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3話「審判の時」

 畳が敷き詰められた道場の床をゴロゴロと転がる。今日はこれで五度目。通算するとあまりに多すぎて分からない。おかげで受身だけはプロ級になった。



「いつも通り勝てる気がしねえ……」

「どうした、もうへばったのか?」



 顔をだけ上げると明花が竹刀を肩に乗っけてこちらを見ていた。



「今日はいつもより投げ出すのが早いな……。男として情けないぞ」



 明花はため息をついているが、貴女が強すぎるんです、とため息を吐き返してやりたい。姉の言うことと俺の持論、どちらが正しいのか証明するために剣道部の主将と試合をしてみたが、あっさり勝った。つまり姉がおかしいのだ、やっぱり。



「……でも、昨日から様子がおかしかったな。それが原因か」



 ちょっと黙っているとさっきまでの厳しい様子から一変、弟を心配する姉の顔になる。 


 陽太が姉にやられることに悔しさと情けなさを感じていたのは最初だけだった。この鍛錬は小学生になってから風邪でも引かない限り毎朝行っている。初めから明花には手も足も出ず、中学生になってようやく足ぐらいは出るようになった。でも依然として勝ちを取ったことはない。



「うん、まあ、それもあるかな。体動かせば少しは紛れるかなって思ったけど、無理みたいだ」



 よっと、という掛け声と共に立ち上がる。



「何があったのかはやはり話してくれないのか?」

「俺の問題だしな。そんなに深刻になるほどの事でもないから気にする必要はないぜ」



 あくまで些細な出来事であると主張する。でもそれは真っ赤な嘘だ。本当のことを話したら陽太は病院に連れて行かれるだろう。


 昨日、陽太はついにあの若宮都々良と接触を果たした。しかし、ようやく聞けた彼女の言葉は荒唐無稽なものだった。

 魔法使い。彼女ははっきりとそう言った。

 詳しく聞き出したかったけど、車の運転手や他の通行人が集まってきて、若宮はその群集の中に消えていった。

 その後は運転手と謝罪の押し付け合いをして警察沙汰になることなく終了した。解放された時には既に日が暮れていて帰るほかなかった。


 若宮に詳細を訊ねるには学校で顔を合わせるしかない。あの時何をしたのか、魔法使いとはどういうことなのか聞かねばならない。



「今はちょっとごちゃごちゃ考えたくないんだ。もう一回いこう、姉ちゃん」

「陽太がそう言うのならば……受けて立とう」



 陽太はもう一度明花と竹刀を打ち合う。細かいことを全て忘れてしまうぐらい、魂を込めて全力で。

 ……それでもやはり勝つことは出来なかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 昨日は迷惑をかけて、本当に悪かった! それともう一つ、昨日言ってたことって一体どういうことなんだ?


 若宮に声をかけるならこの言葉しかないだろうと陽太は考えていた。

 脳内シュミレーションは完璧。どんな突拍子もない答えが返ってきてもそこはアドリブでどうにかするしかない。


 陽太は覚悟を決めて学校にやってきたのだが、頭で考えるだけで声はかけられそうになかった。

 いざ行かん、と同じ道を辿らない決心で若宮の座る席に向かおうとするも、彼女の姿が見えた途端にこの前の恐怖が蘇ってそれどころじゃなくなってしまうのだ。

 悪い意味で彼女を正常に見られなくなっている。それほど昨日の出来事は鮮烈だったということだろう。

 

 守や武雄にも珍しく心配された。



「お前、今日顔色悪いぞ?」

「風邪か? 無理しない方がいいぞー」



 陽太が考えてる以上に昨日の影響が出ているらしい。いつも通り元気なんだけど、と思う気持ちももしかしたら強がりなのかもしれない。

 だがどんなに不調でも、若宮とは必ず接触を謀らねばならない。いつまでも謎を謎のままにしてたまるもんか。


 しかし、幸か不幸か若宮とのセカンドコンタクトはなんと彼女の方からアクションがあった。


 朝のHR前、若宮はいつも眠そうな目で誰とも喋らず不動を貫いていたのに、なんと今日の彼女は椅子から立ち上がった。

 クラスメイト達は若宮の挙動に注目した。彼女が向かった先は陽太の席。

 眼前に現れた巨大な少女に陽太は当然、うろたえ困惑した。



「大平君」

「な、何だ?」

「放課後時間空いてる?」

「空いてる……けど」

「なら、放課後図書室に来て」



 彼女は用件だけを素早く伝えると席に戻り、不動の若宮都々良に戻った。

 その間クラス中がざわめき、陽太と若宮を交互に見ていたのだが、当事者の陽太は周りに目を向ける余裕はなんてものはなく気づかずじまいだった。



「お、おい、あの若宮さんが放課後残ってって……お前一体何したんだ!?」

「何もしてねえよ。というか、俺にも何がなんだか……」

「若宮って見かけによらず大胆だな」

「多分だけど武雄が考えてる内容じゃないと思うぞ」



 守が「いや、どう考えても告白フラグだろ!」と若宮にも聞こえるような声量で叫ぶ。

 第三者から見たら当然そう思うのが普通だ。けど陽太だけは違う。

 若宮の陽太を見る目は心なしか昨日彼を恐怖させた陰りのある目だったように思える。

 

 もしかしたら、俺、呑気に詳細を聞いてる場合じゃないのかもしれない。

 



 その日は一日中気が気でなかった。見かけだけの体調不良が本物の体調不良に変わって早退するかどうか本気で悩んだほどだ。

 けど帰るわけにはいかなかった。意地でもいい。若宮と対面せねばならない。


 根性と気迫でこの日の授業を全て乗り越え、ついに約束の時間となった。



「……早いね」



 早めに教室を出たはずなのに、若宮は既に図書室の入り口に立っていた。



「あ、ああ。若宮こそ」



 どうにか紡いだ言葉もスルーされる。


 若宮は図書室のドアを開けて中に入り、奥に向かう。陽太もそれに続く。

 放課後ということも相まって生徒は陽太達以外はいなかった。司書もここからじゃ会話が聞き取れないはずだ。



「大平君」



 すぐ傍に席があるのに、そこには腰掛けなかった。陽太は立ったまま若宮と向かい合う。



「あなたに言わなきゃいけないことがあるの」



 彼女の口調は相変わらず変調のない淡々としたものだった。


 しかし陽太は気が気でなかった。心臓が跳ねる。罪の判決を受ける罪人のような心境だ。

 だが、ここに来るまでに覚悟は決めてある。その中には最悪の場合も当然含まれている。

 

 陽太は彼女の例の言動についていくらか考えてある。


 まず最初に昨日の言葉は嘘や冗談だった場合。もしそうだとしたら、そのネタ晴らしをここで行うつもりなんだと思う。

 けどあの場で訳のわからない冗談を仲良くもない相手に普通は言わない。

 ということは万が一ではあるが……彼女が本物の魔法使いである可能性が存在する。

 

 となると次に考えるのは、もしも本物の魔法使いならこの後若宮は陽太をどうするつもりなのかということ。

 

 若宮がこのような人目の少ない場所に連れ込んだことからも、周囲にはあまり知られたくない事であるのは確かだ。

 次にこの世界には魔法があって、それを何のために行使するかも影響してくる。漫画やアニメのように若宮のような魔法使いと対立する悪い機関があってそこと対決してたり、魔物と一般人の見知らぬところで戦っていたり……なんて事が考えられる。


 他にも魔法とは世界の最先端技術の結晶で、この世界の重要機密情報だとしたらどうなるか。

 秘密を知った人間には死んでもらう――なんて展開が待っていてもおかしくはない。


 ごくりと息を呑む。次に彼女が発する言葉は自分の人生や運命を大きく左右するものであるのは間違いない。


 ――あなたにはここで死んでもらう。


 そのような物騒な言葉が出ても、俺は驚かない。そして抗ってやる。死刑判決が出ても俺は最後の最後まで足掻いてやる。


 彼女が重々しく口を開く。


「私が魔法使いだってことは誰にも言わないで」

「……わかった。それで?」



 ひとまず、最悪の事態に繋がることはない模様。

 彼女の正体は誰にも言わない。まあこれは当たり前のことだ。でもこれで終わりのはずがない。まだその先があるはずだ。



「…………」

「…………」

「……それで?」

「それでって?」



 彼女は首を傾げる。



「い、いや、それで終わりなわけないだろ?」

「……? 私の伝えたいことはこれだけだよ?」

「嘘言うなって。若宮が俺に伝えたいこと、包み隠さず全部教えてくれ」

「私が魔法使いってことは秘密にして。……これで終わりだけど」

「…………」



 若宮の言葉によって陽太の時間が止まる。呆気にとられたともいう。

 呆然とした陽太を最初はポケーッと眺めていた若宮だったが、時間が経つにつれ彼の反応のなさに一人で勝手にオロオロしはじめる。



「お、大平君の電池が切れた……!」



 俺は電池式じゃねーぞ。

 でも若宮は大真面目に慌てている模様。



「す、すまん、俺の予想してた内容とは随分かけ離れてたから、ついフリーズしちまった」

「予想してた内容って?」

「それは……」



 冷静に省みると中二病患者も真っ青なフィクション群の妄想達だ。少し前まで大真面目に死とか秘密組織とか考えてた自分が恥ずかしくなる。穴があったら入りたい。



「……あ、ようやくわかった」



 羞恥心で逃げ出したい衝動に駆られる中、若宮が声を挙げた。茹蛸のように熱くなった顔で若宮を何とか視界に入れる。



「わかったって?」

「大平君の言う、『それで』が」



 陽太は再びギクリと体を硬くする。

 やはりまだ何かあるのか。何もないというのは思い過ごしだったということか。

 

 若宮はおもむろにバッグを漁り始めた。あのバッグから何を取り出すつもりなんだろう。やはり、魔法の道具とかそういったもので俺をどうにかするつもりなんだろうか。

 


 彼女はそれを取り出すと陽太に突きつけた。若宮が握るそれとは――彼女がいつも食べている卵蒸しパンだった。


 陽太は再び言葉を失う。若宮の表情から一体どういうことなのか窺おうにもやはり無表情を貫いていて分からずじまい……だと思ったのに表情はそのままで小刻みに震えていることに気づく。



「……何これ?」

「た、卵蒸しパン」



 見れば分かる。



「いや、何故その卵蒸しパンを俺に差し向けているのか、後なんで若干震えているのかを聞いてるんだけど」

「……口止め料」



 陽太は耳を疑った。



「タダで秘密を守ってほしいだなんて差し出がましいもの。こうでもしないと大平君は納得してくれないよね?」



 陽太の思考が止まった。茫然自失とはまさにこのことだろう。



「あ、えっと……」



 陽太の反応が消失したことに若宮は再び慌て、またカバンに手を突っ込んだ。



「い、一個じゃ少なすぎるよね。男の子だもん。そ、それともこれでも足りない? これ以上は本当の本当にないんだけど」



 若宮は自分で自分をどんどん追い詰めていた。誰の目にも明らかなくらい既に震えていて、いつの間にか怯えた表情に僅かだが変化していた。その様子はまるで蛇に睨まれた蛙みたいだ。


 自分より頭一つでかい少女が怯える姿を見て陽太はようやく冷静さを取り戻していく。天井を見上げ、長い息を吐く。なるほど。俺はもしかしたらとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。



「違うよ若宮。俺は卵蒸しパンが欲しいわけじゃない」

「卵蒸しパンじゃ満足できないってこと? だったら――」



 陽太が全ての言葉を言い終える前に若宮がそれ遮った。そして何故か彼女は制服のボタンに手をかけ、上から順に外していこうとする。

 陽太は慌てて彼女を止める。



「ちょ、ちょっと待て! 何しようとしてるんだ!?」

「卵蒸しパンが駄目なら、もう、女を捧げるしか……! は、初めてだから出来るだけ優しくしてくれる?」

「どう考えてもおかしいよな!? 蒸しパンから処女って重要度がインフラしてるレベルだぞ!?」



 若宮の天然ボケとしか思えない言動に聖域の図書館ということも忘れて声を荒げてしまう。

 司書が二人のことを睨んだが、不幸中の幸いか陽太の頭のお陰で若宮が第二ボタンまで外した姿は見られなかった。



「いいか若宮。落ち着いて聞いてくれ。とりあえず口止め料とか云々は置いといて、とにかくボタンを留めて欲しい」



 司書の視線を背中に感じた陽太は声を潜める。若宮は無言で頷き、シャツを元に戻す。



「言われたとおりにしたよ。私は何をすればいいの? どうすれば黙っててもらえる?」



 どんなに無茶なことを要求しても今の若宮ならやってしまいそうな勢いがあった。

 陽太は一瞬、大人の階段を昇る自分の姿を思い浮かべるが、常識と理性をもって邪な考えは隅においやった。



「どうするも何も、何かする必要も、あげる必要もない。口止め料なんていらないから」

「いらないの?」

「そう言われると少し勿体無い気がしないでもないけど……いらない。何もいらないから。ほんとに。無条件で秘密にしておくから安心してくれ」



 若宮の反応がなかった。分かりにくいけど、どうやら今度は彼女がポカンとしてるらしい。



「でも――」

「でもも何もないって。誰にも言わないでって若宮に言われて快諾したんだし。それに考えてみ? 約束破って誰かにバラしたとしても、俺の頭がイカれてるって思われるだけだ。もし俺がここで若宮に実は宇宙人でしたって告白したとして、若宮は俺の言葉を本気で信じたりする?」

「信じないし、何言ってるんだろこの人ってなると思う」



 素のトーンで返ってきて当たり前の返事なのに少々へこむ。。



「ま、まあつまりはそういうことだよ。そもそも、こうして念押しされるまで若宮が魔法使いだってのも半信半疑だったし」



 既に過去形なのは一連のやり取りを見て彼女のリアクションがあまりにも迫真に迫ってたから本当のことなんだろうと確信したからだ。今のが全て演技だとしたら彼女はハリウッド女優になれるだろう。

若宮はしばらくの間を空けた後、首を傾げて人差し指を顎に当てた。どうやら何か考え事をしてる模様。



「もしかしてだけど」

「うん」

「私が警告しなければ大平君は私のことを魔法使いとして見なかった?」

「多分。といっても昨日のことがあるから疑い深くなってて、俺の方から追求したと思うけど。まあ、シラを切られればそこまでだったと思う」

「…………」



 若宮の顔が一気に青くなる。気がつけば彼女の顔はもう無表情でも何でもなかった。


「なんて……こと」


 彼女は頭を抱えて「赤恵に怒られる」とボソボソ呟いている。

 赤恵とは誰なのか陽太には全く分からなかったが、自分の言葉が若宮をこんな風にしてしまったことは理解できる。

 彼女を負のイメージから脱出させるために話題を逸らしにかかる。



「な、なあ若宮、色々誤解が解けたところで確認したいんだけど、いいかな?」

「確認したいこと?」



 若宮は沈んだ顔をゆっくりと陽太に向ける。



「ああ、昨日のことで。あの歩道で一体何があったのか、詳しくは知らないんだ。猫を追いかけて俺も歩道に飛び出したら横から車が飛び出してきて、気づけば反対側の歩道で逆さまに倒れてた。反対側の歩道に倒れるまでの間に後ろから衝撃を感じんだけど、その衝撃が若宮の放った魔法ってことになのか?」



 彼女が発した「魔法使い」という単語に意識を囚われすぎていた。何者だ、と詰問しても普通あの場面で自分は魔法使いであることを告白したりしないだろう。もしするとしたら、あの場面で魔法を使った場合のみだろう。


 若宮は質問に対してあっさりと頷いた。



「あの時、咄嗟だったから魔力を調節出来なかったんだけど、怪我とかしてない?」

「コンクリートが背中に当たって若干痛んだぐらいかな。それに痛みやら怪我よりあの時は何が起きたのかって混乱してたからそれどころじゃなかったし」

「ごめん」

「……何で若宮が謝る必要があるんだ?」



 謝る必要があるのはむしろこちらの方だ。若宮は彼女を尾けていた男を善意で助けたのだ。なのに若宮は無機質な人間だ、何を考えてるかもわからない、と彼女の人間性を全く理解していないくせに勝手に解釈をして畏怖していた。それは若宮に対してどんなに失礼なことだろう。所詮心の中だけの思いだとしても、相手を誹謗したこと自体が罪なのだ。

 だから陽太はお詫びの言葉を口にしようとした。でも、思いとどまった。

 

 若宮に抱いた印象もそうだし、ストーカーじみた行為も謝罪に値する。しかし陽太がそのような行動に出たのも若宮に興味を持ったからだ。こうしてまともに話せるようになるまで紆余曲折あったものの、陽太にとっては嬉しいことなのには違いない。


 第一、彼女は命を救ってくれた恩人だ。命を救ってくれた人間にごめんという言葉は不釣合いだろう。

 なら、今俺が口にしないといけない言葉は――。



「若宮」

「何?」

「昨日は助けてくれてありがとう」



 いくらか緊張は解れてたとはいえ、硬い面持ちになってたはずだ。だから意識して顔を崩した。魔法使いという非日常の相手に対してじゃなくて、同じクラスの少し自分より背の高い女子に対する親身の笑顔を見せた。



「そ、そんなお礼を言う必要は……」



 若宮はうろたえていた。しかし、白い肌がほのかに赤みがかっている所を見ると満更でもなさそうだ。思わずほっこりとしてしまう。


 陽太はもう図書室に入る前までの陰鬱な感想は持っていなかった。代わりに浮かんできたのは目の前の彼女に対する純粋な好奇心。彼女自身のこと、それと「魔法使い」のこと。



「ちなみに昨日発動した魔法ってのは一体どういうのだったんだ?」

「風の魔法。風を大平君に当てて、吹き飛ばした」



 言葉だけ聞くととても物騒だ。それに背中に受けた衝撃は風というより、見えない塊がぶつかってきたような感蝕だった。どちらかというと空気砲と捉えた方がいいのかもしれない。



「失礼を承知で頼みたいことがあるんだけどいいか?」

「私に出来る範囲なら聞くよ」

「若宮が魔法使いなのは受け入れた。昨日の衝撃も魔法のものだって信じる。けど、どちらも聞くか感じただけで実物を目にしてないんだ。もし若宮がいいって言うなら、魔法ってやつを実際に見せてくれないかな?」



 声が大きくなりそうなのを抑えるのに必死だった。これからだというのに司書に不審に思われたら面倒だ。


 若宮は押し黙った。よくよく考えてみると、わざわざ向こうから口止めをしてくるくらいだから簡単には見せられないもののはずだ。そう思うと軽々しく口にしてしまったことが悔やまれる。



「来て」



 若宮は突然手首を掴んできた。驚く暇もなく図書室の奥へと連れ込まれてしまう。


 図書室の奥は歴史や宗教、自然や科学といった専門的分野の蔵書が一杯に置かれている。調べ物でもない限り、学生はまず近づかないエリアだ。それを理解しているかのように照明の光もここにはあまり届かない。秋になり、日が暮れるのも早くなっているのもあるが窓から差し込む光も微量なもので、棚に囲まれた奥はさらに暗い。


 両者の姿が影の中に落ちる。顔の細部は何とか見えるものの顔色なんかはもう判別できない。



「ここなら誰にも見られないから」



 司書の目も届かない位置にやってくると若宮は手を放した。次にその手の平を天井に向ける。



「大平君、触って」



 何の脈絡もなく彼女は言い放つ。



「触ってって……え?」

「ほら、早く」



 若宮は急かすようにもう一方の手で陽太の手を天井に差し向けた手の上に乗せる。

 手首を掴まれた時にも思ったけど、背の高さの割りに彼女の手は小さい。自分のゴツゴツした手に比べると、スベスベで繊細な手つきだ。


 若宮もやっぱり女の子なんだ。

 意識すると、手と手を重ねることが急に恥ずかしくなる。いけないことをしているような気分で、顔がカアッと熱くなるのを感じた。


 若宮はいつものように真顔だ。焦る陽太と違って彼女は手を触れ合わせていることを特に何とも思っていないらしい。



「手の平には何もないよね?」



 若宮は陽太の手を操作して自分の手の平の上を撫で回す。陽太はその行為にくすぐったさを感じた。



「あ、ああ……」

「ちゃんと確認したよね?」



 頷くと彼女は手を解放した。ドキドキしていて、確認どころじゃなかったけど。



「このように種も仕掛けもありません」

「え、手品でもするのか?」



 流れが全く読めない。

 若宮がクスっと微笑したように見えた。



「確かに今から行うのは魔法マジックだね。――行くよ」



 彼女の手の平の上に紅い灯火が発生した。ユラユラと揺らめいている。それは若宮や陽太の周りを明るく照らした。

 それが火であると把握するのにしばらく時間がかかった。

 彼女の手の平の上には見えない球体があった。儚い陽炎はその球体を包み込むように広がっていく。ただの灯火が火に、火が炎に変化していく。

 気がつくと火は球体を全て包み込み終えていた。彼女の手の上には煌々と輝く火の玉が乗っている。


「どう?」


 若宮は陽太の目を見て語りかける。


 さっきまではおぼろげだった若宮の顔がはっきりと見える。おっとりとした、目尻の下がった目。ゆるくてふわふわとしたボブにウェーブがかかったような癖毛に淡い茶色の髪。艶やかに光る真紅の唇。

 炎が照らす白くて端整な顔立ちは、真ん丸な火の玉のように精巧で神秘的な様相を醸し出している。


 綺麗だ、と思った。



「これが魔法だよ」



 若宮都々良という魔法使いは魅力的な笑顔を浮かべていた。




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