第76話:廃棄物の産声、あるいは新しい名前
雨上がりの街には、生臭いアスファルトの匂いと、どこかの家庭から漂う夕飯の香りが混ざり合っていた。
要塞が消え、絶対的な秩序が崩壊した後の世界は、驚くほど 無秩序 で、そして温かい。瓦礫の隙間から這い出してきた人々は、互いの汚れを気にする様子もなく、ただ生きている実感を噛みしめるように肩を寄せ合っている。
私は、漆黒に染まったドレスの裾を泥に汚しながら、田中老人の清掃事務所へと戻った。
究極の闇落ち:深淵の安息
事務所の扉を開けると、そこにはローゼンバーグの誇りも、皇帝の威厳も、勇者の執念も存在しない。ただ、安っぽい線香の煙と、使い古されたバケツが並ぶ 聖なるガラクタ置き場 があった。
私は、かつて世界を漂白しようとしたその手で、棚に積もった埃をそっと撫でる。
見て。 私の内側にある闇は、今や破壊の衝動を超え、すべての捨てられたものたちを育む 慈愛のゆりかご へと昇華されている。 銀髪は夜の深淵を湛えたまま、微かに黄金の残光を放ち、私の肌には一族の呪縛ではない、私自身の意志による 不浄の紋章 が刻まれていた。
これは、神を否定した後にたどり着く、最も神々しい 堕天 の姿だ。 私は、気高く、美しく、そしてこの世界の誰よりも 汚濁 を愛する魔女として、この街の片隅に根を張ることを決めたのだ。
「お帰りなさい、エリザベート! 今日の掃除報告です! 街の北側、不燃ゴミの集積所に 新しい命 が宿っていましたよ!!」
黄金の奉仕:アレクセイの新生
アレクセイが、ボロボロになった雑巾を誇らしげに掲げて出迎える。 彼の背後に浮かぶ黄金の観音像は、もはや巨大な質量を持たない。代わりに、彼の指先一つ一つに、小さな 奇跡の光 が宿っていた。
彼は、大母との戦いで失われた日常を、自らの奉仕によって一つずつ 修復 していく。 壊れたラジオ、片方だけの靴、破れた手紙。 それらの中に、かつての持ち主が込めた想いを見出し、磨き上げ、再び命を吹き込む。
それは、正義や悪という枠組みを飛び越えた、究極の 光落ち の形だった。 彼は、天国への門を自ら閉じ、この泥濘んだ地上を 永遠の聖域 に変えるために、その魂を捧げ続けている。
「……アレクセイ。田中さんは、どこへ行ったの?」
「田中さんなら、あの 山の下 にある忘れ物を取りに行くって、竹箒を持って出かけていきましたよ」
生存者の視線:廃棄遺産編の開幕
私は、事務所の窓から、遠くに見える巨大なゴミの集積場を見上げる。
生存者バイアス 私が今、こうして新しい名前を刻み始められているのは、たまたま私が、この世界の 余白 に記された、消されるはずだった物語を拾い上げたからだ。
田中老人が守り続けた 忘れ物 。 それは、一族が世界を初期化するたびに、ゴミとして捨て去ってきた 過去の世界の残骸 だった。 その山が、今、エリザベートたちの覚醒に呼応するように、不気味な産声を上げ始めていた。
「……エリザベート。ローゼンバーグの名を捨てた君に、新しい名前を贈ろう」
虚空から、田中老人の声が響く。
「……今日からお前は、この街の 管理人 だ」




