ローン・トゥ・オウン(乗っ取りのための融資)
「新会社『南方大陸探検株式会社』設立計画!」
俺が勢い込んで立ち上げた新プロジェクトは、ゴードンや船乗りたち、そして街の商人たちの心を瞬く間に掴んだ。ハイリスクではあるが、それを補って余りあるロマンと、莫大なリターンの可能性。男たちの夢を掻き立てるには、十分すぎるほどの魅力があった。
しかし、熱狂が少し落ち着き、俺が自社のオフィスに戻って冷静になった時、すぐに一つの大きな壁にぶち当たった。
「……人が、いない」
机の上に広げた組織図案を前に、俺は頭を抱えた。
いよいよ、まがい物ではない、本物の株式の引き受けに挑むのだ。これは、水路事業よりもはるかに複雑で、大規模なプロジェクトになる。その中核を担うべき俺の会社、「タナカ&パートナーズ」の現状は、あまりにも貧弱すぎた。
代表は、俺、田中ケンジ。
パートナーとして、領主アルドリックとギルドマスターのゴードンが、それぞれ一割ずつの株式を保有しているが、彼らはあくまで名誉職に近い。実務には関われない。
つまり、実働部隊は、俺一人。これでは、会社というより個人商店だ。
「まずは、このタナカ&パートナーズの体制を拡充しないと、話にならない」
俺は羊皮紙に、必要な役職を書き出していった。
・新会社の設立と株式発行の実務を担当する「法務・総務担当」
・投資家への説明や、出資金を管理する「財務・IR担当」
・航海計画の詳細を詰め、船や物資の調達を行う「事業推進担当」
最低でも、あと三人は、俺の右腕となってくれる優秀な人材が必要だ。
だが、問題は、その「優秀な人材」に、全く心当たりがないことだった。
「……しまったな。めぼしい人材は、みんな水道管理協会に回してしまった」
俺は自分の先見の明のなさを呪った。
水道管理協会を設立した際、俺は街中から「真面目で、実直で、誠実な」人材を探し出し、採用した。元ギルドの書記官で、几帳面な男。商売に失敗したが、数字に強い元商人。手先は器用だが、口下手に悩んでいた職人。彼らは今頃、協会の中核として、真面目に水路の管理業務に励んでいるはずだ。
「今から『やっぱり、こっちの会社に来てくれ』なんて、口が裂けても言えないしな……」
一度は安定した職を与えた彼らを引き抜くなど、人道にもとる。それに、水道事業の安定運営も、街にとっては最重要課題だ。
俺は、人材リストを片っ端から見直したが、結果は芳しくなかった。腕っぷしの強い冒険者や、一本気な職人はいくらでもいる。だが、複雑な契約書を読み解き、緻密な計算を行い、粘り強い交渉ができるような、いわゆる「ホワイトカラー」タイプの人材は、この街では絶望的に不足していた。
「どうしたものか……。このままじゃ、俺が全部一人でやる羽目になるぞ」
過労死、という嫌な言葉が、脳裏をよぎる。
そんな俺の苦悩を、オフィスの隅で見ていたリリアナが、ふと口を開いた。
「ねえ。あんたのその会社、私もパートナーなんでしょ?」
「え?」
そういえば、タナカ&パートナーズを設立した際、俺は自分が持つ80パーセントの株式の内、1パーセントを「いつも世話になってるから」という理由で、リリアナに無償で譲渡していたのだ。彼女は、書類上、確かにこの会社の共同経営者の一人だった。
「いや、でもリリアナさんは俺の護衛だし、こういう事務仕事は……」
「別に、一日中あんたの隣に座ってなくたって、護衛はできるわよ。それに、あんたが一人でパンクしちゃったら、元も子もないでしょ」
リリアナはそう言うと、俺が書きなぐった組織図案を覗き込んだ。
「ふーん、『事業推進担当』ね。船や物資の調達……。これ、私がやろうか?」
「ええっ!? リリアナさんが!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「だって、船乗りや商人との交渉でしょ? 口うるさい頑固な親父を相手にするなんて、いつものことじゃない。それに、私の方が、あんたよりよっぽど、物の良し悪しを見抜く目には自信があるわよ。特に、武器とか、食料とかね」
彼女は、悪戯っぽくニヤリと笑った。
確かに、言われてみればそうかもしれない。
彼女は、俺なんかよりずっと、この世界の常識や、物の価値に精通している。口は悪いが、頭の回転は速いし、何より物怖じしない。無愛想な親父たちを相手に、一歩も引かずに交渉する彼女の姿が、目に浮かぶようだ。
「……助かる、かもしれない」
「でしょ? 報酬はちゃんと弾みなさいよ、代表」
「ははは、善処しますよ、パートナー殿」
思わぬところから、最初の仲間が見つかった。
一人より、二人。それだけで、俺の心は随分と軽くなった気がした。
だが、問題はまだ残っている。法務と財務。この、最も専門性が高く、地味で、根気のいる仕事を引き受けてくれる人材が、どうしても見つからない。
「……こうなったら、少々悪どいが、最後の手段だ。……人材、ローントゥオウン作戦」
俺は、自分の呟いた作戦名に、思わず苦笑した。前世の金融業界で使われていた、少々あくどい手法の名前だ。不採算企業に融資をしたり、債権を買い集めたりして、破綻後に最大債権者として会社そのものを乗っ取る――Loan to Own。まあ、今回は会社を乗っ取るわけではない。人材を「所有」するのだから、あながち間違いでもないか。
ターゲットは、ゴードンから取り寄せたリストの筆頭、「エルリック商会」。
俺は計画通り、タナカ&パートナーズの資金で、アクアフォールの商人たちが持っていたエルリック商会への債権を、全て額面で買い取った。商人たちは、焦げ付きかけていた債権を現金化できて大喜びだ。これで俺は、エルリック商会にとって、最大の債権者となった。
準備は整った。俺はリリアナと、護衛兼「ハッタリ」役の退役騎士数名を引き連れて、隣町にあるエルリック商会の寂れた事務所へと乗り込んだ。
事務所の扉を開けると、そこには想像通りの光景が広がっていた。埃っぽい空気、山積みの未処理の伝票、そして、覇気のない数人の従業員。その奥で、二代目の若主人、アラン・エルリックが、青白い顔で俺たちを迎えた。彼の両脇には、いかにも古株といった風情の、初老の男二人が、苦虫を噛み潰したような顔で控えている。
「さて、アラン君。君のところの借金、俺がまとめて引き受けさせてもらった。早速だが、返済計画を聞かせてもらおうか」
俺が単刀直入に切り出すと、アランは俯いたまま、か細い声で答えた。
「も、申し訳ございません……。今すぐには、とてもお支払いできるような金は……」
「だろうな」
俺は、彼の絶望を見透かすように、ニヤリと笑った。
「金がないなら、仕方ない。金がないなら……『人』で払ってもらおうか」
俺が指さした先は、彼の両脇を固める二人のベテランだった。
一人は、先代からの番頭を務める、ゲルトという男。法律や契約事の知識が豊富で、その堅物ぶりは有名らしい。
もう一人は、会計係のオズワルド。数字に関しては、どんな小さなごまかしも見逃さない、「帳簿の鬼」との異名を持つ男だ。
「このお二人を、我がタナカ&パートナーズに、期限付きで『出向』してもらう。その間の給金は、君の借金と相殺だ。彼らがうちで働いて稼いだ金で、君は借金を返すことになる。どうだ、悪い話じゃないだろう?」
アランは、俺の提案の意味が理解できず、ただ呆然としている。だが、ゲルトとオズワルドの二人は、その真意を察したのだろう。悔しさと、わずかな安堵が入り混じったような、複雑な表情をしていた。この放蕩主人に仕える日々に、彼らも限界を感じていたに違いない。
こうして、半ば強引な形で、俺は法務と財務のスペシャリスト二人を、レンタル移籍のような形で手に入れた。
ゲルトとオズワルドは、アクアフォールにやってくると、最初は戸惑いながらも、すぐにその能力を発揮し始めた。
ゲルトは、俺が作った新会社の定款案を見るなり、「タナカ代表、この条文では、株主の権利が曖昧です。将来の紛争を避けるため、より明確な規定を追記すべきです」と、的確な指摘をしてきた。
オズワルドは、航海事業の予算案を一瞥し、「船員の食料費が過小に見積もられています。また、予備の帆やロープなどの修繕費が計上されていない。これでは、計画が絵に餅ですぞ」と、厳しいダメ出しをしてきた。
彼らは、まさに俺が求めていた人材だった。俺が大局的な戦略を描き、彼らが専門的な知識でその穴を埋めていく。タナカ&パートナーズは、ようやく本格的なチームとして機能し始めた。
数ヶ月後。俺は再び、エルリック商会を訪れた。
ゲルトとオズワルドの二人は、すでにアクアフォールでの仕事に生きがいを見出しており、「期限が来ても、この会社で働き続けたい」と、俺に願い出ていた。
「アラン君。君に、もう一つ提案がある」
俺は、すっかりやつれた若主人の前に座った。
「ゲルトさんとオズワルドさんは、もう君の商会には戻らない。俺の会社で、正式に雇うことにした」
「そ、そんな……」
「その代わり、君の借金は、これで全て帳消しにしてやろう。どうだ?」
アランは、一瞬、信じられないという顔をしたが、すぐに深い安堵のため息をついた。彼にとって、あの二人は有能だが、同時に自分の道楽を諫める、うるさいお目付け役でもあったのだ。
「だが、ただでとはいかん」と俺は続けた。
「君、どうにも商売の才はなさそうだな。椅子に座って帳簿を眺めるより、体を動かす方が向いてるんじゃないか?」
「え……?」
「今度、俺の会社で、南の大陸へ向かう大きな船を出す。危険な航海だが、夢のある仕事だ。お前も、船員の一人として、その船に乗れ。一から出直してこい。それが、先代への、そして、これまで迷惑をかけてきた人々への、お前なりの償いだ」
俺の言葉に、アランはしばらく呆然としていた。しかし、彼の目に、初めて力のない光ではない、何か別の感情が宿ったのを俺は見逃さなかった。それは、絶望の淵で差し伸べられた、最後の蜘蛛の糸を見た者の目だった。
「……わかり、ました。乗ります、その船に」
こうして、俺の「人材ローントゥオウン作戦」は、完璧な形で幕を閉じた。
法務と財務のスペシャリストという、最高の仲間を手に入れ、ついでに航海の船員まで一人確保した。
アクアフォールに戻る馬車の中で、リリアナが呆れたように言った。
「あんたって、本当に人が悪いわね。結局、全部あんたの思い通りじゃない」
「人聞きの悪い。俺は、全員がよりマシな人生を送れる、別の選択肢を示しただけさ」
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