嗜め、やれやれと微笑んだ。

「そうぴりぴりするなよ。この最終確認がまとまり次第、砦を発ち目的の場所に向かうんだから、今は仲間同士で変に揉めないでくれ」

「今日なのか?」

 俺はすっとんきょうな声を上げてしまった。作戦開始はせめて明日以降だろうと思っていたんだ。

 俺の驚きを受け、デシデリオがわしわしと後頭部を掻きながら唸った。

「もうちょっと猶予がありそうだと思ってたんだが、やつらを見張っていた仲間から報告があってな。どうやら、敵方もそろそろ動き始めそうだ。谷の周辺で魔術の気配が強くなっている。こっちが呑気に待ってたら、なにかやばいことを仕掛けてくるかもしれない」

 俺は状況に余裕がないとわかり、どんどん気が重くなる。

 デシデリオによると、前日の夜あたりから、こちらの時魔導師たちが皇国側の工作とおぼしき魔法反応を関知しているらしい。

 緊急時には、砦全体に時魔導による魔法の防壁を展開することも可能だが、持続時間やタイミングの問題もあるため使いどころは考えなければならない。もし、皇国が砦を狙って大きな魔法を仕掛けるつもりなら、発動される前に潰すに越したことはない。

 つまり、俺たちは迅速に動き出すべき状態だ。

「相手方に目立った動きがなかったため、こちらも討つ機会を探って偵察に留めていたけれど、魔術反応が出たとなれば見過ごせないからね。俺たちの不安が的中したみたいだ……やはり、やつらは魔術攻撃を目論んでいる」

  ジャベリンがデシデリオのあとに続けた。その発言を受け緊張する俺に気づいたのか、ジャベリンが軽く背中をはたいてくる。

「しっかりしてくれよ? 最初に言ったけど、俺たちがなぜたったこれだけの数で動くのか、ってことはちゃんとわかっていてくれ」

 やつの声音は厳しかったが、訓練中とは違って以前のようなフランクさに戻っており、俺は少しだけ安心した。

 俺は大きく頷き、この作戦に参入してすぐに教えられたことをそのまま返す。

「奇襲に人数を割きすぎると、俺たちが奇襲に失敗したときの損害が大きくなるからだ。それに、敵方は魔術でなにをしでかすかわからない。できるだけ砦本部に戦力を残し、いざというときに砦を守れる体制を整えておかなければならない……って話だったな」

「その通りだ」ジャベリンは、自身の右手の火傷跡を軽くなぞる。戦場へ向かう前のやつの癖だ。

「今回の俺たちは、言うなれば――」

 軍手を素早く装着し、淡い金髪の男は強気な笑みを見せる。

「特攻部隊、死の行軍さ。捨て身でやつらを仕留めなければならない。もし俺たちが行かなかったら、砦は間違いなく魔術攻撃に襲われる。それがわかっているなら……死ぬ気で止めるしかないだろう?」

 仲間たちは無言で頷いた。

 ジャベリンの言葉を合図に、他の仲間たちも出立の準備を始めた。

「今回の作戦に携わる面子は殆ど俺が選んだんだ。自分で言うのもなんだが、きっと最高レベルの少数精鋭だよ。予定通りいけば、谷に潜伏する皇国兵を鮮やかに屠殺できるだろう」

 ジャベリンは挑戦的な台詞を吐き、俺たち全員を見回し片眉を吊り上げた。

「敵に近づいたら大声は張れないからここで聞いておくよ。――覚悟はいいか?」

 俺は右手を掲げ、応じるように気合の声を発する。

 俺だけでなく、隣に立つライグも、他の仲間たちも、拳や武器を掲げ、声を上げたり静かに頷いたりしている。

 さあ――いよいよ、作戦開始だ。




 その後、俺たちは砦を後にし、皇国軍が潜む蛇のねぐらへ向かうわけだが。

 俺たちが慌ただしく装備を整え、作戦に必要な最低限の荷物をまとめ終え、ついに出立するというそのとき――砦の主であるモーリス・バルビエその人が姿を現した。

 やつと遭遇したのは、俺たちが目立たないように居館を裏手から出ていこうとしていた瞬間だった。

 予め奇襲部隊の行動を把握していたバルビエは、俺たちを迎え撃つみたいに裏口に陣取っていた。

 その日は曇天で、上官の心の内も空模様と同じく晴れないらしく、いつにも増して剣呑な顔つきをしている。

 作戦の総指揮に当たるジャベリンが速やかに進み出て、バルビエと事務的な確認の会話を交わした。その間、バルビエは常に何かを言いあぐねているような表情で、いつもなら容赦なく果断を下す大佐らしからぬ態度に見えた。

 ジャベリンの言葉を受け取り互いの連携を確認し終えると、バルビエは作戦に向かう面子を順に見回した。

「お前たちが拠点を発ったら、即刻砦全体に今回の危機を伝え、最上級の警戒体制を敷く。時魔導師にも、既にあらゆる準備をさせている。曹長、貴様と相談した手筈通りの備えだ。妙な心配はせず、お前たちはお前たちの仕事にあたれ」

 嫌味のない励ましに、俺だけでなく隣にいたライグとアルガンも静かに驚いた。

 ジャベリンは恭しく敬礼で答えたのち、表情を引き締める。

「此度の計画を許してくださり、誠に恐縮です、大佐殿。たとえ貴方の目が届かない場所での作戦であろうと、必ずや全身全霊で臨み、期待に応えて見せます。ですが、万が一我々にもしものことがあれば…――」

 ジャベリンはそれ以上言わずに、敬礼していた手を下ろした。バルビエはしばらくジャベリンの顔を見つめていたが、少し不服そうに目を反らして頷き、ぼそりと告げる。

「俺が認めた奇襲ではあるが、お前たちをこの作戦でなくすかもしれないと思うと心底遺憾である。元々、砦での戦いの大半は防城戦であり、潜入奇襲という損失が前提の任務へ送り出すことは少ないのだ。不安は尽きんが……ここはジャン・ティトルーズ曹長及びデシデリオ・グロンキ軍曹、それに倣う勇士の胆力を信じ、激励と共に送り出そうではないか」

 バルビエは厳粛な面持ちで宣告すると、ジャベリンに向かって右手を差し出した。

 あれは、俺が見た中で唯一、バルビエが自ら握手を要求した場面だ。

 ジャベリンは城主の手を固く握り返した。続いて、デシデリオも頼もしい笑みと共に握手に応じる。

 バルビエが握手を交わしたのはこの二人だけだったが、他の面々にもしっかり目線を向け、一人一人の顔を確認する。

 率直に申し上げると、俺は今まで、この男をただの暴君だの独裁者だのと罵っていた自分が、少しだけ決まり悪く感じられたよ。

 確かに、バルビエ自身は今でも好きになれないさ。俺にしてみれば、やつの圧制やアルガンへの仕打ちはあまりにも許しがたい。

 しかし、激戦区である蛇の牙をこれだけ強固に守り通すことができた男が歴史上他にいるだろうか?

 苛烈かつ冷酷ではあれど、やつの強靭な指揮官としての側面は認めざるを得ないだろう。

 俺は変な悔しさを抱きながら、他の仲間と共に敬礼で応じるより他なかった。

 こうして、俺たちは砦の主に見送られ、門衛たちが開け放った城門を潜り抜けた。

 まだ事情を知らない仲間たちが何事かと集まってきて、俺たちを落ち着きなく見守っていた。大佐に見送られている以上、なにか重大な任務に向かっているということは感じたらしく、彼らは砦から声を上げたり旗を振ったりして、遠ざかっていく俺たちに激励のエールを送ってきた。

 蛇の牙にやってきた当初は好きになれない連中だと思っていたが、しばらくいるうちに砦の兵士たちのことも随分わかってきた。

 ここにいるやつらのほとんどは、血の気が多くどうしようもない荒くれ者だ。

 それでも、果敢に戦いに赴く者には、最大級の称賛を送り惜しみなく武運を祈るもんなのさ。




 グレーデンの森は、冬になるとさらに暗鬱な空気を醸し出す。

 森中にはちらほらと戦士者の遺品や亡骸、戦闘の痕跡などが残っている。哨戒任務や偵察でこの有り様にも随分慣れたが、やはり陰惨な眺めであることに違いはない。

 俺は、木の根やぬかるみに足をとられないように気をつけながら歩き続けた。

 移動中の配置は特に決められていなかったので、俺はなんとなくライグ、アルガンと並び、無言で森の奥へ奥へと歩を進めた。

 もちろん作戦のことはずっと頭にあった。とても気楽な状態ではなかったが、頼れる仲間たちが前後にいるという安心感もあり、恐怖に襲われることはなかった。

 しかし、万が一この任務で命を落とすかもしれないと考えると、任務前にもっとリースベトと話しておけば良かった、なんていう後悔に駈られたりした。

 砦時代の俺にとって、彼女は唯一甘えられる女で心の拠り所だったからな。任務で心が張り詰めてくると、ついつい脳裏に浮かべてしまうんだ。

「要らん考え事はすんなよ。ぼーっとしてると、ふいに襲われたとき対処できんぞ」

 俺がそんなことを考えていると、いつの間にか俺の斜め後ろまで下がってきていたデシデリオが、ぼそりと警告してきた。

 甘やかなリースベトの追想から一転、野太い男の声でシビアな現実に呼び戻される。

「お前はライグと違って、肝心なときにぽやっとしちまう癖があるみたいだな?」

 そう言われて、俺はふとライグに目を向けた。どうやらぼんやりしているうちに歩速が落ちていたようで、いつの間にかライグとアルガンの少し後方を歩いていた。

 二人の大きな背を見たあと、さらに大柄なデシデリオに不満げに返す。

「尤もな忠告ありがとよ。だが、俺だって多少は緊張してるんだ。ライグみたいにはなれねぇよ」

「ほう? まぁ確かに、今すぐストイックになれってのは無理な話かもしれんがな」

 デシデリオはにやりとし、俺に寄せていた顔を離した。

 俺はふとやつの足元へ目を向ける。

 こちらの懸念に気づいたらしく、デシデリオはわざとらしく口をへの字にした。

「また余計な考え事か、トワ。他人の心配はしなくていいぞ。大佐も言ってただろ、お前はお前の仕事にあたれって」

 デシデリオやアルガンが心配じゃないと言えば嘘になるが、俺は仕方なく頷いた。

「……わかったよ。俺は俺の役目をこなすことに集中する。あんたも、指揮は隊長のロルダンに任せて、自分自身のことに集中するようにな」

「若造に説教されるたぁ笑えねぇな。心配無用だ、お前に言われるまでもなくわかってる。ロルダンは無愛想の塊みたいなやつだが、戦士としては優秀で案外引率力もあるし、そこに不安はねぇよ」

 デシデリオは歯を見せて笑い、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 それからは、特に会話もなく歩き続けた。ライグとアルガンが振り返り、俺とデシデリオに目配せしたりしてしてきたが、何か言ったりはしなかった。

 やがて、皇国軍が身を潜めている例の谷が迫ってきた。

 辺りの様相が少しずつ変わってきて、さらに茂みや木々が込み入ってきたのを感じていると、先頭から指示があったらしく、先を歩くライグとアルガンから止まれというジェスチャーが回ってきた。

 俺とデシデリオが後方のキャレたちにも同じ指示を伝え、部隊全体が静かに停止する。

 しばらく息を詰めてじっとしていたら、先の方に密やかな動きを感じて、全身に緊張がみなぎってきた。

 どうやら、先に敵方を見張っていた仲間たちと接触できたらしい。

 予定通りの流れで一安心だが、先遣部隊と合流したってことは、いよいよ作戦が動き出すって合図だ。

 俺が無意識にそわそわしていると、デシデリオが軽く背をはたいてくる。

「しっかりやれよ、小さな勇士」

 俺も健闘を祈る、くらいは言えたら良かったんだが、焦りもあって上手い言葉が返せず、デシデリオの腕に軽く拳を当てるにとどめた。

 馴染みの旧友の側を通り過ぎるときにも、二人がデシデリオと同じように俺の背を軽く手で叩いて勇気づけてくれた。そこでもたもたしていると別れが惜しくなりそうで、俺は小さく一言だけ「あとで会おうぜ」と伝えるのが精一杯だった。

 俺はライグとアルガンの脇を通り、先にいるゴーチエ――“蜘蛛”仲間の元へ向かう。

 ゴーチエは、俺を待ち構えるみたいに腕組みしてこちらを見ていた。相変わらず冷えきったおっかない目でな。

 ゴーチエの隣で、見張り役の仲間と軽く打ち合わせをしていたジャベリンが、俺がやってきたことに気づいて微笑む。

「なかなか来ないから、蜘蛛としての役目が怖くなったのかと思ったよ」

「やるっつったことはやるさ」俺はぶっきらぼうに答え、ゴーチエと向き合った。

「予定通りの動きでいいんだろ?」

「ああ。オレが言ったことはちゃんと覚えてるか?」

 ゴーチエは天気の話をするような呑気さで問いかけてきた。

 俺は相手の落ち着きぶりを頼もしくも不安にも思いながら、この日のために訓練したことや己の役割を頭の中で思い返す。

「『予想外のことが起きても慌てるな。冷静に行動すれば、血路は必ず拓ける』……だろ?」

 ゴーチエはフッと息を吐いて笑い、俺についてこいと手で合図して歩き出した。

 もう少しジャベリンとやり取りしたかったが、のろのろしている場合ではない。

 俺は少し焦って仲間の背を追いかけ、さらに鬱蒼とした藪深い森の奥へ足を進めた。

 未練たらしく一度だけ後方にいるであろう仲間の方を振り返ったが、残念なことに辺りは既に藪に覆われて、仲間たちの姿は見えなくなっていた。


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