閑話2 冒険者ごっこの次は経済学者ごっこ
銅貨数枚の稼ぎで、ギルド併設の安酒場で乾杯する。そんな「冒険ごっこ」の日々は、存外に楽しく、俺の心を穏やかにしてくれた。薬草採取の依頼をいくつかこなし、時には森でキノコ狩りをしたり、小川で魚を釣ったりと、まるで前世の夏休みに戻ったかのような、のどかな時間が流れていく。
しかし、のんびりした日々を数週間も続けるうち、俺の頭の中に、ある種の「違和感」が芽生え始めていた。それは、職業病とも言うべき、分析癖からくるものだった。
きっかけは、ギルドの依頼掲示板を眺めていた時だ。
「『月光苔』を5つ、北の洞窟から」
「『鉄鉱石』を荷車一杯分、西の廃坑から」
「『硬い木材』を10本、東の森から」
依頼はどれも、「どこそこへ行って、天然の素材を採ってこい」という内容ばかり。まるで、宝探しゲームのようだ。
その日の夜、いつもの安酒場で、俺はその違和感をリリアナに話してみた。
「なあ、リリアナさん。この世界って、ちょっと不思議じゃないか?」
「何がよ、急に」
「例えば、薬草。なんでみんな、森に採りに行くんだろうな? 畑を作って、栽培すればいいじゃないか。そうすれば、安定して大量に手に入るし、冒険者だって危険な思いをしなくて済む」
俺の言葉に、リリアナはきょとんとした顔をした。
「はぁ? 何言ってるのよ。薬草は、女神様が森に与えてくださった恵みよ? 人間が勝手に畑なんかで育てられるわけないじゃない」
「いや、でも、小麦や野菜は畑で育ててるだろ? あれと同じだよ」
「小麦と薬草は別物よ! そんなの、常識でしょ!」
リリアナは、心底おかしなことを言う奴だ、という顔で俺を見た。
その会話で、俺はハッとした。
そうだ。この世界では、農業だけが「栽培経済」として確立されている。畑を耕し、種を蒔き、収穫する。計画的に食料を生産する、という概念は存在するのだ。
しかし、それ以外の分野――薬草、鉱物、木材といった資源は、ほとんどが「狩猟採集経済」の段階に留まっている。
必要な時に、必要なだけ、自然の中から見つけ出してくる。そこには計画性も、安定供給という発想もない。まるで、ドングリを拾い集めるリスと同じレベルだ。
(とんでもない非効率だ……!)
現代人の感覚からすれば、信じられないほどの非効率性。なぜ、この状況が放置されているんだ?
一つの仮説は、リリアナが言ったような「経済文化」の問題だ。「自然の恵みは採集するもの」という、文化的、あるいは宗教的な価値観が、人々の行動を縛っているのかもしれない。
だが、それだけではないはずだ。商人がいる以上、利益を追求するはず。もっと効率的な方法を考えないのはなぜだ?
「商会も不思議だよな。例えば、シュタイン商会みたいなデカいところが、薬草を栽培する大規模農園を作ったり、鉱山を計画的に掘削したりすれば、莫大な利益を上げられるはずだ。規模の経済を追求すれば、独占だって夢じゃないのに」
俺がそう言うと、リリアナは呆れたように首を振った。
「だから、そんなことしたら潰されるって言ってるでしょ」
「誰に?」
「決まってるじゃない。他の商会と、冒険者ギルドよ」
リリアナの説明を、俺の頭がビジネス用語に変換していく。
つまり、こういうことか。
冒険者ギルドは、「素材採取」という依頼を独占することで、最下層の冒険者たちの仕事を確保し、組織の存続意義を保っている。もし商会が素材の安定供給を始めたら、ギルドの存在価値が揺らぎかねない。だから、ギルドはそうした動きを抑制する。
商会同士も、過度な競争を避ける「暗黙の了解」があるのだろう。一つの商会が、革新的な方法で市場を独占しようとすれば、他の全ての商会が結託して、その「出る杭」を叩き潰す。価格競争、流通の妨害、悪評の流布……手段はいくらでもある。
安定と秩序を重んじるあまり、変化を恐れ、革新を拒む。ギルドや商会といった「しがらみ」が、経済全体の発展を阻害しているのだ。
「……なるほどな。そういうことか」
謎が解けた瞬間、俺の全身に、ぞくぞくとした興奮が走った。
この、とんでもなく非効率で、しがらみだらけの世界。
それは見方を変えれば、無限のビジネスチャンスが眠る、手つかずのフロンティアだということだ。
「狩猟採集経済」から「栽培・工業経済」へのパラダイムシフト。
既存のギルドや商会のしがらみを掻い潜り、新たな価値創造の仕組みを作る。それは、俺がアクアフォールでやったことの、まさに拡大版ではないか。
「……ねえ、何ニヤニヤしてるのよ。気持ち悪いわ」
「いや、なんでもない。ただ、少し、面白いことを思いついてな」
俺はぬるいエールをぐいっと飲み干した。