第8話 地雷が多過ぎる俺と図々しい幼馴染
「では、早速お願いします」
「はい」
放課後のこと。
俺と凪咲はファミレスの席に隣り合って座り、ノートや教材を広げ合っている。
テーブルにはそれ以外にドリンクバーの飲み物しかなく、少し店員さんに申し訳なく思うところだ。
俺は鞄からルーズリーフを取り出し、早速凪咲の様子を見る。
「これ、一学期の期末テストなんですけど」
「うーん。当たり前だけど、単語やイディオムも授業で習ったところは完璧。読み取りに関しては+αで点も取れてるな。やっぱ課題はリスニングか。それと……」
「応用の問題が軒並み苦手で。授業で習ったところは勿論解けるんですけど、問題は理解力が低い状態で読解に挑んでいるので時間が足りないことです」
「後半の怒涛の空欄ラッシュでなんとなく察したよ」
凪咲の解答用紙はTHE・優等生って感じだった。
大問1から大問3までにかけてはほぼ全問正解。
その先、読解問題もかなり解けていて、なんならその出来は俺以上だった。
流石、国語が得意と言っていただけのことはある。
だがしかし、不十分だ。
彼女の点数は一枚目が68/100点、二枚目が71/100点。
その原因は完全にガス欠で、後半の大問2つくらいがほぼ空欄になっているせいだと、一目でわかった。
うちの学校の定期試験は受験対策レベルで問題量が多く、特に読ませる問題揃いなため、悠長に解いていたらこういう事態に陥る。
眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべる凪咲。
どうやらこいつはかなりの完璧主義かもしれない。
と、もうひとつ、正面から不機嫌なオーラを感じ取った。
顔を上げると、そこには仏頂面のレイサがストローを咥えて睨んできている。
「なんだよ」
「いや? 別にお気になさらズ?」
「気にするだろ」
気にするし、気が散ることこの上ない。
まぁ本来この時間はレイサにたまに勉強を教えていた。
自分の時間が奪われて不服なのだろうか。
「ちゃんとレイサさんの分の対策問題は用意しただろ?」
「それはそうなんだケド、そういうコトじゃなくってサ」
要領を得ない奴だ。
まぁいい、レイサがおかしいのは今に始まった事じゃない。
「雨草さん、多分君は理解力が低いから時間がかかり過ぎるわけじゃない。ただシンプルに時間をかけ過ぎなんだ。例えばここ」
俺は問題用紙の一部を指す。
「この長文記述問題、配点はデカい。だがしかし、引っかけ要素もあるしそれだけ難易度も高いんだ」
「そうですね。難しかったです」
「そこを君は満点を取れている。これが問題だ」
「……?」
不思議そうに首を傾げる凪咲。
と、そこで本人じゃなくレイサから質問をされた。
「ハーイ先生。なんで満点取ったらダメなノ? 点取れるのは良いコトじゃん」
「この前配点の考え方と理論値の点が取れる確率の話をしただろ? それと同じだ」
「小テストの時に言ってたムズカシイやつね?」
要するに、この記述問題の15点を取りきる必要はない。
ここに60分中の20分をかけるくらいなら、5分で7点の部分点を取って残り15分で別の問題を、最後まで解き切った方が良いという話だ。
勿論、本当に英語が得意な奴なら効率よく解いて満点を目指せるのかもしれない。
だが俺は違う。
俺に勉強を聞いてくるという事は、すなわち切り捨てる勇気を持つという事だ。
地頭が良くないからこその発想である。
とは言え、まぁこれは受験対策のセオリーだな。
俺の説明に、凪咲は感銘を受けたように、しかしどこか納得いかなそうに苦笑して見せた。
「取れる問題を捨てて先に進むのはモヤモヤするだろうけど、きっと点数は結果的に上がる」
「はい。私もそう思います」
「それにしても、読解の正答率がえげつないな」
「ふふ、昔から本を読むのが好きだったので。最近は英語の本も意識的に読もうとはしてみてるんです」
楽しそうに話す凪咲に、俺はコンプレックスが爆発しそうになった。
何を隠そう俺、枝野筑紫は根っからの活字大嫌いマンである。
父親が健在の頃はゲームや外でボール遊びをするのに夢中で、本みたいな娯楽には一切触れてこなかった。
文の読解や構成能力は、幼少期の習慣次第だと思っている。
おかげで俺は未だに小論文や記述問題など、頭に浮かんでいる要素を繋げて制限文字内に纏めることができない。
しかし悩む俺を他所に、上には上がいた。
「へー。アタシ、日本語の本なンか読まなかったからナ。マジ国語無理なんだよー」
「ど、同士だ!」
「え、ツクシーも帰国子女だったノ!?」
つい身を乗り出して共感してしまった。
確かに、こいつは国語が一番の課題なのだろう。
喋り方も独特なアクセントでたまに第一言語じゃない感が出てるし。
壮大な勘違いをされているが、とりあえず活字が読めない&書けないという致命的な弱点を共有できる存在に、俺は寂しさを埋められる。
「ありがとうレイサさん……!」
「なンか泣いてる!? 地雷多過ぎてわけわかンないっテ!」
「そう、俺は紛争地だ……」
「壊れたンですケド!」
混乱するレイサに、それを見て笑う凪咲。
「ふふ、お似合いですね」
「チョ、ナギサ……!」
何か違和感のある凪咲の反応に首を傾げつつ、まぁいいかと流した。
しかし、まるで夢に見た時間だ。
放課後に勉強しながら談笑もして、しかも相手は自分よりはるかに成績の良い存在。
俺が学ぶことも多くある。
さらに、なんと言ってもこの二人は、学校で抜群の人気を誇る美少女たちだからな。
少し前まで想像もできなかった生活である。
楽しい。
幸せ過ぎる。
ここまで充実した環境で勉強できるなんて、俺はなんて幸せ者なんだろうか。
改めて嚙みしめる幸せ。
だがしかし、そんなフラグ立てをしたのがマズかった。
「ツクシー、スマホ鳴ってない?」
「え? いやいや、俺のスマホに連絡してくるような人間は今いないって」
母親は今日は仕事でずっと帰ってこないし、生憎連絡先を交換した友達は目の前のレイサしかいない。
こいつが悪戯で電話をかけているならまだしも、そんな様子はない。
あとあるとしたら、腐れ縁の幼馴染くらいだ。
うん。
考えが及んで一気に顔が引きつった。
「あ、止まった」
「でも別の通知音が鳴りましたね。ご家族からでしょうか」
電話の着信音は止まったが、ラインの通知音が続け様に聞こえる。
何件か送ってきたことから、犯人は一人に特定された。
何故なら、うちの母親は長文のメッセージに全ての要件を詰め込んでくる古の電子メールユーザーだからな。
逆説的にもう連絡の相手はあいつしかいない。
ポケットからスマホを取り出すと、案の定果子の名前が通知欄に載っていた。
『今日の夜ご飯食べさせてー』
ロック画面に表示されていた最新のメッセージはこれだ。
あれ以降、ずっと連絡なんてなかったのに一体何故。
しかもこの文面から、俺に対する申し訳なさとか気まずさとかは一切感じない。
猛烈に、この前のファストフード店での事を思い出す。
あれだけ人を馬鹿にしておいて、夕飯を用意させる気か?
母子家庭で金に困っているのを知っていながら?
たまにうちの母親の作った飯を『まずーい』とか言って捨てていたくせに?
「つ、ツクシー?」
「枝野さん……」
二人の声が遠い。
俺は忘れかけていた感情を思い出して動悸が止まらなくなっていた。
離れて気付いたが、やられっ放しは調子に乗らせるだけだ。
もう、許さない。
いつの間にか、俺はスマホを握る手が真っ白になるほど力を込めていた。