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異世界投資銀行物語  作者: 楽苦苦楽
異世界水道債
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結局は決裁者を動かせるか次第


謁見の間は、しんと静まり返っていた。領主アルドリックの不機嫌な視線が、値踏みするように俺に注がれている。背後には商人ギルドのゴードンたちが控えているが、この場の空気は俺一人の双肩にかかっていた。


「……戯言は聞き飽きた。金の話ならギルドとやれ。俺の仕事は街を守ることだ」

アルドリックは、まるで壁と話すかのように冷たく言い放った。典型的な現場主義の武人。金の匂いがする話は、それだけで生理的に受け付けないのだろう。


「おっしゃる通りです、アルドリック様」

俺は彼の言葉を、真っ向から肯定した。


「だからこそ、これは金儲けの話ではございません。領主様が務めとされる『街を守る』ための、新たな一手をご提案申し上げるのです」

俺は懐から企画書を取り出したが、すぐには開かなかった。まずは、彼の心に届く言葉を選ばなければならない。


「第一に、これは『街づくり』の話です」


俺はゆっくりと、しかし力強く語り始めた。


「今の水路は、いわば街の血管です。その血管が詰まり、汚れれば、街という体は病にかかる。病は民を苦しめ、活力を奪い、ついには街を死に至らしめるでしょう。これを未然に防ぎ、清浄な血……すなわち清らかな水を街の隅々まで巡らせることこそ、未来の民を守る、最も重要な『防衛』ではございませんか?」


金の話ではなく、「公共性」と「防衛」という、彼の琴線に触れるであろう言葉で切り込む。アルドリックの眉間の皺が、わずかに和らいだ。


「次に、資金の流れについてです。ご安心ください。領主様や街の金庫から、金貨一枚たりとも持ち出す必要はございません」

俺はここで初めて企画書を開き、単純化したキャッシュフローの図を見せた。


「資金は、街の未来を信じる商人や市民からの『投資』で賄います。そして事業から生まれた利益で、出資者にはお礼(利子)を、事業の維持費を、そして街のさらなる発展のための資金を、厳格な『規則ルール』に基づいて正確に分配いたします。そこには誰かの私欲や、恣意的な判断が入る余地は一切ございません。すべては、この街の法と、定められた勘定式に従うのみです」


「恣意性の排除」「ルールベースの管理」。これは保守的な彼にとって、安心材料になるはずだ。俺が私腹を肥やすための計画ではないと、明確に示す必要があった。ゴードンが後ろで力強く頷き、計画の透明性を保証する。


「……ふん。絵に描いた餅だな。誰がその『規則』とやらを守らせる? 誰がそのややこしい勘定を管理するのだ?」

領主からの、もっともな指摘が飛ぶ。彼はまだ、この計画を信用していない。だが、俺が待っていたのは、まさにその質問だった。


「そのために、第三の柱がございます。それが、この事業の運営を担う、新たな組織……『水門都市水道管理協会』です」


俺は、隠し持っていた切り札を、静かにテーブルの上に置いた。


「この協会は、ギルドでも領主様の配下でもない、独立した組織とします。その役割は、日々の水路の点検、清掃、そして利用料の徴収と管理。つまり、この計画の『歯車』として、実務を担うオペレーターです」


俺はそこで一度言葉を切り、アルドリックの目をまっすぐに見つめた。ここからが、このプレゼンの本丸だ。


「アルドリック様。この協会の職員に必要なのは、弁の立つ口でも、人を斬り伏せる腕でもありません。必要なのは、ただ一つ。『実直さ』です。毎日同じ時間に水門を開け、決められた手順で水路を点検し、帳簿に狂いなく数字を記す。地味で、目立たず、しかし誰かがやらねばならぬ、尊い仕事です」


俺は、一呼吸置いた。


「この街には、おられます。戦うことは不得手で、商いの才にも恵まれなかった。人付き合いが苦手で、少し不器用な者たちが。しかし、彼らの中には、一つのことに驚くべき集中力を発揮し、誰よりも実直に、与えられた務めを果たせる者がいる。我々は、そういう者たちにこそ、この協会の仕事を任せたいのです」


謁見の間の空気が、変わった。

アルドリックの、鋼鉄の仮面のような表情が、明らかに揺れている。彼の脳裏に、街外れで暮らす我が子の姿が浮かんでいることは、想像に難くない。


「この事業は、ただ汚れた水を綺麗にするだけではございません」


俺は、最後の一押しとばかりに、声を張った。


「これは、今まで光が当たらなかった者たちに『役割』と『誇り』を与え、彼らがこの街の一員として、自らの足で立っていくための『居場所』を作る事業でもあります。領主様が守るべき民とは、屈強な兵士や、富める商人だけではありますまい。声なき民、弱き者たちをも含めた、この街のすべてであるはず。この計画は、そのすべてを守り、街の未来を盤石にするための礎となるものです!」


俺は言い切り、深く頭を下げた。

もう、言うべきことは何もない。あとは、彼の決断を待つだけだ。


長い、長い沈黙が落ちた。

アルドリックは目を閉じ、何かを深く考えているようだった。やがて、彼はゆっくりと目を開くと、俺ではなく、背後に控えるゴードンに視線を向けた。


「……ゴードン。この男の言うことは、真か」

「はっ。我が商人ギルドの名誉にかけて保証いたします。この計画に不正の余地はなく、成功すれば、街に莫大な恩恵をもたらすものと確信しております」


ゴードンの力強い返答を聞くと、アルドリックはふぅ、と長い息を吐いた。それは、諦めとも、安堵ともつかない、複雑な響きを持っていた。


「……よかろう」


その一言が、静寂を破った。


「その計画、承認する。だが、条件がある」

「なんなりと」

「その『協会』の運営、そしてすべての金の流れの監督は、お前が責任を持って行え、田中ケンジ。もし失敗すれば……わかるな?」

「御意。この田中ケンジ、命に代えましても、この事業を成功させてみせます」


俺は、床に膝をつき、武人が誓いを立てるように、深く頭を垂れた。

背後から、商人たちの安堵のため息と、かすかな喜びの声が聞こえる。


隣に立つリリアナを見ると、彼女は信じられないものを見るような目で、俺と領主を交互に見つめていた。その燃えるような赤い瞳が、尊敬の色を帯びてキラキラと輝いているように見えたのは、俺自身の上気によるものではないと思いたいところだ。


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