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こよいこよいこ  作者:
かみさまほとけさま・若女
14/18

14

「掛まくも畏き某神社に神鎮り坐す、稲荷大神、産土大神の貴の大前に恐み恐みも白さく、

 千早振る神代の昔、神御祖伊邪那岐・伊邪那美妹背ニ柱の大神、天津神の御代さしの随に、婚姻の道を起こし給い定め給いし尊き神業に習い奉ると、

 今度高木修一は藤井美晴を嫁と選び定め、夫婦の契を結び固むるに依りて、

 八十日日は有れども今日の生日の足日の吉日に、家族親族と共に御前に参集待わり、御饌・御酒種々の味物を捧げ奉りてーー」


 穏やかにやわらかに進んでいた式を、くっきりと、粛然さが貫いた。誰もが気づいた粛然さだった。


 あたしはこのとき、神主さんが読み上げる長々と古めかしい文章を「祝詞」と呼ぶことさえ知らなかった。ただもう圧倒されて、息子の高い背中を見つめるばかりだった。


 凛と張った美しい声が境内中を巡り、満たし、空へ昇ってゆくようだった。宮司さんのはお経みたいだと思ったのに、まあ息子神主のも、ぼうっとしてしまって理解できなかったんだけど、でもこれは音楽みたいだ。

 清い、重い言葉が非日常の節をまとい、あたしたちの息も調和させて、意志のかたまりみたいに巻き込んでいく。


 神様に捧げる、って意味が分かる気がした。言葉が、空気に溶けていく感覚。

 神主さんってこういうものだったんだ。



 祝詞は一旦、雲が薄くたなびくように終わりを見せた。ゆったりと、呼吸ひとつ分空けて、


「ーー重ね、言わまくも綾に畏き高皇産霊神・神皇産霊神、産土大神の御前に恐み恐みも白さく」


 息子の声色が低く調子を変え、初めの緊張感を蘇らせる。

 恭しく頭を垂れていたギャルが、わずかに顔を上げたのが見えた。


「大神等の高き尊き大御稜威の射照り輝きて、所領坐す藤井美晴い、曩に産霊神の高き畏き御霊幸え坐して懐妊りしに、

 大前に幣帛捧げ奉り如何で平穏に真玉如す子を産ましめ給えと、乞い祈ぎ奉る状を平けく安けく諾い聞食して、

 広き厚き恩頼を蒙しめ給いて、日に異に調え備わり行きて、母にも胎児にも喪無く事無く海原に満ち来たる潮の月満ち足りて、真玉如す美しき真名子を安く穏しく産ましめ給い、

 初声高く産まれ出でたる嬰児は身健康に須久須久と、双葉の松の千代掛けて直く正しく生い立ち行かしめ給えと、恐み恐みも乞い祈ぎ奉らくと白す」


 今度は、端々に聞きとった単語で、何を言ったんだか想像できた。

 お腹の子が無事生まれますように、すくすく育ちますように、ってことだよね。

 だそうですよ、ギャル。彼女は再び顔を伏せていて、傍らで高木さんが真剣に目を閉じていた。


 ずっと息子の迫力に圧されていたあたしは、高揚した体が不思議な熱を帯び、それが心臓あたりに集まってくるのを感じた。

 昇っていったのは神主の声だけじゃなく、ここにいる全員の気持ちなんだ。


 ぎゅっとくる熱は、あたしに気づかせる。

 目に見えない、大きくて尊い神様。そんな、あても途方もないものに呼びかけて、誓いの強さを表明したり、未来の輝きを祈ったりする、人の心。ちっぽけで、変わりやすくて、でもたまにとてつもないものを動かしたりする。


 かみさまほとけさま、と唱える奥で、みんな、未来の自分に頼むんだ。変えるのは、自分だから。


 ポケットの中のおみくじに、そっと触れた。

 ああ、来てよかった。

 正直に思えた。




「小坂さん、村井くん、こないだはどうもありがとう」


 式が終わり、人々が高木家へ移動するざわめきに紛れぬよう、あたしはしっかり口にした。

 二人は何も言わずに、空みたく晴れ晴れと頷いてくれた。


「よ、のど飴持ってきたか?」

 尻尾帽子だけ外した格好で、息子がてれんてれん歩み寄ってきた。

「今日? 何で?」

 息子は、尋ねたあたしと同じ顔をする。

「お前、くじ結ぶ気になっただろーが! 俺のおかげだと思わねえの?」


 逆にびっくり、な口ぶりに、あたしはうろたえて返事に詰まる。ほんとに、どうしてこいつは人の変化をいちいち察するんだろう。

「それは……まあ」

「なになに? あっ、寿子ちゃん、大吉出したんだよね!」

「マジで!? 西谷、願っとけって!」


 興奮する二人に急かされて、あたしたちは老木のもとへ進んだ。

 透けそうな紙でできたおみくじは、時々、緩やかな風に揺れて、野の白い花みたいだ。ひとつひとつが、願い事だった。


 願うことは、未来を変える、狼煙。

 情けなくもくだらなくもない。たまに、とてつもないものを動かしたりするから。



“かみさま、ほとけさま”


「……どうか、長く、人生最後の瞬間にも思い出すってくらい長く、この町にいられますように!」


 叶うなら、あたしが収まる、かたちを。


「全部大事にするから、もー隙間なんかできませんように!」


 思いっきり叫んだら、胸の熱が両目に上がってきて、確かなものの存在を、あたしに抱かせた。


 これからは、忘れたりしない。

 忘れるはずない、この町には色鮮やかな人たちが住んでいる。

 淡くて、静かで、疲れていたのは、あたしだった。

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