商社?ゼネコン?そんなものあるはずもはなく。
市民債の募集が成功裏に終わり、祝杯を挙げる商人たちを横目に、俺は一人、頭を抱えていた。そうだ、俺の仕事はまだ終わっていない。むしろ、ここからが本番だった。
「資金調達は、いわば料理の材料を集めただけ。これから、実際に料理をしなきゃならないんだ……」
「料理? 何の話よ」
宿の部屋でぶつぶつ呟く俺に、リリアナが怪訝な顔を向ける。
「プロジェクトマネジメントの話ですよ……」
俺は金融のプロだが、土木工事のプロではない。水路の最適な勾配や、石材の強度計算なんて、知る由もなかった。ここから先は、正直に言えば商社やゼネコンの世界だ。しかし、このプロジェクトの総責任者である俺が「専門外なので」と匙を投げるわけにはいかない。
「やるしかないか……」
腹を括った俺は、翌日から再び街を駆けずり回ることになった。今度の相手は、石工ギルド、運輸ギルド、そして日雇い労働者を斡旋する口入屋(手配師)たちだ。
まず訪れたのは、屈強な職人たちが集う石工ギルド。ギルドマスターは、岩のような顔つきをしたドワーフの老人、ボルガンだった。
「ふん。金の算段がついたからといって、仕事がうまくいくと思うなよ、ひょろ長のにんげん。水路作りは、机の上でやる計算とはわけが違う」
ボルガンは、俺が提示した大まかな工程表を鼻で笑った。
俺は専門家ではないことを素直に認めた上で、頭を下げた。
「おっしゃる通りです、マスター・ボルガン。設計や工事の詳細は、あなた方プロにお任せするしかありません。しかし、プロジェクト全体を前に進めるためには、どうしても決めておかなければならないことがあります」
俺が彼らに求めたのは、専門的な技術論争ではなかった。
「いつまでに、何をやるか(マイルストーンの設定)。作業をどう分担し、誰が責任を負うのか(責任分界点の明確化)。そして、作業の進捗に合わせて、いつ、いくら資金を支払うか(出来高払いの取り決め)」
これらは、どんなプロジェクトにも共通する、普遍的な管理手法だ。
「まず、東地区の測量を一週間で完了させる。責任者はボルガン様の右腕のガルドさん。それが終われば、測量結果に基づき、前渡し金として測量費の二割をお支払いします。よろしいですかな?」
俺は具体的な名前と期限、金額を提示して、一つ一つ合意を取り付けていく。ドワーフたちは最初こそ訝しげだったが、俺が彼らの専門性を尊重し、金払いのルールを明確にしようとしていることを理解すると、徐々に態度を軟化させていった。彼らにとって、報酬の支払いが滞ることこそが最大のリスクなのだ。
次に、運輸ギルド。石切り場から大量の石材を運ぶための、荷馬車と人員の確保だ。
「そんな大量の石、一度に運べるか! 他の荷物だってあるんだぞ!」
運輸ギルドのマスターは、人の良さそうな顔に似合わず、なかなかの守銭奴だった。俺は彼らに対しては、別のカードを切った。
「もちろんです。ですから、夕方や夜間に運んでいただくというのはいかがでしょう? 昼間は通常の業務をしていただき、夕方・夜間の空いた時間と人員で石材を運ぶ。その分の割り増し料金は、こちらで負担いたします。これなら、ギルド全体の売上も上がりますよね?」
「……夜間輸送、だと?」
「ええ。そして、その輸送ルートの安全は、領主様の騎士団が保証してくださることになっています」
あらかじめ領主アルドリックに根回ししておいた「治安維持協力」が、ここで効いてきた。利益と安全、両方を提示され、運輸ギルドのマスターは満面の笑みで首を縦に振った。
最後に、最も厄介だったのが、現場作業員を束ねる口入屋の元締め、”片目のジャック”との交渉だった。彼は裏社会にも通じる食わせ者で、単純な理屈だけでは動かない。
「よう、タナカの旦那。アンタの威勢のいい話は聞いてるぜ。で、俺らに何をさせたいんだ?」
薄暗い酒場の個室で、ジャックはニヤニヤしながら俺を見ていた。
「このプロジェクトには、多くの人手が必要です。あなた方の力を借りたい」
「へっ、そりゃ結構なこった。だがな、うちの若い衆は気性が荒くてね。ただ働かされるだけじゃ、何をしでかすかわからんぜ?」
これは、暗に「上乗せ」を要求している。真っ向から反発すれば、工事の妨害すらしかねない相手だ。
俺はため息をつき、一枚の羊皮紙をテーブルに滑らせた。
「もちろん、ただ働きではありません。これは、先日設立が承認された『水道管理協会』の、正規職員の採用要項案です」
「……あぁ?」
「今回の工事で、真面目に、最後まで務め上げた者の中から、優先的にこの協会の職員として採用する、と約束します。安定した職、そしてギルドが保証する真っ当な給金。あなたの子飼いの若者たちに、『まっとうな未来』への道筋を提示する。これでは、不満ですか?」
ジャックの目が、初めて見開かれた。彼は、子飼いの若者たちを便利な手駒として使いながらも、その行く末をどこかで案じていたのかもしれない。暴力と搾取の世界から、抜け出すチャンス。それは、金以上の価値があった。
「……面白い。旦那、あんた、そこらの貴族よりよっぽど人の心をわかってるじゃねえか。いいだろう、その話、乗った」
石工ギルド、運輸ギルド、口入屋……。立場の違う、一癖も二癖もある連中を駆け回り、それぞれの利害を調整し、一つの巨大な歯車として噛み合わせていく。俺がやっているのは、複雑な人間関係の交通整理だ。それは、様々な部署やクライアントの板挟みになってきた、前世のサラリーマン経験が、皮肉にも大いに役立った。
数週間後。街の東地区で、ついに水路修復工事の鍬入れ式が執り行われた。
領主アルドリックの厳かな宣言を合図に、石工たちが槌を振るい、口入屋に集められた男たちが土を掘り起こし、運輸ギルドの馬車が新たな石材を運び込む。
俺は、その喧騒を高台から眺めていた。隣には、いつものようにリリアナがいる。
「……本当に、始まっちゃったわね」
「ああ。始まったな」
俺の手の中には、各ギルドの責任者のサインが入った、分厚い契約書の束があった。俺には、水路を掘る技術も、石を運ぶ力もない。
だが、バラバラだった人々と組織を繋ぎ合わせ、一つの目的に向かって動かすこと。それが、この異世界で俺が見出した、俺だけの「スキル」だった。
ファイナンスの世界から、プロジェクトマネジメントの世界へ。
しがないおっさんの、悪戦苦闘な現場監督ライフが、今、始まった。
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