第48話:集団殺菌、あるいは汚れなき荒野
校舎の窓から飛び降りた私たちが着地したのは、かつて校庭と呼ばれていた「漂白された砂漠」だった。
一年X組。その構成員一人一人が保持する十パーセントという異能の出力。それが三十人分、幾何学的な陣形を組んで校庭を包囲している。彼らが手にしているのは、武器ではない。モップ、バケツ、高圧洗浄機。そして、それらを持つ彼らの瞳には、殺意ではなく「整理整頓」という名の無機質な義務感だけが宿っている。
「……掃滅陣形、第四段階。……滅菌の檻」
号令と共に、三十人の十パーセントが同時に権能を解放した。 空気が、物理的な「洗剤」へと変質する。吸い込むだけで肺胞が泡立ち、思考が漂白されていく感覚。
「……あ、ああ……! 綺麗だ……。このフォーメーションの角度……一分一厘の狂いもない……。田中さんが以前、私を竹箒で薙ぎ払った時のあの美しいスイング軌道と同じだぁぁぁ!」
アレクセイが地面に突っ伏し、恍惚とした表情で砂を噛んでいる。この男、もはや味方というよりは、敵の「正しさ」を証明するだけの観測機器と化しているわ。
「……エリザベートさん。……僕の腕、感覚は無いのに、なんだか『熱い』んです」
ヒカルが、消失した右腕の断面を抑えながら呟く。 芥 蓮によって削除された情報の余白。そこには今、現実世界には存在しないはずの「欠落という名のエネルギー」が渦巻いていた。
「……ヒカル、いい? あなたの右腕はもう、この世界の記述には存在しない。……なら、そこに新しい記述を書き込みなさい。……あなたの最も得意な、消しても消えない『生乾き』の執念を!」
私の叱咤に、勇者の瞳が濁った光を放つ。
生乾きの残滓(リン走・レジデュー) ヒカルの消失した右腕の断面から、ドロリとした「黒い湿度」が溢れ出した。 それは、存在を消された者が、消された事実そのものを逆手にとって生み出した、この世で最も執着心の強いシミ。削除されたはずの空間に、無理やりこびりつく「消えない汚れ」の腕。
「……不快指数の極致。……これなら、十パーセントの檻でも……!」
「……不純物の活性化を確認。……濃度、上昇。……再度の漂白を推奨」
X組の生徒たちが、一斉に高圧洗浄機を私たちに向ける。 放たれるのは、ただの水ではない。対象の「不純な因果」を根こそぎ洗い流す、十パーセントの強制洗浄液。
「……生存者バイアス!!」
私は、ヒカルの作り出した「不快な腕」の影に身を隠し、自らの六パーセントの領域を一点に集中させた。 私が今、こうして存在できているのは、**「たまたまこの絶望的な洗浄液の、わずかな『撥水ポイント』に私が立っていたから」**という、確率の死角を突く理論。
ドォォォォォォン!!
校庭に、爆発的な水煙が舞い上がる。 十パーセント三十人による、三兆パーセント(累積計算)の洗浄圧力。 本来なら、私たちは一分子も残さず「綺麗」に消去されていたはず。
だが、砂煙が晴れた時、そこには泥にまみれ、酷い悪臭を放ちながらも立ち続ける、三つの不潔な影があった。
「……はは……。……洗っても洗っても、……落ちないんだよ、……僕たちの『生きたい』っていう、この生乾きの汚泥は……!」
ヒカルの黒い腕が、洗浄液を吸収し、さらに巨大に、さらに不快に膨れ上がっていく。 一方のアレクセイは、極限の恐怖のあまり「逆ギレ」の状態に突入していた。
「……やり直しだぁぁぁ! 貴様らの洗浄は、水の使い方が贅沢すぎるんだよ! 田中さんに、節水の精神を叩き込まれ直せぇぇぇ!!」
六パーセント、三パーセント、そして狂った六パーセント。 寄せ集めの不純物たちが、十パーセントの軍団という「絶対的な正解」に対し、最も醜悪な形での反撃を開始しようとしていた。
その様子を、校舎の最上階、生徒会室の窓から「皇帝(三十パーセント)」が、退屈そうに見下ろしている。
学園という名の揺り籠は、既に戦場へと作り替えられた。 私たちは、自分たちがいつ「廃棄」されるか分からない崖っぷちで、泥を塗りたくりながら、この美しすぎる地獄を生き延びる。




