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異世界投資銀行物語  作者: 楽苦苦楽
異世界水道債
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プロ向けとリテール向けでは書く内容は異なるってお話し


領主アルドリックという最大の難関を突破し、俺の「水路修復プロジェクト」はついに実行段階へと移った。商人ギルドと有力商人たちからの出資約束で、必要資金の八割方は確保できた。残る二割は、当初の計画通り、広く一般市民から募ることにした。


「よし、最後の仕上げだ。『水路債』改め『アクアフォール市民債』の募集を開始するぞ!」

俺はギルドの一室を借りた即席のオフィスで、高らかに宣言した。しかし、事はそう単純ではなかった。


「なぁ、タナカの旦那。この『債券』って紙切れを買えば、本当に金が増えるのか?」

「もしギルドが潰れたら、俺たちの金はどうなるんだ?」

「途中で金が必要になったら、換金はできるのか?」


説明会に集まった市民たちから飛んでくるのは、素朴だが、核心を突く質問ばかり。彼らにとっては「投資」という概念自体が未知との遭遇なのだ。前世で扱っていた金融商品は、プロの投資家が相手だった。しかし、今は違う。金融知識ゼロのパン屋のおかみさんや、鍛冶屋の職人に、俺は一から説明しなければならなかった。


「……リリアナさん、俺、自分の説明がこんなに下手だとは思わなかったよ……」

「あんた、難しい言葉を使いすぎなのよ。キャッシュフローがどうとか、デフォルトリスクがどうとか言われても、誰もわからないわよ」


リリアナにまでダメ出しを食らい、俺は頭を抱えた。信頼は、複雑さではなく、単純さと分かりやすさから生まれる。俺は方針を転換し、徹底的に「素人向け」の制度設計に頭を悩ませることにした。いわば、少人数私募による限定的な公募。対象者を絞り、ルールを単純化するのだ。


まず、一番の問題は「転売」と「投機」を防ぐことだった。

この市民債が、よくわからないまま他人にだまし取られたり、価値が乱高下して市場が混乱したりする事態だけは絶対に避けたかった。


「タナカ様、この条件はいかがでしょう。『この手形は、買った本人、もしくはその血族以外への譲渡を禁ずる』」

手伝ってくれているギルドの書記官が提案する。


「うーん、それだけだと抜け道があるな……そうだ、『額面以上の価格での譲渡を一切禁止する』。これで投機目的の売買は防げる。あくまでも、この事業を応援したい人が買う、という建て付けを維持しないと」


次に、資金の安定化だ。事業が軌道に乗る前に「やっぱり金返せ!」と言い出す人が続出したら、計画は即座に破綻する。


「『早期償還要求の禁止』は必須だな。ただし、期間をどうするか……事業が安定するまでの最初の三年間は、いかなる理由があろうと元本の払い戻しは行わない、と明記しよう。その代わり、利子は毎年きちんと支払うことを約束する」

「三年は長すぎやしませんか? 市民の反発を招くのでは?」

「だからこそ、募集の際に『これは、三年は使わない余裕のあるお金で参加してください』と、口を酸っぱくして説明するんだ。無理な投資はさせない。これも我々の誠意だ」


そして、最も腐心したのが、この債券が借金のカタに取られること、つまり「質入れ」を防ぐことだった。高利貸しが悪用すれば、市民が破産しかねない。


「……指定機関以外への質入れを禁止、か。でも、その『指定機関』をどうする?」

「商人ギルドだ」

横から口を挟んだのは、話を聞いていたゴードンだった。

「万が一、どうしても金が必要になった者のために、ギルドが『救済窓口』を設置する。ギルドがその債券を、公正な価格で一時的に預かるか、買い取る。高利貸しなんぞに渡るより、よほどマシだろう。その代わり、手続きは厳格にするがな」

さすがはギルドマスター。彼の鶴の一声で、最後の懸念だったセーフティネットが構築された。


こうして、幾日もかけて練り上げた「アクアフォール市民債」の募集要項は、以下のようになった。


一、本債券は、街の水路を良くするための協力の証です。

一、購入したご本人と、そのご家族以外に譲ることはできません。

一、買った時のお金より高く売ってはいけません。

一、最初の三年間は、元本のお金はお返しできません。(ただし、お礼の利子は毎年お支払いします)

一、もしもの時は、商人ギルドにご相談ください。よからぬ金貸しに渡してはいけません。


「……なんだか、子供向けの注意書きみたいだな」

完成した羊皮紙を見て、俺は苦笑した。だが、これでいい。これが、この街の今のリテラシーに合わせた、最高の制度設計のはずだ。


募集当日。俺は街の広場に特設された受付に立っていた。隣にはリリアナ、後ろにはゴードンが控え、物々しい雰囲気だ。果たして、こんなに制限だらけの紙切れを、人が買ってくれるのだろうか。


最初に受付に来たのは、パン屋のおかみさんだった。

「タナカの旦那。うちの店の前のドブが臭くてかなわなかったんだ。これが綺麗になるってんなら、喜んで協力させてもらうよ」

彼女はなけなしの金貨を差し出し、一枚の市民債を嬉しそうに受け取っていった。


それを皮切りに、人々が次々と列をなした。

「息子が、将来あの『協会』で働けるかもしれないんでしょう? これは、そのための投資だ」

「孫の世代まで、この街が続くといいと思ってな」


彼らが買っていたのは、単なる金融商品ではなかった。街の未来への「希望」であり、自分たちがその一員であるという「誇り」だった。俺が複雑な金融理論の果てにたどり着いたのは、そんな当たり前で、温かい人間の感情だった。


夕暮れ時、用意した市民債はすべて完売した。

俺は安堵のため息をつき、広場の喧騒を眺めた。


「……やったな」

隣でリリアナが、ぶっきらぼうに、でも少しだけ嬉しそうに言った。

「ああ。本当に、ここからが始まりだ」


資金は集まった。計画も承認された。あとは、これを実行するだけ。

悪戦苦闘の資金調達は、こうして幕を閉じた。俺の肩には、この街の人々の想いという、嬉しいけれど、とてつもなく重い責任がのしかかっている。

俺は決意を新たに、夕日に染まる街を見つめていた。

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