カルボナーラ 厚切りベーコン追加で
働きやすい会社かどうかを判断する基準の一つに、離職率があるのではないだろうか。
私が入社後に配属された部署は、就職氷河期にはほとんど見つからないと言われていた正社員の事務職であるにもかかわらず、平均在職期間は一か月だった。
中には、一日で辞めてしまった人もいたらしい。
今にして思えば、彼女たちは根性なしというよりも、むしろ危険察知能力に長けた人たちだったのだろう。
約一年にわたり、担当者が月に一度の頻度で交代するという弊害は、部署のあちこちに表れていた。
入社したときにはすでに前任者は辞めていたので、十二人の前任者が残した足跡をたどることから、私の会社員人生は始まった。
それは、伝言ゲームがどのように狂っていくのかを、目の前で見せられているようだった。
書類が右揃えなのか左揃えなのかといった小さなところから、発注書が見つからないといった大きなところまで、混乱は日常の風景だった。
そんな中で、オペレーションは隣の部署の入社二、三年目の先輩が教えてくれた。
しかし彼女にも自分の仕事があるうえに、「教えては辞められ」を一年間繰り返してきたせいか、私に教えるころには、もう面倒くささを隠そうともしていなかった。
日常会話だと思って聞いていたら、「じゃ、引き継ぎ終わったから」と言って自分の業務に戻ってしまったり、「教えてくれ」と頼むと「発注が終わるまで待って」「今から教えると定時に帰れないから」などと言って、何日も教えてくれなかったりと、私はしだいに困る状況に追い込まれていた。
そして、にっちもさっちもいかなくなり、営業や上司が苛立って私を責め出す頃になると、彼女は颯爽と現れて、ささっと問題を解決しては賞賛をかっさらっていった。
業務ができるように育ててもらえるのだと思って入社してきた私は、その態度にすっかり面食らってしまった。
自部署の営業や上司は、新人を育てるよりも彼女をちやほやしておいたほうが自分の仕事がスムーズに進むらしく、私のことはないがしろにしていた。
それを不憫に思ったのか、まったく関係のない部署の人たちや、彼女と同じ部署に来ていた派遣さんが、何度もフォローの手を差し伸べてくれた。
あのとき彼らの助けがなかったら、私はきっと辞めていただろう。
このときの彼女への接し方の「正解」は、「せんぱ〜い、すご〜い! 尊敬しま〜す!」と、ひたすら崇め奉ることだったのだろう。
残念なことに、こちらは何百社もの面接に落ちた落ちこぼれである。そんなヨイショスキルなど、持ち合わせてはいなかった。
初ボーナスが出るころ、彼女は私と派遣さんに日頃の労いとしてランチをご馳走すると言ってきた。
固辞したが、押し切られるように「〇〇日、十二時に会社の入口で待ち合わせね。イタリアン食べに行こう」と日取りを決められた。
私は、奢られ慣れていなかったうえに、悪印象の人からのお誘いに困惑していたが、派遣さんは「まあ、いいんじゃない? たぶん課長が出資しているよ」と軽い感じだった。
そして当日、私は置いて行かれた。
先輩とも派遣さんとも、個人の連絡先など交換していなかった。
十分待っても二人が来ないことを悟った私は、前から行きたかったカルボナーラ専門店に向かった。
運よく空いていたカウンター席に一人で座る。
多くはないがボーナスが出たのだからと、トッピングの中でも一番高かった厚切りベーコンを追加した。
しばらくして、目の前にどん、と厚い木挽きの皿に盛られたパスタが置かれた。
黄身色のクリームと、おろしたてのチーズ、そして、あかんべえと舌を出したような厚切りベーコン。
濃厚な三か月を過ごした自分に贈るのに、これほど適したランチはないだろう。
なめらかな卵黄ベースのソースはささくれだった気持ちを包み、粉チーズは花吹雪のように祝い、ベーコンは一緒に悪態をついてくれた。
何事もなかったかのように、午後の業務も始まった。
派遣さんからは「ごめん。強引に連れ出された」と社内メールが来たが、大したダメージもなかったので、「きにしないで」とだけ返した。
強く元気に美しく。
それが正解だと思っていた。
何年勤めたいかにもよるが、定年まで波風立てずに過ごすための正解の態度は、「べしょべしょ泣く」ことだったんじゃないだろうか。
時として、弱いふりをしておくほうが正解だと知るのは、もっとずっと後のことだった。




