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『悪役令嬢ですが、周囲が全員「狂人」しかいないので、婚約破棄イベントが世界崩壊の引き金になりました』  作者: 限界まで足掻いた人生
『聖域粛清(クリンナップ)編』

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第64話:現実の洗礼、あるいは路上の聖者

ドサリ、という重苦しい音が、私の意識を現実に引き戻したわ。


頬を打つのは冷たい雨。鼻を突くのは、あの忌々しい漂白剤の匂いではなく、濡れたアスファルトと排気ガスの混ざり合った、ひどく不快で、けれど懐かしい「生」の異臭だった。


「……はぁ、はぁ……。ここ、は……?」


隣でアレクセイが、泥水に顔を埋めたまま震えている。 見上げれば、そこにはかつての「壮麗な学園」の姿なんてどこにもなかったわ。ただ、立ち入り禁止のテープが巻かれた、古びた廃ビルの残骸。私たちが「事象の地平線」と呼んでいた場所は、現実の世界ではとうの昔に忘れ去られた「ゴミ溜め」に過ぎなかったのね。


聖なる混沌への回帰、あるいは灰色の福音

その時よ。 雨音を切り裂いて、一人の男が私たちの前に現れたのは。


彼は使い古された作業着に身を包み、手には一本の竹箒を握っていた。学園の中で私たちを恐怖の底に突き落とした「掃除屋・田中」の影。けれど、目の前に立つ彼は、神でも死神でもなかった。ただの、どこにでもいる、背中の丸まった老人。


「……やっと、出てこれたのか。……長居しすぎだ。ここは、もうすぐ壊されるんでね」


その声を聞いた瞬間、アレクセイが奇妙な咆哮を上げたわ。 恐怖ではない。それは、あまりにも残酷な「真実」を突きつけられた者の、魂の鳴動だった。


アレクセイは、泥まみれの手で老人の足元に縋り付いた。 かつて完璧な清浄を求めた狂信者の瞳に、今、かつてないほど神々しく、そして悍ましい「光」が宿る。


見なさい、この**光落ち(ライト・フォール)**の瞬間を。


彼の震える手から、かつて誇った「絶対還元」の権能が、黄金の粒子となって溢れ出したわ。それは、不純物を消し去るための力ではない。この不条理で、汚濁に満ちた「現実」の全てを、あるがままに、聖なるものとして全肯定するための、慈愛の波動。


「……ああ、ああああ!! 田中さん……! あなたは、この汚泥の中で、ずっと一人で戦っていたんだ! 完璧なんてどこにもない、この壊れかけた世界を、ただ『守る』ために……!!」


アレクセイの背後に、折れた翼を持つ黄金の巨像が浮かび上がる。 彼の纏っていた「潔癖」という名の鎧が、一枚、また一枚と剥がれ落ち、その下から剥き出しの、傷だらけの「人間」としての魂が輝きを放つ。


それは、太陽を直視するような、眩いばかりの自己否定。 悪であった彼が、汚辱という名の聖域に寝返った瞬間、その姿はどの聖典に記された天使よりも、醜く、そして気高く見えたわ。


「……綺麗にする必要なんて、なかったんだ。……汚れていても、……ゴミのようでも、……僕たちは、ここに『居ていい』んだぁぁぁ!!」


アレクセイの叫びと共に、廃ビルの周囲に立ち込めていた「白の世界」の残滓が、黄金の光に飲み込まれて霧散していく。


生存者バイアス 私が今、こうして立っていられるのは、たまたま私が、この光り輝く狂気の隣で、傘も持たずに立っていたから。


老人は、ただ黙ってアレクセイを見下ろし、竹箒を地面に突いたわ。 「……勝手に悟るな。俺はただ、頼まれたから掃いてただけだ。……さあ、行くぞ。……雨に濡れると、風邪を引く」


その背中は、どんな英雄よりも遠く、そして孤独だった。 私たちは、学園という名の「死」を卒業し、現実という名の「地獄」へ、最初の一歩を踏み出したのよ。

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