09
「おかーさん、外なに?」
「あなたも清めてらっしゃい」
憤懣しきりの母。買い物から戻るとドアの前にゴミが散乱していたらしい。「すぐ出てけ!」の書き置きつきで。
出てけ、とはまたいかにも典型的な……。嫌がらせのことを言おうかどうか迷っていると、気持ちが鎮まらない母は、荒々しく立ち上がった。
「お祓いよ、お祓い! こんなしみったれたケチつけられて、そのうち何かあったらどうするの?」
「おかーさん、あのさ」
「お母さんはお父さんに電話するから、寿子は神主さんに予定聞いてきて」
「そっちも電話したらいーじゃん!」
塩の次は、パシリ?
「寿子、熱意の問題よ! 一刻も早く、最善の状態に! お父さんの娘なんだから分かるでしょ!」
営業マンのつれあいは、その信条を娘にも植えつけようとしてる。
着替える暇ももらえずに、あたしは神社へと遣わされた。
村井塗装に差しかかると、ガレージの脇で孝介がペンキ缶を広げ、色まみれになっていた。
「あれ? 西谷、今帰り?」
そうだ、村井家なら知ってるかも。
「聞きたいんだけどさ、最近このへんで、店できたり潰れたりした?」
「はあ? みせ? ないよ、たぶん。少なくとも、親父んとこにはそんな話来てない」
「そっか」
家に嫌がらせなんて、あたし個人への不満にしては度が過ぎている。母は平和な主婦だし。ということは、父の仕事関係に因縁つけたいやつなのかも、と思ったのにな。
「なに、何か特別な買いもん? ならあそこだろ、ちょっと遠いけど、隣町の「サカキ」。ホームセンターなわりに、いろいろ揃ってるらしいぜ」
日曜大工すんじゃないんだよ! 塗装用品もいらないよ! うち、賃貸だから!
カラフルな刷毛片手に、独特のアドバイスをくれる村井孝介へ、心の中でつっ込む。
「西谷んちって、親父さん薬屋なんだろ? サカキにも行ってんじゃないの? あそこ、敷地ん中にドラッグストアもあるし」
引き返そうとする足が止まった。
「ドラッグストア?」
「うん。まあ、サカキができたときにも、客が減るっつってこのへんの店が騒いだんだけど。医療系まで持ってこられると、さすがになー、ちょっと“終わりだ”って感じ、するよなあ」
あたしは脳みそをひっかき回す。町内にある薬屋、確か「キタノ薬局」。おじさんの薬剤師さんが、よろしく、って……。
「村井くん、キタノ薬局の子供とか、もしかして三中にいる?」
「北野? 2組の、北野由美子?」
「その子か!」
父がサカキに出入りしてるかどうか、知らないけど、決めつけるのもよくないけど、でもその子が何か関わってる気がした。
「ありがと!」
何が? って顔してる村井孝介を背に、道へ出てから、あたしは行く先に迷った。
家? キタノ薬局? 神社?
……神社か。北野さんと決まったわけじゃないし、誰の仕業か分かったとしても、きっとかーさんはお祓いしたいだろう。
夕暮れ始めた空と同じくらい、炎色の鳥居が向こうに見えていた。さして遠くないそこがはるか先に、億劫に感じた。
嫌がらせ。つまり、たぶん、八つ当たり。やだなあ、こういうのを知ってしまうのは。降参する気なんてないけど、もし本当に考えた通りなら、うちが引っ越すのが解決策じゃないか。
『あの子、にし……何てったっけ?』
また、あんな夢を見る。引っ越すたび、転校するたび、あたしは同じ夢を見る。
登場人物は次々変わるのに、ストーリーは変わらない。
とろっとした退廃が似合う境内は、いつものように無人で、全てが赤々と慈しみ深く染まっていた。ぶしつけに入り込んだあたしは、優しくつき放されそうな気がした。
ケータイが震える。開く。またおかーさんだ。
『お父さん、土曜日休めるって。神主さんに聞いてみて』
はいはい。っても誰もいないし。お家かな?
境内をつっきる途中で、低く押し潰したような声が聞こえた。古いお社のところに、息子神主がいる。……お祓いは、絶対、宮司さんに依頼したい。ちょうどいいや。取り次いでもらおう。
「すいませーん」
一人分の声だし電話中かと思ったけど、違った。
「お、どした?」
息子は、萎れたハリセンみたいなのを持っていた。お仕事中だったんだ。
「うちで、お祓いお願いしたくって」
逆光になって、神主の輪郭が炎色に縁どられる。焦げ茶色の髪が、違う色に見えた。
「祓い? 何の?」
ああいうのは、何なんだろう? お清め?
「宮司さん、いますか?」
「ハゲはまだ帰ってねえけど……。……。あんた、クセついてんな」
「え?」
息子神主がこっちへ近づいてくる。なぜだかとても苦々しい顔をして。
「クセ?」
「しみついて、フツーになってて、もう麻痺してんだろ?」
何を言われてるんだか、さっぱり分からない。
すぐ真正面までやってきた息子は、いきなり、あたしの手からケータイを掠めとった。
「ハイ、失礼」
そして勝手に操作し始めた。
「なにっ? ちょっと、返してよっ」
慌てて手を伸ばしたけど、悔しいことに、息子の身長+腕には敵わなかった。