第66話 運命のテスト本番、ガリ勉は緊張で腹を下す
様々な人の手を借りたテスト対策も終わり、あっという間に日は過ぎる。
息つく間もなく中間考査本番がやってきた。
改めて考えると、本当に休む暇なんてなかった。
今月は文化祭もあったため、行事に追われて目が回る思いだ。
二学期は長いんだから、もう少しどうにかスケジュール調整できないのかと恨めしくもある。
もっとも、学生生活において暇な時期なんてない気もするがな。
進学校の宿命なのかもしれない。
と、そういう日程的事情もあって、今回は多くの生徒が対策をサボり気味なように思える。
テスト直前までへらへらしている奴が多かったし、彼らに言わせてみればこの一つの定期試験如きに全力を注ぐ必要もないわけだ。
巷では新人戦なる部活動の大会もあるらしいため、今回は成績を落とさなければいい~くらいのスタンスの生徒がほとんどである。
とは言え、それはそれだ。
俺は少々イレギュラーな境地に立たされているため、今回のテストが割と人生の中でも最大級に重大な価値を持つ。
成績を落とすなんて言語道断。
過去一番の出来で有終の美を飾る以外、選択肢がない。
今回の試験は全10科目が三日に分けて行われる。
それに合わせて水木金が午前中だけの日程になっており、水曜日の今日はとりあえず4科目。
具体的に俺達一年生は朝から数学A、歴史、現代文、英語表現という少々重めなラインナップになっていた。
というわけで朝9時半の現在。
俺は早速数学Aのテスト問題を解いているのだが……。
ヤバい。
どうしよう。
冷や汗を流しながら、俺は柄にもなくテスト問題を落ち着きなく眺めていた。
「……」
初っ端の朝一から得意科目だったのは幸運だと思いきや、むしろそれが罠だった。
今回のテストでは英語や他教科に力を入れていたため、数学に割くリソースが正直かなり減っていた。
そのせいで自信が持てなくなってしまったのである。
久々の焦りに、自分でも動揺する。
以前ほど万全の対策をしていないため、難問へのアプローチに自分でも懐疑的になってしまうのだ。
本当に、この解き方で合っているのだろうか。
もし間違えていたら、何点引かれる?
ここで落したら、平均点が何点くらいになるんだろう。
それ次第では、高木に負ける事もあり得てくるわけで。
部分点を計算しつつ、俺の手は震える一方だ。
なんなら腹も痛くなってきた気がする。
そう言えば今朝から調子が悪かったし、昨晩にストレスで若干多めにご飯を食べたのが悪かったのだろうか。
昨日はどうしても緊張して普段通りの生活ができなかったのだ。
しかし、テストの残り時間はもう12分しかないため、今トイレに行ったら確実に見直しができなくなる。
で、でもヤバい。
もし漏らしたら、それはそれで推薦枠を落とすのと同じくらい人生が詰む!
じゃあその前に、せめて配点の確認と安心材料が欲しい。
だからまずは配点のチェックをしよう。
……よし、そうしよう。
安心した後に、テストを放棄してトイレに行こう——。
って違う!
こんなタイミングで部分点の計算なんかするな俺!
再度時計を見て首を振る。
残りは10分以上ある。
いつも通りの余裕ぶりじゃないか。
落ち着いて、しっかり見直しをしよう。
腹痛も気のせいだ。
冷静に考えれば、大してピンチでもない気がしてきた。
それに、ここで満点を取れば、医学部の推薦入学がぐっと目前に迫るんだから。
……だから、そういう事を考えるなって。
自分でも呆れるほどに視野が狭くなっている。
どうも思いつめ過ぎているらしい。
あまりにも典型的なテンパり思考スパイラルに、我ながらアホらしくてつい頬が緩んだ。
馬鹿か俺は。
一旦落ち着け。
「ふぅ」
深呼吸し、息を整える。
ここはまず、考え方を変えよう。
焦りを殺すため、俺は自身の不安要素を一度整理することにした。
その際、思い出すのは数日前のとある会話だ。
テスト中にすることではないが、俺は一先ず回想に耽る。
『へ~、医学部の推薦ねぇ。筑紫、いつも頑張ってるもんね』
『なんだかやけに軽い反応してるけど、とんでもない事なんだからさ』
『わかるわよそのくらい。お母さんはそれを知った上で、あんたの頑張りを評価してるんでしょうが』
『本当かよ』
ほんの少し前の事だ。
仕事帰りの母親に、例の推薦の話をする機会があった。
だけどいざ話すと思ったより淡白な反応に、俺は少し困惑したものだ。
というわけで如何にこの話が異例な事かを詳しく話したが、母は面倒くさそうに苦笑するだけ。
せっかく俺が家の事も考えてここまで頑張ってきたのに……なんて、少し不機嫌にもなった。
だがしかし、すぐにその母の態度の理由を知って、俺は言葉を失う事になる。
『でもあんた、行きたいって言ってた学校そこだっけ?』
『いやそれは……』
『ふぅん』
その時、俺の頭に浮かんだのは海凰大だった。
この話が出るまで第一志望として見据えていたゴールは海凰の特待生枠だったわけで、俺としても正直、制限がなければ海凰大を受けたかった。
ただどうしても、俺には家庭的な事情がある。
学力的な問題と、合格できる確率だって一般と推薦では全く異なる。
様々な要因のせいで、俺は自分の『行きたい』とか『やってみたい』という感情を、無意識に押し殺していたのだ。
自分の気持ちより、最終目標である医者という夢に近づける可能性が高い、環境的難易度の低い選択肢を優先していた。
それを簡単に見透かされ、決まりが悪くなった。
『あんたは余計なこと考えなくていいのよ』
『いやでも、そういうわけにも』
『はぁ……。相変わらず視野が狭いわね。あんたは自分がどうしたいのか、とりあえずそれだけを優先して考えなさい。そしてそれを実行しなさい。その後の事は、また考えればいいんだから』
『いいの? でもそんな感じで上手くいくのかな』
『あはは、知らないわよ。無理なら無理って手遅れになる前に言うわ』
『……テキトーだな』
俺の母親は逞しい人だ。
8年間も一人で俺をここまで育ててきた人間だ。
メンタルは強いし、変に気を回すようなタイプでもない。
どちらかと言うと、パッション全開で刹那を全力で生きる人である。
だけどそんな親の言葉が、今この時の俺には一番助かるものだった。
と、そんな事を思い出していると、次第に不安が消えた。
残り時間は5分にまで減ってしまったが、頭はスッキリしたように思える。
もうこれで大丈夫だろう。
解答用紙が、なんだか少しクリアになって見えるような気がした。
雑念を雑念で吹き飛ばすという斬新な行為に、我ながら少し笑える。
気を持ち直し、そのまま一番悩んだ問題に再度目を通して俺は頷いた。
相変わらず自信はないが、この解答が今の俺に出せるベストなものだ。
これで間違えるなら、もうどうしようもないと思う。
それを糧にして次に生かせば良い話だ。
回想しながら自分の気持ちを整理したおかげで、ここに来てなんだか楽しくなってきた。
なんだかんだ、今だけだからな。
数ある学校行事の中で俺が没頭して楽しめる時なんか、テストを受けている最中と結果開示のタイミングくらいだ。
唯一活躍できて、満足できる瞬間。
——そして、主役になれる時間だ。
この前の実力考査で一位を取った時の興奮は、まだ記憶に新しい。
文化祭の時から待ちに待っていたテスト本番なんだ。
今を、楽しもう。
ニヤリと笑うと、テスト監督だった担任と丁度目が合った。
彼は凄く心配そうに、そして気味悪そうに目を背ける。
なんとも冷たい反応だ。
あの人が持ってきた推薦話に、今の今まで俺はこんなに悩まされたというのに。
ともあれ、緊張感に呑まれず何とか克服できた。
試験終了のチャイムを聞きつつ、俺は拳を握る。
このまま、最終日程まで突き進もう。