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「志信っ!」
きーんと直線的な怒声に振り返ると、雪だるまみたいな純白さのままで、ギャルが猛然と走り込んでくるところだった。とんでもない光景だ。
「待てって、美晴! お前、旦那の家に行かなきゃだめだろー! コラ、まず走んな!」
雪だるまを追ってくるのはスーツの男の人。全体に造りがごっつい人だった。
「うっせぇな! その前にくじ引かなきゃなんねーんだよ!」
「もう引ーたじゃねぇか。同じ願かけで何回もくじしたって、意味ねんだよ。つか、ひっくり返しても出なかったろ? そーいうことなんだって、分かれ」
息子はげんなり。
「てめえがあんな祝詞読むからだよ! いーからもっかい引かせな!」
新婦と神主の掴み合いは、小坂さんが寸前で止めた。
「ねえ美晴ちゃん、そろそろ教えてよー。願い事って何だったの? 場合によっては、仲人(の娘)権力、行使します」
さすがだ、町内会長(の娘)。
中学生に怯み、神主の胸倉から手を離して、ギャルは小声で言った。
「……“生まれる子が、修一に似ますように”。あたしに似たら、100パー悪ガキになんじゃん」
数秒、誰も動かなかった。
「そんで美晴ちゃん、何出したの?」
「大凶」
数秒、誰もが腹筋に力を込めた。
ひどく真面目な表情を目指し、完全に失敗した不自然な口元で、息子は結論づけた。
「まあ、諦めろ。俺のくじは当たんだよ、ばくぜんと」
始まりは、こんなふうだった。思い返してみて、いっそう鮮明に浮かぶ記憶。
今に続いている。あたしは今も同じ町にいる。おみくじ効果かどうかは、判然としないけど。
まあでも、その秋に生まれた美晴ちゃん(今ではあたしもこう呼んでいる)の子は、すくすく母親に似てきているし、うちの父は現在、単身赴任中だ。あたしが高1の冬、辞令が出たのだった。
残りたいと両親に言えたのは、もう子供じゃないって意思表示でもあったけど、留まって大事にしたいものを譲れなかったから。あの夢も、もう見なくなった。
美晴ちゃんを追っかけてきたいかつい人は、大橋哲夫、という警察官。彼女や息子神主の同級生だ。
哲夫くんは時々、勤務中に神社へやってくる。仕事の相談や愚痴を、幼なじみ相手に延々吐き出していくらしい。
哲夫くんが帰る頃には必ず、息子の目がうつろになっている。
「そーやって、みんなの話聞くのも神主の仕事じゃんか」
「あんっなやたら熱血、ハゲ一人でじゅーぶん」
「し……、志信って……、ほんと性根からテキトーだよね」
「お前、まだ神主ナメてんな? 改心したんじゃなかったか」
えっ、言及するとこ、そこ!? 一世一代の勇気で呼び捨てしてみたのに!
乙女心、あっさりスルーされた、高2の夏。
あたしはそこで、しゃらーり聞き流しやがった神主にめげず、じゃあ次は何味の飴、差し入れよう? って企んだ。“このへんの一員”らしく。
信心あつく、日々にやわらかい人々がいて、深緑に守られた古い神社がある“このへん”とは、「咲待町〈さきまちちょう〉」。
花開く何かを、心待ちに過ごす。
それは、願い事に似ている。
若女〈わかおんな〉
;色入リ役の女の全般(観世が主用)
色入リ
;赤い色の入った装束、若い女性であることを示す。小面〈こおもて〉と同義。