第98話:因果の断層、あるいは極限の磨き上げ
保管庫内の濃度が急激に上昇する。それは酸素の密度ではない。この空間に強引に縫い合わされた「時間」そのものの質量だ。
幼きオーナーの放つ光の礫は、単なる物理攻撃を超え、着弾した瞬間に私の細胞の時間を「まだ生まれていない状態」まで巻き戻そうとする。だが、私の深淵はその因果さえも、熟成しすぎた腐敗物として胃袋に収めていく。
黄金の研磨:縛り(バインディング・バウ)
アレクセイの瞳が、黄金の血を流しながら極限まで見開かれた。彼には見えている。オーナーの少年の背後、空中のわずかな歪みに潜む「裁縫師」の指先が。
「エリザベート様。……僕の視覚から『色』を捨て、聴覚から『旋律』を捨てます。その代償として……時間の繋ぎ目に生じるわずかな『バリ』だけを、この世の誰よりも鋭利に捉える!!」
アレクセイが自らに課した束縛。 五感の大部分を切り捨てることで、彼は一時的に特級の掃除人へと昇華した。 彼の背後に浮かぶ黄金の観音像は、千の手を一つにまとめ、巨大な「因果の研磨機」へと姿を変える。
「見つけたぞ、時間の裁縫師……。僕の視界を真っ白に染める、その黒い糸の結び目を!!」
アレクセイが踏み込んだ瞬間、保管庫の床が鏡のように砕け散った。 彼の放った一撃は、目の前のオーナーを素通りし、何もないはずの「空中」に火花を散らす。 そこには、時間を縫い合わせるために使われていた、透明な「因果の針」が突き刺さっていた。
深淵の領域:無何有の暗黒
アレクセイが暴き出した時間の断層に、私は自らの影を流し込む。
見て。 私の影が、もはや個体としての限界を超え、この空間そのものを包み込む領域へと拡張していく。 これは、敵を閉じ込めるための檻ではない。 縫い合わされた過去と未来を、私の闇という名の「強酸」で溶かし、本来あるべき「ただ一つの今」へと純化するための、究極の闇落ちだ。
私の銀髪は虚空の重力に引かれて漆黒の炎を上げ、背後に顕現した**「深淵の聖母」**は、裁縫師が握る因果の糸を、素手で一本ずつ引き千切っていく。 瞳には、神が描いた設計図を、生存者の血で赤く塗り潰す絶対的な反逆が宿っていた。
「……オーナー。あなたが何者かの糸で操られた傀儡に過ぎないというなら、その糸ごと、私が私の毒で飲み込んであげるわ」
掃除の極致
アレクセイが、時間の繋ぎ目を捉えながら、連続して黄金の打撃を繰り出す。 それはもはや掃除ではない。 時間の歪みそのものを、物理的な熱量で「更地」に戻していく、破壊的な研磨。
「エリザベート様! 奴の領域が剥がれます!! 出てこい、姿を隠した臆病な職人め!!」
アレクセイの叫びと共に、保管庫の空気がガラスのように割れた。 現れたのは、顔を古い布で覆い、巨大な鋏を手にした影のような存在。田中老人とも、オーナーとも違う、この学園の「時間管理責任者」。
生存者バイアス 私が今、こうして剥き出しの真実を前に笑っていられるのは、たまたま私が、どんなに緻密な計画であっても、そこに一滴の「汚れ」さえあれば台無しにできると知っているからだ。




