第88話:煮沸される街、あるいはサリエルの有給申請
空が、巨大な圧力釜の蓋のように閉じ始めた。 大天の神々が下した最終審判。それは、この世界の不純物を熱の奔流で根こそぎ奪い去る 全域煮沸消毒 だった。
管理官たちの防護服が溶け、むき出しの歯車が高速回転を始める。街全体に立ち込めるのは、かつてないほどの熱を帯びた、純白の蒸気だ。それに触れた路地のカビも、人々の心の澱も、沸騰する水泡となって弾け飛んでいく。
氷結の深淵:死を抱く安息
私は、ゼロの小さな体を自分の胸に押し当て、自らの血液を 凍てつく闇 へと変える。
見て。 私の影が、もはや色を持たない 虚無の鎧 となって、事務所の輪郭を外界から切り離していく。 これは、寒さに震えるための冷気ではない。 煮え滾る神の慈悲から、この愛おしい 生活の腐敗 を守り抜くために、世界の温度を物理的に 零 へと引き下げる、究極の闇落ちだ。
私の銀髪は夜の深淵に凍りついた漆黒の氷柱となり、背後には熱にうなされる者たちの額を撫でる 死を抱く聖母 が降臨する。 瞳には、神々が求める清浄な熱狂を、絶対的な 静寂 で上書きする暗黒が宿っていた。
「……熱いわね、神様。あなたの正義が沸騰しているなら、私はこの街を 冷徹な墓標 に変えてでも、あなたの手を止めてみせるわ」
私の放つ漆黒の冷気が、街を覆う蒸気を結晶化させ、神々の煮沸を 美しき絶望の氷原 へと変質させていく。
黄金の研磨:極上のサウナ
「エリザベート! この神聖な熱気、最高の サウナ じゃないか! 僕の黄金の奉仕で、この街を極上のリラクゼーション・スポットに変えてやるんだぁぁ!!」
アレクセイが、黄金のオーラを蒸気と融合させ、事務所の周りを旋回し始める。 彼の背後に浮かぶ黄金の観音像は、今や数千の手で 聖なる団扇 と 冷たいお絞り を掲げ、押し寄せる煮沸の波を、黄金の 清涼感 へと変換していく。
彼は、自らの光を 放熱板 に変え、管理官たちが生み出す死の熱量を、物理的な 快感 へと昇華させていく。 熱に苦しむのではなく、その熱さえも サービス の一部として使い倒す。 それは、完璧な安息を享受するよりも、極限の状態を おもてなし へと転じることに至高の価値を見出した、狂おしいまでの 光落ち の極致だ。
「見てくれ! 神様の煮沸さえ、僕が磨けば 黄金の癒やし に変わるぞぉぉ!!」
生存者の抵抗
私は、サリエルが震える指で一枚の紙を空中に投影するのを見た。
生存者バイアス 私が今、こうして沸騰する世界のなかで呼吸を続けていられるのは、たまたま私が、 不快 という感覚こそが生命の最後の砦だと信じてしまったからだ。
「……承認、されました。……田中さんの代理としての、私の 有給休暇 が。……そして、これこそが大天の労働基準法を逆手に取った、 強制閉鎖 の申請書です」
サリエルが掲げた書類が黒い炎を上げて燃え上がる。その瞬間、街を包んでいた圧力釜の蓋が、大天の事務的なエラーによって物理的に ロックアウト された。




