急な出世は居心地が悪い
承知いたしました。新たな舞台、ロンバート辺境伯領への道中と、領都に到着するまでの様子を描きます。
俺のロンバート辺境伯領への「出張」は、想像以上に大掛かりなものになってしまった。
「私的顧問殿の道中の安全を確保するのも領主の務めの一つだからな」
アルドリック領主はそう言って、冒険者ギルドから腕利きの退役騎士を数人、俺の護衛として手配してくれた。煌びやかなプレートアーマーに身を固めた、いかにも強そうなベテランたちだ。
「タナカ顧問、馬車の乗り心地はいかがですかな?」
「は、はあ、快適です……」
俺とリリアナが乗る馬車の前後を、屈強な騎士たちが固めている。どう見ても、ただの旅の一団ではない。どこかの国の重要人物が、公式訪問にでも向かっているかのような光景だ。
「……なんか、すごいことになってない?」
リリアナが、馬車の窓から外を眺めながら、呆れたように呟いた。
「まったくだ。断りに行くだけなのに、この物々しさはなんなんだ……」
俺はため息をついたが、これもゴードンやアルドリックなりの「ハッタリ」なのだろう。俺という個人ではなく、「アクアフォールからの公式な使節団」という体裁を整えることで、相手にこちらの本気度(と、その裏にある牽制)を示しているのだ。
馬車に揺られ、アクアフォールの街を出ると、風景は一変した。
商業都市として洗練されたアクアフォールとは違い、ロンバート辺境伯領は、どこまでも広がる農地と、天を突くようにそびえる高い山々が続く、いかにも「辺境」といった趣の土地だった。豊か、とは言えないかもしれないが、雄大で、素朴な美しさがある。
道中、いくつかの宿場町に立ち寄った。人々は、俺たちの物々しい行列に驚きながらも、素朴で人懐っこい笑顔を向けてくれた。アクアフォールのような都市の民とは違う、土と共に生きる人々の、穏やかな空気がそこにはあった。
しかし、酒場で少し話を聞けば、彼らの生活の厳しさも透けて見えてくる。
「まったく、今年の税はまた上がるって話だ。これ以上、何を搾り取ろうってんだか」
「うちの息子も、来月は鉱山の賦役に行かされる。ろくな賃金も出ねえのによ」
「領主様は、領都で派手な宴会ばかり開いてるって噂だぜ。俺たちの苦労も知らずに……」
人々は口をそろえて、重税と賦役の苦しさをこぼした。領主への不満は、明らかに燻っている。だが、それは憎しみというよりは、諦めに近い感情のようだった。かつては、この土地も豊かだったのだ。その記憶があるからこそ、今の凋落ぶりが、より一層彼らの肩に重くのしかかっているのだろう。
「……ひどい話ね」
宿の部屋で、リリアナが沈んだ声で言った。
「ああ。領主一人が贅沢をするために、領民全体が貧しくなっている。典型的な、国が傾くパターンだ」
俺の胸に、チリチリとした痛みが走る。
ただ「断って帰る」だけで、本当にいいのだろうか。この素朴な人々を、あの強欲で愚かな領主の下に置き去りにして。
いや、感傷は禁物だ。俺はビジネスマンだ。慈善事業家じゃない。俺にできることには、限界がある。そう自分に言い聞かせた。
旅を続けること、一週間。
長かった道中も、ようやく終わりを迎えようとしていた。馬車の窓から、前方の丘の上に、一つの街が見えてきた。
「タナ-カ顧問、あれがロンバート辺境伯領の領都、グライフェンベルクでございます」
護衛の騎士が、馬の横から声をかけてきた。
遠目に見えるその街は、立派な城壁に囲まれ、中央には天守の高い城がそびえ立っている。かつての繁栄を偲ばせる、堂々とした構えだ。しかし、どこか活気がない。街全体が、くすんだ灰色の靄に覆われているように見える。煙突から立ち上る煙も少なく、人々の往来もまばらだ。
それはまるで、過去の栄光にしがみついたまま、ゆっくりと時が止まってしまったかのような、寂寥感に満ちた光景だった。
「……着いたな」
俺は、懐の奥にしまい込んだ「べらぼうな手数料の見積書」の感触を確かめる。
さあ、始めようか。
この寂れた街の、愚かな領主様を相手に、俺のキャリアで最も意地悪な交渉を。
俺たちを乗せた馬車は、錆びついた鉄の門をくぐり、静まり返った領都グライフェエンベルクの石畳へと、ゆっくりと入っていった。