第72話:分別の終わり、あるいは本家当主の降臨
天空に浮かぶ 潔癖の箱舟 が、その巨大な質量を震わせる。 私の放つ深淵の闇と、アレクセイの黄金の奉仕が、要塞の放つ浄化レーザーを拮抗させていた。だが、その均衡は一瞬にして崩れ去る。
要塞の中央部が、まるで天の門が開くように左右に割れる。そこから放たれたのは、これまでの光とは比較にならないほど重く、神聖な 沈黙 だった。
「……五月蝿いですね。世界はもっと、静かであるべきなのです」
空から降りてきたのは、光を編み上げたような純白の法衣を纏う一人の老女。ローゼンバーグ本家当主、 大母 。彼女が虚空に一歩踏み出すたびに、空気が結晶化し、街の騒音が物理的に 切除 されていく。
究極の闇落ち:虚無の聖母
私は、彼女の圧倒的な圧力を前に、自らの魂をさらに深い 奈落 へと沈めていく。
見て。 私の影が、もはや個体の形を保てなくなり、街全体を包み込む 漆黒の夜 へと拡大していく。 これは、光を拒むための力ではない。 全ての命が抱える 汚れ という名の、愛おしい 業 を肯定するための、究極の受容だ。
私の瞳は、全ての光を吸い込む絶対零度の深淵へと変わり、背後には折れた翼を広げた 虚無の聖母 が具現化する。 それは、一族が最も忌み嫌う、あらゆる理を無効化する 不純物の根源 だ。
「お祖母様。あなたの望む静寂は、死体の沈黙と同じ。私は、この 騒がしい泥 の中で、いつまでも汚れ続けてみせるわ」
私の叫びと共に、街の影が巨大な腕となって天に伸び、大母の放つ 整列の光 を力任せに引き裂いていく。
それは、神々しいまでに悍ましい、血脈への反逆。 自らを進んで ゴミ と定義し、その誇りを持って世界を汚す、最も美しい堕天だ。
黄金の咆哮:アレクセイの極致
「その通りだ、エリザベート! 磨いても磨いても消えないこの 執着 こそが、僕たちの生きる証なんだぁぁ!!」
アレクセイが、黄金の観音像と一体化するように宙へ舞い上がる。 彼の纏う光は、もはやローゼンバーグの法を模倣したものではない。 名もなき民草の汗と、捨てられたガラクタの記憶を吸い上げた、 泥まみれの黄金 だ。
彼は大母が放つ 絶対秩序の波動 に対し、何万回という 雑巾がけ の残像を叩きつける。 光と光が衝突し、火花となって散るたびに、世界の法則がボロボロと剥がれ落ちていく。
田中の眼差し
だが、当主である大母の視線は、私でもアレクセイでもなく、地上でただ一人、箒を構えたままの田中老人に注がれていた。
「……久しぶりですね、田中。貴方がこの 掃き溜め を守り続けているのは、まだ あの時の約束 を忘れていないからですか?」
「……約束など覚えていない。私はただ、散らかった部屋が嫌いなだけだ」
田中老人が、ゆっくりと竹箒を一閃させる。 その一振りは、大母が展開していた 神域 を、まるで古い蜘蛛の巣を払うかのように無造作に、そして完全に 消去 した。
生存者バイアス 私が今、こうして立っていられるのは、たまたま私が、この二人の化け物の再会という 物語のゴミ を観測する役割を与えられたからだ。




