第61話 押しが強い美少女と勘付くガリ勉
「この前の、お化け屋敷でのこと、覚えてますか?」
言われてすぐに、凪咲の細い指の感触を思い出した。
文化祭のお化け屋敷で仕掛けに驚いた彼女が、そのまま手を繋ごうと言ってきたのだ。
俺もそれを受け入れ、手を握ったままその時間を過ごした。
「覚えてるけど……」
「どうでした?」
「え?」
意見を求められて困惑する。
どうでした?って、なんだよ。
そりゃ驚いたとか少し照れたとか、色々あるけどそれを言えって事か?
意図が分からず、何と答えればいいかわからない。
「私は、ドキドキしました」
「……」
「男の人と手を繋ぐのなんて、初めてでしたから」
そりゃそうだろう。
俺の知っている雨草凪咲という女子はそういう人間だ。
その清楚さや奥ゆかしさに男子が惹かれ、学内でも屈指の人気を誇っているのだから。
「それで、筑紫君はどう感じたのかと気になってて」
「俺も、びっくりしたよ。まさか凪咲にあんなことされるのなんて予想外で」
「嫌でしたか?」
「そんなわけないだろ。動揺しただけだから」
「じゃあ……嬉しかったですか?」
「いやその……え?」
どうしたんだ急に。
そんなことを聞かれて、なんと答えればいいんだろう。
嬉しかったかどうかを正直に答えるなら、答えはイエスでもノーでもない。
さっき言った通り、驚いただけだ。
勿論嫌だったわけでもないが、生憎あの状況で凪咲の手の感触を楽しめるほど俺の肝は座っていない。
だがしかし、そういう事なのか?
俺だって色々フィクションは嗜んできた。
そういう知識をフル動員すると、俺にはこの質問はもっと意味を持ったモノのように思えた。
それこそ、つい先日一人で考え込んでいたようなことだ。
やはり凪咲は、俺の事を意識しているのだろうか。
しかし、それにしては凪咲の表情には照れも何もない。
真顔で、ただ真剣に聞いてきている。
もう意味が分からない。
「別に、嬉しいとかそんなことは考えもしなかったよ。俺がお化け屋敷に連れ込んだせいで怖がらせてしまったわけだから、罪悪感が凄くてさ」
「そう……ですか」
当たり障りのないように事実を言うと、凪咲は少し表情を崩した。
それがなんだかショックを受けた顔のように見えて、俺も困ってくる。
少し無言の間があると、凪咲がハッと我に帰る。
「な、なんだか変な雰囲気になっちゃいましたね。勉強しましょう。勉強!」
「お、おう」
「私、今日は国語を教えちゃいますよ。ほら、今回の現代文の範囲、結構難しいっておっしゃってたのでここは私が一肌脱いで……あ、えと」
「はは、よろしく頼むよ」
テンパった凪咲が面白くて吹き出してしまった。
まぁいいか。
凪咲の言動がおかしいのは今に始まったことじゃないからな。
俺に言われたくはないだろうが、若干コミュ障っぽい距離感の時があるのが凪咲だ。
普段とのギャップで、そういうところが魅力だと思うから。
というわけで、妙な話はそこまでに、俺達は国語の参考書と問題集を取り出した。
「俺さ、国語できる人がよく言う『本文に答えあるから簡単だよー』みたいな言葉、意味わからないんだよな。それを探すのが難しいんだろって思ってしまう」
「ふふ、本文にもっとたくさんの種類でチェックやマークを入れながら目印を付けるといいかもしれませんね。前に筑紫君の問題用紙を見た時、書き込み量が少なかったので気になってたんです」
俺のぼやきに、凪咲は苦笑しながら言ってくれた。
即興にしてはあまりにも核心を突いた返答に、思わず目を見開く。
「確かに、目印を付けてないと結局どこを読めばいいか迷子になって、時間だけ減らしちゃうんだよな。あと俺、本文にこだわり過ぎて記述も苦手なんだよ。本文からまんま抜粋して、それも微妙に間違ってるから部分点すらもらえずに落とすことがあってさ。特に今回の題材論文は結構内容が読み取りにくいじゃん? 筆者の主張が強すぎて、置いてけぼりにされるんだよな」
「あー、それならもう少し要約を意識するといいかもしれませんね。この段落は何を主張していて、それはどこに繋がっているのか。そういう本質を短くまとめておくんです。例えば今回のテスト範囲になっている論文は、それこそ文章が独りよがりに感じがちじゃないですか? でも書いた筆者には確実に構成があって、それを汲めないとなかなか全体の理解が定まらないんですよね」
「要約……なるほどな! そりゃそうか、論文って全体で主張に繋がるもんな。段落ごとに区切って考え過ぎてたのかもしれない。……流石凪咲だよ!」
困ったところにすべて手が届く凪咲の指導。
問題点の指摘から改善策の提示まで完璧だ。
それも、俺の事をよく見ていないとわからないようなことばかり言ってくれるのが、もはや有難みを通り越してただただ嬉しい。
そう言えば以前の模試の採点も、俺の分は凪咲がやってくれてたんだっけ。
普段はレイサもいるから俺だけに特化した勉強は教わってなかったが、二人になるとお互いに直接関係のある内容が増えて、より濃密な勉強会になる。
予想はしていたが、これはかなりいい。
三人での勉強会とは違った収穫だ。
「今の内容、まんま英語にも使えるな」
「そうですね。えへへ、だから私、英語も読解の方は元からそれなりに得意だったんです」
解釈するための要約等に時間をかけ過ぎるのは良くないが、やるのとやらないのとでは文章に対する理解度が大違いだろう。
何事もリソースの割き方が重要というわけだ。
最後まで解き終わらないという課題を以前の凪咲が身をもって証明してくれているし、何事もこだわり過ぎるとだめだな。
だがしかし、不思議なものだ。
頭に浮かぶのは顔と成績だけ良いあの男である。
英語と国語はかなり密接に結びついた科目なのに、何故高木は国語を得意としていないのか。
アイツは全体的に成績が良いが、どうも国語は苦手そうに思える。
英語が満点を取れる並みにできるなら、国語もそれなりにできるはずなのに。
少し前の俺みたいに、得意科目だけに注力し過ぎるタイプなのかもしれない。
反面教師にしておこう。
そもそもアイツ、やってる事がめちゃくちゃだしあんまり頭が良さそうには思えないんだよな。
失礼な考えはやめ、俺は凪咲に笑いかけた。
「この勉強スタイルはいいな。今度から三人でいる時も個別で教え合う頻度を増やしてみるか」
「いいですね」
三人という奇数なせいで毎回誰か一人ハブられるのが確定するのは若干痛いが、まぁ大丈夫だろう。
教え合いからハブられている時間は自習するか、黙って二人の会話を聞いてもいい。
と、そんなことを考えていると凪咲がぽつりと言う。
「あの」
「どうしたんだ?」
「……二人で勉強する時間も、増やしませんか?」
潤んだ目で言われ、考えた。
実際、何度か凪咲と二人きりで勉強する機会はあったが、その度に濃密な知識を得られている気がする。
成績が良いだけでなく、凪咲は教え方も上手い。
二人で勉強をする時間を増やせば、それなりにメリットはあるだろう。
しかし。
「ほら、勉強会の後の夜とかでもいいですし。こうやってカフェに寄って勉強したり、私の家で……とかも」
「夜に家なんて、ご家族に迷惑だから大丈夫だよ」
「それはご心配なく。うちの親は帰宅が遅いし、そもそも何も言いませんよ」
「どっちにしろ、それじゃあ女子と夜に家で二人きりはマズいだろ」
「じゃ、じゃあここで」
「ごめん、それは俺の財布がもたないんだよなぁ……」
「奢りますよ?」
「いやいや、そこまでしなくていいよ」
今日の凪咲は随分と押しが強い。
これでは流石に俺も察してしまう。
無理やりにでも二人きりの状況を作ろうとされているのが、わかってしまう。
これが色恋に結び付くものなのか、本当に俺と勉強したいだけの理由なのかはわからない。
しかしそれはそれとして、なんとなく俺と凪咲が二人きりでいるのをレイサは嫌がる気がする。
なんだか除け者にするようで少なくとも俺は嫌だ。
勉強時間を増やすなら、三人でより長くやれば良いだけだろう。
それに、もし仮にこれが凪咲からの恋愛的アプローチだったとして、俺に向き合う余裕はない。
今は勉強の事で精一杯だ。
正直、そもそも凪咲の事はそういう目で見ていない。
妙に距離感を誤って勘違いさせたくないし、不必要に傷付けるのも、自意識過剰に避けるのも違うと思う。
もし二人でいる時間を増やして、万が一なし崩し的にそういう関係になったとしたら、それも大問題である。
というわけで、やんわり断った。
「たまにで良いんじゃないか? レイサがいない時に、こうして二人の勉強会をするくらいでさ」
「そ、それもそうですね。ふふっ」
はにかむ凪咲が眩しい。
彼女は、少なからず俺の事を意識しているように思える。
しかし、本人も言っていたが恐らく恋愛経験自体が無さそうな凪咲だ。
今俺に言っている事がどんな意味を持つのか、そもそも自分の気持ちを理解しているのかもわからない。
だから俺も何が正解の対応なのかわからない。
ノンデリとよく言われるからこそ、注意して行動しておかないとな。
俺は妙に寒気を感じながら、そう決意した。
……まぁ仮にこれが俺の考え過ぎなら、卒倒モノの羞恥に襲われそうだが。