部活への誘い
この段で、ヒロインのナターシャが男子生徒二人と付き合う、逆ハーレム状態になる。また、部活の部長も彼女に気を寄せていて余談が許せない。
日が明けて翌日のオロス語の訳読の授業。先生は以前勉強した文法事項の復習を指示した。
「動詞の直説法の不完了体過去形は人称変化するのでは無く単数主語の場合、男性・女性・中性の時にそれぞれの語尾になります。複数主語の場合は語尾は男性・女性・中性に関係無く全て一定です。人が主語に来る場合、中性と言う事はありませんから、男性単数が主語に来る場合は、動詞の不完了体過去は単数男性の語尾、単数女性が主語に来る場合は単数女性の語尾となります。一人称・二人称・三人称に関係無くこの法則が適用されます」
「先生、質問良いですか?男性一人称の時は動詞の男性形語尾が、女性一人称の時は動詞の女性形語尾が来るって事はヤマト語の一人称の「俺・僕・私」の使い回しに似てると思いませんか?」
ビーチャは教師の説明を遮って質問した。
「ヤマト語の男性言葉・女性言葉の違いはジェンダーから来る語法的な物ですが、オロス語においては、文法的な性別に起因しています。その証拠に無生物主語で単数が中性になる場合、不完了体過去は中性的語尾で受けます。また、ジェンダーからもし男性・女性で区別されるのなら、現在形・未来形単数も人称語尾になるのでは無く、性別語尾になるはずです。ですから、オロス語においてはジェンダーの問題は無く、あくまでも文法的な性別で名詞・形容詞・動詞はカテゴライズされます。これで宜しいですか、小林君?」
「先生、ありがとうございます。」
「では、皆さん、ダイアログに入ります。・・君、・・さん、それぞれ〇男、〇子のところを読んでください。」・・・
( 以下、お約束ごと:オロス人同士のオロス語の会話・オロス人とヤマト人のオロス語の会話は、漢字カナ混じりの日本文で書き、オロス人が片言のヤマト語で話す時は全てカタカナで書く。オロス人が流暢なオロス語で話す時はその内容を日本語で書くことにする。)
放課後になり、ビーチャは教室内を見渡した。今日はアレクセイは用事があると言って、放課後前ホームルームが終わると直ぐに帰って行った。ナターシャは、掃除が終わって閑散とした教室内で一人自分の席で座っていた。ビーチャはナターシャにオロス語で話し掛けた。「この間はどうも。ラノベ楽しめたかい?」
「ヤマト語の文章は全然駄目です。読めません。でも、絵が可愛くて楽しめます」
ナターシャは続けて言った。
「どうか私を助けてくれませんか?放課後に残る文化部の活動がしたいんです。担任の先生にこの学校にどんな文化部があるか訊きました。それでその中で、自分がやりたいクラブをリストアップして見ました。交換留学生の私は特に何れかの文化・運動部に所属する義務は有りません。でも、私にとって、ヤマト語の会話が苦手なので、ヤマト人の友達が全然できなくて困っています。解決案は2つあります。一つは、校内にあるクラブ「オロス語会話同好会」に所属して、オロス語の解るヤマト人の友達を作ること、今一つは「ヤマト語同好会」に入って、一からヤマト語の勉強をすることです。上手く行けば、このクラスでヤマト語で話す友達が出来るかも知れません。それで、ビーチャ君、頼みがあるんです。私と二人で今からこの二つのクラブに顔を出して貰えませんか。それで、ビーチャ君も自分のクラブあると思うけど、そのクラブを退部して私と二人でどちらかのクラブに所属しませんか?」
ビーチャは答えた。「まぁ、僕が今所属しているクラブは帰宅部で、滅多に出席して無いから、そこを退部してナターシャと同じクラブに入るのは、やぶさかでは無いよ。どっちの方法で友達を作るかはナターシャに任せるよ」
ナターシャはまた続けた。
「他には、「ヤマト語文芸部」、「英語同好会」もリストアップしています。ヤマト語は全然、駄目ですが、母国では中等学校一年から英語を勉強していました。そこそこ、英語には自信があります。」
ビーチャは考えた。(オロス語は自信無いしなー。英語も得意科目とは言え無いし、今後、もしナターシャと付き合えるのなら、彼女の母国語のオロス語に賭けて見るか!)
「じゃぁ、その四つのクラブ、今日の放課後終わるまで行けるだけ行って見るか?」
ナターシャは首を縦に振った。
* * *
A:「オロス語会話同好会」、B:「ヤマト語同好会」、C:「ヤマト語文芸部」、D:「英語同好会」
どれから先に廻ったら良いだろうか?自分の都合を考えるなら、ヤマト語同好会かヤマト語文芸部が良いだろう。彼女の立ち場に立てば、オロス語会話同好会に入れば、何の苦労も無く彼女は友達を作れるだろう。そこで、彼女に廻る順番を提案した。「B -> C -> A -> D の順番でどうだい?」「分かったわ」
まず、僕達はヤマト語同好会の門を叩いた。
「どうぞ!」
「お邪魔します!当校四年のビーチャ・隼人・小林と言います。今日は、入部希望のオロス人の女の子を連れて来ました。自分と同じクラスの生徒です。彼女がヤマト語、全然出来なくて困ってます。このクラブでヤマト語を一から勉強したいそうなので、力になっていただけ無いでしょうか?」
「一からねぇ。ヤマト語は覚えることいっぱいあるし、元々の基礎力が無いとクラブの活動に付いて行け無いんじゃ無いかなぁ!」
「そうですか。全くゼロから積み上げるって言うのは無理でしょうか?」
「さっきも言ったけど、ある程度の基礎が無いとねぇ」
「分かりました。お邪魔しました」
二人は退席した。
「次、C行こ!」
「お邪魔します。入部希望なんですけど」
「どうぞ、ま、お茶でも一杯どうぞ」
二人は恐縮して、お茶を啜った。
「此方、入部希望のオロス人の女の子、ナターシャです」
「このクラブの活動について知っていますか?」
ナターシャは答えた。「アマリ、クワシクハ、タンニンノセンセイニハ、ウカガッテマセン」
ビーチャは彼女の発言を補足した。「彼女に聞いたんですけど、この学校には、ヤマト語を扱う文化部は二つあって、一つは「ヤマト語同好会」もう一つは「ヤマト語文芸部」です。ここに来る前に、ヤマト語同好会に行ったんです。そしたら、ヤマト語の入門も覚束無い様ではちょっと、うちの部でやってくのは難しいんじゃないかと、やんわり入部を拒絶されました。それで、此処にやって来たんです。それでは、此処では彼女は文芸活動を通してヤマト語の勉強が出来るでしょうか?」
「此処のヤマト語を通じた文芸活動には、大きく分けて三部門あります。一つはヤマト語の小説執筆、次にヤマト語の演劇活動、最後にヤマト語の書道です。彼女の場合、ちょっと見させていただきました処、小説は無理ですが、演劇・書道なら、出る芽があるかもしれません。今の所、彼女の入部を拒む様な要素はありません」
「ありがとうございます。他にも、廻るクラブもあるので返答は全てのクラブを廻ってからにします」二人はヤマト語文芸部を後にした。「次、A」
「こんにちは!オロス語会話同好会にお邪魔します。入部希望者のオロス人の女の子を連れて来ました。彼女の名前は、ナターシャ・リュドミラです。私はビーチャ・隼人・小林と言います」
「ようこそ、オロス語会話同好会へ。小林君。ビーチャと呼んでもいいかな?私は部長のフョードル・ニコライビッチ・ドストエフスキー。フョードルともコーリャとも呼びたまえ。それで、今回の入部希望者はこの女の子だけですか?」「いえ、自分もです」「そちらの女の子。ナターシャは、ファーストネーム、リュドミラはミドルネーム、では、苗字は?」「イヴァーナヴナです。」今、ビーチャは彼女の苗字を初めて知った。授業の初めに名前の点呼をとるときにもナターシャ・リュドミラだけだった。何故かは知らない。フョードル部長は言った。「このクラブは名前から連想される様に当校を代表してオロス帝国とヤマト国の親睦を図る団体です。オロス人の生徒には、このクラブの活動を通して小さな外交官として働いて頂く。ヤマト人の生徒には、オロス帝国との同盟を今後とも盤石なものにして行く縁の下の力持ちになって頂く。オロス人の卒業生には、大学卒業後、ヤマトに住む住まないいかんにかかわらず、ヤマトと関係のある企業や公共団体に籍を持つ者、数知れず。ヤマト人の卒業生は、ヤマトでのオロス語教育の第一線に立って頂く。オロス帝国でのヤマト企業の駐在員も多く輩出しています。普段の活動は、毎日、放課後に部員が部室に集まります。オロス人の生徒がヤマト人の生徒のオロス語の授業の復習や宿題の指導をします。余った時間を使って部室で視聴覚機器を使って、オロス語の映画を観たりします。学校の文化祭や体育祭の時には、オロス人の来賓の通訳として、部員が借り出される時があります。普段の活動は毎日オロス語で綴られる日誌を通じて顧問のオロス語の教師が管理し、ヤマト人が筆記者の時には報告文の添削もします。このクラブで、オロス語を磨けば首席卒業も夢では無いでしょう。それと、言い忘れていましたが、オロス人の交換留学生は時間の許す限り複数のクラブに所属することが出来ます。それが交換留学生の特権ですから、大いにクラブを掛け持ちして頂いて結構です。ビーチャ君の場合はもし現在のクラブの退部証明書があれば入部出来ます。但し、掛け持ちは出来ません」
ビーチャは言った。「では、彼女と入部するかどうか検討して見ます」
「ありがとうございました。失礼します」
二人は最後の英語同好会の門を叩いた。
「失礼します。入部希望する者です。名前はナターシャとビーチャと言います」
「良くおいでくださいました。我々は日の出の勢いのオロス帝国の傘の下で呻吟している英語同好会です。学校の授業で習った様にこの国の近代化の第一歩を後押ししたのはブリタニア帝国でした。その頃、ヤマトで外国語教育と言えば、猫も杓子も英語教育でした。今はその地位はオロス語に取って代わられています。しかし、嘆息しなくとも宜しい。現在、統合暦二十一世紀、世界はインターネットで一つになっています。そこで使われる言語は、英語、シナ語、ヤマト語などが主です。オロス語、恐るるに足らずです。そこで、当クラブでは、「一人一台パソコン」を標語にコンピュータに特化したクラブ活動をしています。勿論、英語授業選択生徒には手厚い添削指導があります。如何でしょうか?」「ありがとうございました。検討させて頂きます。」
二人は今日中に何とか目標の四クラブを廻ることが出来た。日も傾いて来ていたので、其々の家路に向けて別れて帰った。
* * *
次の日の放課後、アンドレイがビーチャに絡んで来た。
「おい、ナターシャには俺が最初に目を付けてたんだぜ。今日、授業中、ナターシャがお前に目配せばかりしてたから、いい加減焼けて来るぜ。一体、いつからお前たちそんなに親しくなったんだ?」
ビーチャは、かくかくしかじか、書店のラノベコーナーでお互いの共通の趣味を確認して意気投合したこと、彼女の拙いヤマト語を友達作りを通じて改善しようとして、彼女が入部したい文化部廻りを敢行したこと、今日、彼女が入部したい文化部を自分に伝えようと前の席から振り返り目配せしていたことの次第をアンドレイに伝えた。
「何だよ。俺は未だナターシャと仲良くすることは諦めて無いからな!彼女が入部したクラブに俺も転部させてもらうわ!」
「彼女、交換留学生の特権で二つも三つも同時に複数のクラブに入部出来るんだと。昨日の感触では彼女、複数のクラブに目移りしてる様に見えたぜ。もし、彼女が二つのクラブに同時に入部したとしたら、俺たち、休戦協定結んで、彼女がいる其々のクラブに転部して、彼女に悪い虫が付かないように見張るってのはどうだ?」「それは良い」
「お互い、彼女を半分個、所有出来る様に今日の放課後は三人で過ごそうぜ」
「いいとも」
ビーチャは、放課後になり、そわそわしながら、自分の席に座っているナターシャの所に先ず一人で行き、彼女を安心させると、アンドレイを呼び寄せ、彼女にアンドレイを紹介した。
(オロス語で)
「ナターシャ、此方、アンドレイ。僕のマブダチだよ。実は、彼は前々から君にお近づきになりたいと思ってたんだ。ナターシャ、どうせ二つのクラブに同時に入部するつもりだろう。昨日、君を見ていて何となくそうじゃ無いのかなぁって思ってたんだ。そうだろう?」
「そうよ。私、入りたいクラブが二つ出来たの。それは、ヤマト語文芸部とオロス語会話同好会よ。私はもっとヤマト語が上手になりたい、でもオロス語が出来るヤマト人の生徒達とも仲良くなりたい」「そこで、君に提案だ。いいとも、どう、二つのクラブに同時加入なさい。でも、僕はどちらかひとつのクラブにしか転部出来ない。そこでだ、残りのひとつのクラブにこのアンドレイが転部するってのはどうだ?」「いいわよ」「おい、聞いたか、アンドレイ?お前だったらどっちが良い?ヤマト語文芸部かオロス語会話同好会か?」「俺はもうオロス語の方は足りてるからヤマト語文芸部が良い。ビーチャ、お前こそ、オロス語、からっきし駄目だから。オロス語会話同好会でみっちりオロス語鍛えて貰ったらどうだ?」「ビーチャ、オロス語会話同好会のドストエフスキー部長、なんか怖いの。彼には気を付けて。そして、もし部長が私に迫って来る様なことが起こったら、私を助けて」「分かった、ナターシャ。じゃ、僕はオロス語会話同好会にアンドレイがヤマト語文芸部に転部で良いな?」「良いわよ。」三人は転部と入部手続きのために職員室に向かった。
最初はヤマト語文芸部にナターシャとアンドレイが入部届と転部届を持って行った。
「こんにちは、お邪魔します。昨日、入部希望して来ましたナターシャとその友人のアンドレイ・甲斐・紫電と言います。ひとつ、よろしくお願いします」
「ああ、昨日の子ね。男の子は昨日の男子生徒とは違うね。彼とはどう言う関係ですか?」
「はい、クラスメートであります。此方のナターシャとも、同じくクラスメートであります。彼女がヤマト語ド下手なので、彼女を助けようと一肌脱ぐ事を決意しました。実は、彼女、もう一つ、別のクラブにも入部しようとしてまして。彼女のクラスの担任、二つのクラブ其々の顧問には了解を得ています。そのクラブには、自分のクラスメートで昨日、此処に訪問した私の友人のビーチャ・隼人・小林が転部届と入部届を持って部室前で待機させています」
「では、彼女を友達として助けるために君が此処のクラブに入部し、君の友人のビーチャ君が彼女のもう一つのクラブでの活動を助けるためにそのクラブに入部しようと言うのですね?」
「その通りです」
「分かりました。では、そちらのクラブでの活動のサポートはビーチャ君に任せるとして、ナターシャさんとあなたの入部を許可します。それでは早速、入部して初めての仕事をして貰います。」
部長は続けて言った。「此処にヤマト語五十音図・オロス語キリル文字音転写表があります。この文字を使って、ナターシャさん、今日が火曜日ですから、この一週間でヤマト語をキリル文字で転写出来る様に訓練して貰います。宜しいですか?」「ハイ!ワカリマシタ」「見て下さい。これがヤマト語キリル文字転写表です。
ヤマト語キリル文字転写表
А(あ) И(い) У(う) Э(え) О(お)
А. あАа いИи うУу えЭэ おОо
К. かка きки くку けкэ こко
С. さса しши すсу せсэ そсо
Т. たта ちчи つцу てтэ とто
Н. なна にни ぬну ねнэ のно
Х. はха ひхи ふху へхэ ほхо
М まма みми むму めмэ もмо
Я. やя ゆю よё
Р. らра りри るру れрэ ろро
В わва
をво Н んн
転写文字補足А
ГА. がга ぎги ぐгу げгэ ごго
ЗА. ざэа じзи ずзу ぜзэ ぞэо
ДА. だда ぢджиづджуでдэ どдо
БА. ばба びби ぶбу べбэ боぼ
転写文字補足Б
ПА. ぱпа ぴпи ぷпу ぺпэ ぽпо
転写文字補足В
КЯ. きゃкя きゅкю きょкё
ША. しゃша しゅшу しょшё
ЖА. じゃжа じゅжю じょжё
ДЖА.ぢゃджа ぢゅджю ぢょджё
БЯ. びゃбя びゅбю びょбё
転写文字補足Д
ПЯ. ぴゃпя ぴゅпю ぴょпё
部長は言った。
「アンドレイさん、この転写表を覚えて、例えば演劇でナターシャさんがヤマト語で台詞を覚えて言う場合、アンドレイさんのキリル文字転写のカンペを見て練習させることができますか?」
「はい、何とか」
「ナターシャさん、母国語の文字転写で何とかヤマト語を発音が出来ますか?」
「ナントカ、ヤッテミマス!」
では、ナターシャさんもこの転写表を見て覚えて来てくださいね!」
「ワカリマシタ!」
「今日はここまでにしますね。それでは、オロス語会話同好会の方に急いで行って下さい」
「ハイ!」「分かりました。失礼します。今日は中途半端な所で退出して申し訳ありません。彼女はこれから放課後に二つのクラブに掛け持ちで行くので、ビーチャとも相談してシフト制を組んで、彼と役割分担することにします。今日は色々とご指導ご鞭撻ありがとうございました。では、今晩、ビーチャとネットでチャットして、彼女にも了解を得て、今週のシフトを組んで、私が明日、報告に来ます。では、さようなら」アンドレイは部長に一礼して、ナターシャと同じ棟にあるオロス語会話同好会の部室を目指した。
オロス語会話同好会の部室の入口の前には、ビーチャが待機していた。
やぁ!、とアンドレイがビーチャにハイタッチをすると、アンドレイは「よろしく頼む。」と言って、ビーチャにナターシャを引き渡した。
さて、今度はビーチャがナターシャをエスコートして、オロス語会話同好会に入部する番だ。じゃぁ入るよと言って、ナターシャの手を取ってビーチャは部室に足を踏み入れた。
今日は昨日、入室した時と比べてもっと多くの部員がいた。かっこいいイケメンや美人で金髪碧眼の綺麗どころが揃っていた。ナターシャはビーチャのクラスでは美人で浮き上がった存在だったが、此処ではその他大勢と大差変わり無かった。大体、此処にいる部員でオロス人対ヤマト人の比率七部・三分ぐらいだった。このヤマト人の割合のままだと、自分は必死になってオロス語を勉強して身に着けて行かないと先が思いやられそうだった。部屋の集団の真ん中にある机の席にドストエフスキー部長が座っていた。何か強烈な存在感をビーチャは彼から感じた。「部長、こんにちは。僕達二人の二通の入部届と僕の前の部の退部届を持って参りました。受理願います。」と、ヤマト語で話し掛けた。部長はオロス語で、ナターシャに何処か他のクラブと掛け持ちしているのかと訊いている様にビーチャには分かった。彼女が事情を部長に説明して、一週間、毎日の放課後はクラブに顔を見せられず、もう一人のパートナーのアレクセイとビーチャに二人でシフトを組んで彼女と二人でクラブを掛け持ちをするのだ、とオロス語で説明している様に聞こえた。二人の話し合いがあらかた終わると、部長はビーチャに向き直り、ヤマト語で話した。「話は今、ナターシャから聞いたよ。君は週、何回位この部室に来られそうだい?」ビーチャは暫く黙考した。(ヤバいなー。自分がオロス語からっきし駄目なのがバレたら、このクラブにいれないしな。ボロが出ない様に隠し通すには週二日が限度だろう。)「はい、二日です。」とオロス語で答えた。部長もオロス語で、「それじゃ、彼女に余り負担がかからない様にするね。」と答えた。
ビーチャは、(あのー、今のオロス語での受け答えするのも、今の自分では四苦八苦なんですけど)と言いたいのを必死で堪えていた。今度来る時にはカンペ大量に用意して、トイレ行きますとか言って、その場の状況から何言ったらいいかトイレで推敲重ねないと駄目だな、と思った。取り敢えず今日のところは顔出しと言うだけで、ナターシャと部室を退室したかった。ナターシャの方はどうかと思って部屋を見渡していると、部屋の隅っこで集団になっているヤマト人の自称モテナイ君です、みたいな男子部員に囲まれて彼女はオロス語で談笑していた。ビーチャは部長にちょっと失礼します、と言ってナターシャのところに行って、彼女にこっそり耳打ちをして、もう今日は早めだけど退室したいと告げた。彼女は頷いて、二人で部長の席に行き今日は早めだけど退室したい旨を言って、部室のドアから出て行った。
「いやー。 みんなオロス語で何言ってるのか、さっぱりわからなかったよ」
ビーチャはナターシャと昇降口から校門まで歩きながらナターシャと話していた。そして、ナターシャに今日、家に帰る前に彼女の下宿先までの帰り道にあるハンバーガー屋さんに寄ってオロス語のレッスンをしてくれる様に彼女に頼み込んだ。もう仕方ないわねー、と彼女は呟いてビーチャとハンバーガーショップで一時間程、時間を潰して其々、帰宅した。
* * *
日が明けて今日の一時間目の授業は世界史だった。相変わらずの無味乾燥な東ローマ帝国史だった。
「・・・以上、今日は七〜八世紀の暗黒時代とその後の聖像破壊運動でした。では、また」
「起立」「礼」
「やべ!」アレクセイが言った。「次、体育だよ。遅れちゃなんねっ。」
体育の授業が終わり、午前中の座学の科目の授業が終わると昼食時間になった。今日から、ビーチャ・アレクセイ・ナターシャの三人は揃って昼ご飯を食べることにした。これだと、昼間に放課後のクラブ活動のシフト表も作れる。今日は今週、一週間のシフト表を作ることにした。クラブの始業時間を放課後直後からに、終業時間をオロス語会話同好会は、十七時。他の部員より早めに終わって、後は下校時、ナターシャとハンバーガーショップに寄り、彼女とオロス語の個人授業を一時間、無報酬で週二回受け持ってもらうことになった。ヤマト語文芸部のシフトの終業時刻は、アレクセイに一任するってことにした。毎週、どの曜日にビーチャとアレクセイのナターシャ受け持ちを担当するかは決まらない様だった。いずれにせよ、ビーチャは週二回のナターシャのハンバーガーショップでの個人授業を含めて、一週間がオロス語漬けになるのは必至だった。ナターシャもどういう形になるかはアレクセイ次第だが、一週間、ヤマト語漬けになるだろう。ナターシャはビーチャに言った。「漢字・仮名を覚える前にまずキリル文字でヤマト語のメールが送れる様にするね」
* * *
コラム:日本語のキリル文字転写の可能性について。
日本人が初めて西洋のアルファベットに触れたのは、西暦十六世紀の戦国時代、ポルトガルやスペインから来航して来たキリスト教の宣教師達によってだった。その後、宣教師達によってもたらされたラテン文字文化はキリスト教禁止と共に封印された。
明治時代が到来し、アメリカの宣教師ヘボンによって考案されたヘボン式ローマ字は日本語の自然的な音声を表記するのに適していて、同時期に考案された文部省式ローマ字を駆逐して日本語転写表記の標準的なラテン文字表記となった。
しかし、非西洋文字の転写に使われるのは、ラテン文字だけでは無い。旧ソ連諸国、及びその周辺の国々でロシア帝国のロシア語を表記するのに使われるキリル文字を元に其々、若干の微調整をされた国語表記に使われているキリル転写文字がある。現在、キリル文字で国語表記する言語はロシア語以外では、ウクライナ語、ベラルーシ語、ブルガリア語、セルビア語、マケドニア語、アゼルバイジャン語、カザフ語、キルギス語、トルクメン語、タジク語、モンゴル語である。これらの国々はかつてロシア帝国の支配下にあったか、その影響下に置かれていた国々の言語である。日本もかつてのロシア帝国の近隣諸国に当たるので、歴史の歯車がちょっと狂っていれば、現在のモンゴルのように国語表記にキリル文字を使っていたかもしれないのだ。
なるほど、日本語の表記にはキリル文字の方がラテン文字よりも有利な点もいくつかある。
例えば、ヘボン式ローマ字で仮名の「ち」を表記するには、chiとなるが、キリル文字転写では、чиだけで済む。他にもyaはя。yuはю。yoばёだけで済む。他にも、shaはша、shiはши、shuは
шуまたはсюと枚挙に暇が無い。日本語を表記するにはローマ字よりもキリル文字の方が余程、合理的だった。歴史にイフを語ることは禁物ではあるが。




