雨宿り
三題噺もどき―ななひゃくごじゅうきゅう。
ベランダに出ると、雨が降り始めた。
夕暮れと言うにはあまりにも暗く、重苦しい空だ。
ただでさえ季節が廻り、この時間はアッと言う間に暗くなっていくのに。
「……」
まだ降り始めのようだから、気にせずベランダに立つ。
片手に持ってきた煙草を口に咥えながら、その先を火であぶる。
まぁ、小さく昇る煙が雨の空気に消えていく。
「……」
下からは、雨が降ったことがどれだけ嬉しいのか、幼い子供たちがはしゃぎながら帰路についていた。
そんなに降っていないのに、そこまではしゃげるのか……と感心を覚えるほどだ。
それに比べて、制服に身を包んだ大人と子供の間のような少年少女は、いそいそと小走りになったり、冷静に鞄から傘を取り出したりしている。
たった数年違うだけで、こんなにも行動が変わるのだから、成長というのは。
「……」
それに比べて。
「……成長というモノを知らないのか」
『なにがだい?』
さも当然のようにそこに姿を現したのは、巨大な猫だった。
器用に、半分隠れたカーテンの中に納まるようにそこに居座っている。
ちろりと、小さく舌を出し手を舐め、その手で毛づくろいの真似事をする。
その赤が、あの歪んだ口紅を彷彿とさせて、嫌な気分になる。
「……」
『ちょっと雨宿りしに来ただけさ』
それなら仕方ない、とはならないのだ。
コレはこちらが油断する隙を狙っているだけにしか見えない。
何が目的で、何を欲して、ここに居るのか分かったものではないのだが。
どうせろくでもないことは分かっているのだ。
そもそも、いちいちこうして絡んでくることが意味が分からないのに。
隠れるのは得意なのだから、こちらに気づかれないよう勝手にしていればいいのに。
「……どうでもいいから早くどっかに行け」
『そう言わず』
どの立場でモノを言っているんだコレは。
動く気配もなく、ただただ、猫の真似事をしながら、可愛くもないのに。
家のを呼んでもいいのだが、あまり心労をかけたくないのだ。
「……」
『……』
何か言いたげに、チラチラこちらを見てくる。
何をしたいのか知らないし、関わりたくもないので何も言わない。
さっさと煙草を終わらせて部屋に戻るとしよう。
―そう決めて、煙草を押し付けるために灰皿に手を伸ばそうとした辺りで。
「……なにをしているんですか」
『……』
「……」
コイツもコイツで気配を消すのが上手いと言うか……今はわざと必要以上に消してきたんだろう。コレが気づいてないのがその証拠だ。
人から隠れることを得意にするなら、隠れるモノに対しても敏感でないといけないのに。
『……』
面白いほどに固まっている。氷漬けにでもなったのだろうかと錯覚するほどだ。
そういえば、コレは一時期そういう氷漬けみたいなことをするのにもハマっていた。なんか……色々凍らせて遊んでいたな。
「……なにをしているんですか」
もう一度、同じセリフが降り掛けられた。
その瞬間我に返ったように、ぞわ―と、全身の毛を逆立てて、その尾をくるりと体に巻いた。
『い、いや、なんでも、』
「……」
コレはほんとに、家のが苦手なのだな。
目が泳ぎまくっていると言うか、見たこともないくらいに怯えていると言うか。
……こんな風になってるの初めて見た気がするな。いや、そうでもないか?でも大抵、家のが来たことに先に気づいて消えるからな。
「用がないなら帰ってくれますか」
『あ、ああぁ、そ、そうするよ』
そう答えた瞬間に、逃げるようにしてその姿を消した。
まるで何もなかったかのようにそこには、ただの空間が残り、猫の気配など一ミリもなくなった。……少し離れたところで、何かにぶつかったような音が聞こえたが、気のせいだろう。
まぁ、今回は面白い姿が見られたから、何も言わないでおこう。
「……まったく、すぐ呼んでくださいって言いましたよね」
「……善処すると言った」
「……朝食、納豆お出ししましょうか」
「すまんすまん、気を付ける」
お題:雨・口紅・制服




