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領都グライフェンベルクの門をくぐった瞬間、俺は肌で感じた。この街は、病んでいる。
道中で見てきた村々には、貧しくはあっても、日々の営みの中に息づく人々の生活感があった。畑を耕し、家畜の世話をし、家族と食卓を囲む。そんな、昔から変わらないであろう牧歌的な空気が流れていた。
しかし、この領都で感じるのは、「寂れている」という一言に尽きる、重苦しい停滞感だけだった。
道を行き交う人々の顔には生気がなく、店先のシャッターは多くが閉ざされたまま。かつては活気に満ちていたであろう市場も、閑散としている。繁栄の残り香だけが、埃っぽい街並みの隅々に虚しく漂っていた。
唯一、奇妙な「活気」があったのは、街の中心部に壮麗な建物を構える「シュタイン商会」の周辺だけだった。だが、その活気は健全なものではない。建物の前では、武装した用心棒たちが威圧的にあたりを睨みつけ、中からは時折、誰かの怒声や、金の返済を迫るような声が漏れ聞こえてくる。
「……あのシュタイン商会が、今の辺境伯の懐刀か」
護衛の騎士が、吐き捨てるように言った。辺境伯の贅沢を支え、その威光を笠に着て、領民から金を搾り取っているのだろう。腐敗は、領主の足元から確実に広がっている。
そんな陰鬱な空気の中、俺たちの一行は、街で最も大きく、そして最も虚飾に満ちた建物――ロンバート辺境伯の居城へと通された。
謁見の間は、無駄にだだっ広く、壁には色褪せたタペストリーや、趣味の悪い剥製がこれみよがしに飾られている。そして、その中央に置かれた豪奢な椅子に、一人の若い男がふんぞり返っていた。彼が、ロンバート辺境伯、レオポルト。年の頃は二十代半ばだろうか。洒落た絹の服に身を包んでいるが、その顔には不摂生からくるむくみと、傲慢さが浮かんでいる。
「……ようこそ、アクアフォールの使者殿。長旅、ご苦労だったな」
レオポルトは、値踏みするような、ねっとりとした視線を俺に向けた。隣には、シュタイン商会の会頭らしき、狸のように太った男が控えている。
俺は予定通り、アクアフォール辺境伯の私的顧問として、形式通りの挨拶を述べた。
「この度は、お招きいただき光栄です、辺境伯閣下。私、アクアフォール辺境伯アルドリック様の私的顧問、タナカと申します」
公式な肩書を名乗ると、レオポルトの目がわずかに見開かれた。ただの商人が来るとでも思っていたのだろう。こちらの格を示す、というゴードンたちの狙いは、まずは成功したようだ。
形式的な挨拶の後、俺は単刀直入に本題に入った。
「さて、閣下。早速ですが、貴領が誇る炭鉱の再生について、我々がご用意した画期的な計画をご提案させていただきたく存じます」
俺は懐から、美しく装丁された企画書を取り出した。
まず俺が説明したのは、この世界ではまだ誰も知らない「株式会社」という仕組みだった。
「……つまり、炭鉱の所有権を細かく分け、『株券』という証文にして売り出すのです。これを買った者は、炭鉱の共同オーナーとなります。炭鉱が利益を上げれば、その者は『配当』という形で、利益の分配を受け取ることができる。閣下はご自身の資産を一切切り崩すことなく、莫大な事業資金を集めることが可能となるのです」
俺の説明に、レオポルトの目が輝き始めた。狸親父のシュタインも、身を乗り出している。自分の金を使わずに、他人の金で事業を興す。その甘い響きは、彼のようなタイプの人間には、麻薬的な魅力があるのだろう。
「ほう……それは面白い! 実に画期的な仕組みではないか! で、その『株券』とやらは、誰が買うのだ?」
「それは、貴領の富裕層や、我々アクアフォール、ひいては近隣諸国の商人たちにも広く呼びかけることになります。この事業の将来性を信じる者、すべてが投資家となり得ます」
「素晴らしい! さすがはアクアフォールの金融の魔術師だ!」
レオポルトはすっかり上機嫌になり、椅子から立ち上がった。
よし、食いついた。最高のタイミングだ。俺は、最後の仕上げに入ることにした。
「つきましては、この株式発行に際し、我々『タナカ&パートナーズ』がお手伝いさせていただきます。こちらが、その際の手数料に関するお見積書となります」
俺は、もう一枚の羊皮紙を、恭しく差し出した。
レオポルトは、それをひったくるように受け取ると、自信満々の笑みを浮かべたまま、内容に目を通した。
そして、次の瞬間。
彼の顔から、血の気が引いた。
「……なんだ、これは……?」
震える声で、彼は呟いた。
「『発行・引き受け手数料』……調達予定総額の、ご、五十パーセント……だと……?」
謁見の間に、しん、と静寂が落ちる。
隣のシュタインも、信じられないものを見る目で、羊皮紙を覗き込んでいる。
俺は、完璧な営業スマイルを浮かべたまま、静かに言った。
「はい。この画期的なスキームを考案し、発行手続き、投資家募集、そして事業計画の監督まで、その全てを我々が責任を持って遂行するための、いわばコンサルティング料でございます。決して、法外な額ではないと自負しておりますが」
レオポルトは、ワナワナと体を震わせ、顔を真っ赤にして俺を睨みつけた。
「ふ、ふざけるなッ! 半分だと!? それでは、集めた金の半分を、貴様らにくれてやるようなものではないか! これは詐欺だ! 足元を見おって!」
彼の怒声が、だだっ広い謁見の間に響き渡る。
計画通り。俺は心の中で、ガッツポーズをした。
「お気に召しませんでしたか。それは残念です」
俺は、心底残念そうな表情を作って見せた。
さあ、どうする、辺境伯閣下。
このまま、この話をご破算にするか?
それとも……この甘い蜜の味だけを、かすめ取ろうとするか?
俺は、彼の次の言葉を、静かに待った。それは、この厄介な案件から俺を解放してくれる、魔法の言葉になるはずだった。
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