第46話:トラウマの結晶、あるいは不燃物の反逆
巨大な焼却炉の吸引力が、中庭の概念を根こそぎ飲み込んでいく。 無代 零三郎の放つ十六パーセントの波動は、もはや「攻撃」ですらなく、この世から不要な定義を抹消する「絶対的な事務処理」だった。
「……アレクセイ! 泣いてる暇があるなら、そのトラウマを攻撃に変えなさい! 皇帝に、田中に怒られるというその恐怖こそが、この学園で最も純度の高い不純物よ!!」
私の怒声が、震えるアレクセイの耳元で爆発した。 彼は、かつて最強の掃除屋・田中に「掃除のいろは」を叩き込まれ、完璧を強要された末に精神を磨り潰された男。彼の中に眠る「田中への恐怖」は、あまりにも強大すぎて、もはやこの世界の理さえも歪ませる特級のシミと化している。
「……あ、ああ……。そうだ。……田中さんなら……こんな雑な焼却、許さない。……『燃え残るような中途半端な覚悟で、火を扱うな』って、あの冷たい目で……竹箒で……!!」
アレクセイの瞳が、恐怖のあまり完全に裏返った。 その瞬間、彼の「絶対還元」が暴走を始める。
第1層:不純物の化学反応
私は、その暴走する恐怖の奔流を、ヒカルの「生乾きの洗礼」で包み込ませた。
三人の異能が、かつてないほど醜悪に、かつ執拗に混ざり合う。 それは、どれほど強力な掃除機でも吸い込めない、**「排水溝の奥にこびりついた、得体の知れない毛髪とヌメリの塊」**のような概念的なヘドロとなって、無代の排気領域を侵食し始めた。
「……不快だ。……あまりにも、不潔だね」
無代の十六パーセントの静寂が、初めて揺らいだ。 彼の「廃棄の排気」は、純粋な無へと還す能力。だが、私たちが作り出したこの「トラウマのヘドロ」は、排気されることさえ拒絶する。なぜなら、これは「田中という絶対的な正解」から逃げ続けてきた、アレクセイの執念の残滓だからだ。
第2層:焼却炉の沈黙
ヘドロが、巨大な焼却炉の吸気口にねっとりと絡みつく。 十六パーセントの吸引力をもってしても、この「拭いても拭いても伸びるだけの油汚れ」のような概念は飲み込めない。
「……アレクセイ! そのまま『還元』を固定しなさい!!」
「……あ、ああああ!! 『掃除し直しだ』って、あの人の声が聞こえるぅぅぅ!!」
アレクセイが叫ぶ。 彼の還元能力が、焼却炉に吸い込まれかけた私たちの「存在定義」を、無理やり一秒前の「汚れたままの状態」へと引き戻し続ける。
吸い込む十六パーセントに対し、汚れたままその場に固着し続ける九パーセント(私、ヒカル、アレクセイの合算)。 数値の上では圧倒的に負けている。しかし、私たちは「勝つ」必要などない。 ただ、掃除の邪魔になり続け、相手に「面倒だ」と思わせれば、それが生存者の勝利なのだから。
「……チッ。目詰まりか。……非効率だね」
無代が不快そうに顔を歪めた。 彼にとって、掃除が滞ることは死よりも耐え難い屈辱。 焼却炉が、過負荷による異音を上げ始める。
第3層:生存者の論理
「……今よ! 逃げるわよ!!」
私は、呆然とするヒカルと、失禁しながらモップを抱え始めたアレクセイの襟首を掴み、中庭から脱出した。 十六パーセントという絶望の神域を、私たちは「最も卑怯で不潔な手段」で一時的に封じ込めた。
生存者バイアス。 私が今、こうして生きているのは、**「たまたま私が、プライドを捨てて最低のゴミになることを選んだから」**という、ローゼンバーグ家の教えにはない泥臭い結果に過ぎない。
背後で、無代の冷徹な声が響く。
「……追う必要はない。……芥が、一組から順に全ての教室を『処理』している。……君たちの行き先(ゴミ箱)は、もう決まっているんだ」
私たちは、鏡のように磨き上げられた廊下を、自分たちの汚れた足跡で汚しながら走り続ける。 次は、一年二組の「滅菌」を完了した三影の王、芥 蓮が、その冷たい文庫本を携えて私たちの前に立ちふさがるだろう。
学園という名の揺り籠は、既に壊れた。 だが、壊れた破片の一つ一つが、まだ「ゴミとして捨てられる」ことを拒んで、血を流しながら足掻いている。




