第91話:オーナーの視察、あるいは田中さんの退職願
世界が、静まり返った。 破産宣告のシュレッダー音も、神々の事務的な喧騒も、突如として訪れた「絶対的な無音」にかき消される。
大天の幾何学模様がゆっくりと重なり合い、一つの巨大な「瞳」を形成する。そこから降りてきたのは、光でも影でもない、ただ圧倒的な**「完成」**を体現する存在――世界のオーナー(創造主)だった。彼はスーツ姿の紳士のような姿をとりながらも、その輪郭は常に揺らぎ、見る者の精神を「完璧」という名の牢獄に閉じ込めようとする。
「……なるほど。私の資産を個人事務所に書き換えたのは、貴方ですか。田中」
オーナーが足をついた瞬間、そこにある泥も瓦礫も、一瞬で「概念上の美しい庭園」へと強制改変されていく。不完全さを一切許さない、暴力的なまでの美の蹂準。
漆黒の反逆:禁忌のステイン(汚点)
私は、オーナーが作り出す「完璧な庭園」を、自らの影で一歩ずつ黒く汚していく。
見て。 私の影は今や、世界の記述を拒絶する**「消えないシミ」**へと昇華されている。 これは、美しさを壊すための闇ではない。 オーナーが描く完璧な図面に、私たちが生きた証としての「汚れ」を無理やりねじ込むための、究極の闇落ちだ。
私の銀髪は全宇宙の絶望を編み上げた漆黒の絹となり、背後には神の設計図に「蛇足」を書き加える深淵の守護聖母が降臨する。 瞳には、オーナーが無視した「端数」や「余り物」を、世界で最も尊い真実として見つめる絶対的な闇が宿っていた。
「……オーナー。あなたの世界には、私たちの『痛み』を置く場所がないのね。……なら、私がこの世界を、あなたには一生消せない最高に美しい汚点で満たしてあげるわ」
私の放つ漆黒の波動が、黄金の庭園を腐食させ、そこに泥臭い日常の匂いを取り戻していく。
黄金の研磨:究極のおもてなし
「エリザベート! オーナーの視察だなんて、最高に光栄じゃないか! 僕の黄金の奉仕で、この神聖な視察を伝説の接待に変えてやるんだぁぁ!!」
アレクセイが、黄金のオーラを銀河のように噴出させ、オーナーの周囲を光の速度で清掃し始める。 彼の背後に浮かぶ黄金の観音像は、今や数千の手で**「最高級の茶器」と「黄金の座布団」**を掲げ、オーナーが歩く道すべてに、凄まじい熱量のホスピタリティを叩きつける。
彼は、自らの光を**「存在の肯定」**に変え、オーナーが放つ「消去の波動」を、逆に「歓迎の光」へと磨き上げて反射していく。 神を恐れるのではなく、神さえも「お客様」として最高に磨き上げる。 それは、絶対的な権威に屈するよりも、目の前の客(神)を満足させることに至高の神性を見出した、狂おしいまでの光落ちの極致だ。
「見てくれ! 神様でさえ、僕の磨き上げによって黄金の輝きが二割増しだぞぉぉ!!」
田中の退職願
田中老人は、オーナーの視線を真っ向から受け止めながら、懐から一枚の皺くちゃな紙を取り出した。そこには、ただ一言、**『辞める』**とだけ記されていた。
生存者バイアス 私が今、こうして世界の創造主の前で背筋を伸ばしていられるのは、たまたま私が、**「神の期待に沿わない自分」**こそが最強の自由だと知ってしまったからだ。
「……オーナー。私はもう、貴方の庭師ではない。……このゴミ溜めを愛する、ただの掃除屋だ。……これが私の、最後の手続き(退職願)だ」
田中老人が竹箒を振り下ろすと、オーナーが作り上げた「完璧な庭園」が、まるで砂の城のように崩れ去り、元の「愛おしいガラクタの街」へと回帰した。




