第5話 二人目の美少女の告白
小テストを終えてから十日ほど経過した。
九月に入り、夏休みムードも徐々に切り替わるタイミングだ。
もっとも、俺のようなガリ勉には休みもクソもない。
いつでも空き時間には勉強するだけだし、家にいる時間が増えたとて、その自習の比率が増えるというだけのことだ。
ちなみに塾には行っていない。
塾だの家庭教師だの、タダで使える物でもないからな。
というわけでこれまでの人生は、一人で勉強することが主だったのだが。
「コレ、うちの新作の試作品なんだケド、どう?」
「え? あぁ……チョコか」
「そそ。バターで焼き上げたベイクドショコラ。中には秋の味覚で栗が使われてるンだって」
「へー」
包みを手渡してくるレイサから俺は素直に受け取る。
口に入れると、程よい甘みと栗の奥深さが広がる、なんだか贅沢な味わいだった。
人生でこんなに高級そうなお菓子を口にしたことがあっただろうか。いやない。
古文の予習中だったせいで反語表現が出てしまいそうになるが、そのくらい美味かった。
と、しれっと一緒にいるが、最近はこんな感じだ。
俺はあれ以降、何故か毎日レイサといる時間が増えた。
余程小テストで赤点を回避できたのが嬉しかったのか、今や俺は軽い帰国子女専用家庭教師のようになっている。
「めちゃくちゃ美味いよ。でも良かったのか? こんなのもらってしまって」
「いいよいいよ! 別に友達には定期的に意見聴いてるし? そもそもまだ売り物でもないんだからサ。気にしないでー」
「一応聞いておくが、いくらで売られるような物なんだ?」
ほんの興味本位だった。
だがしかし、レイサは。
「んと、三つ入りで4800円くらいかナ」
「んぇ!? ご、ごごごご五千円のチョコなのか……! 一つあたり1600円!?」
「アハハ、ビビり過ぎでしょ。別にうちじゃ普通だよ。ってか暗算はや」
七村のお菓子は全てが高級品というわけではない。
だがしかし、彼女の家の本分である洋菓子は、割と贅沢品の部類に分類される物も多い。
道理で食べ慣れない味なわけだ。
「ってかサ、もう少しだネー、実力試験」
「……! そ、そうなんだよな」
九月と言えば、試験が二度ある。
その中でも一つ目は来週実施される実力試験。
国数英200点ずつの配点と、理科社会科目が100点ずつの800点満点だ。
定期考査とは別に長期休暇後に実施されるこれは、問題の難易度も理解力ではなく実力を図るためのハードなものとなっている。
「前は入学直後に受けたけどツクシー、あれ3位でしょ? この前の小テストは満点だったし、今回は1位も目指せるんじゃないノ!?」
この期間で呼び名が名字から下の名前に変わっているのはさて置き、俺は首を振った。
世界はそんなに甘くない。
「いや、アイツがいる限りそう甘くはない。そもそもここ最近、俺の成績は下降の一途を辿っていた」
「アイツ……あ、高木李緒クンのコトか」
「あぁ。この前の小テストでは惜しくも満点を逃し、最近は目の色を変えて勉強している——なんて話を、前にチラリと」
「アタシが言ったヤツじゃん」
「そうだな」
よくよく考えれば、俺の友達なんてレイサしかいなかった。
入ってくる情報の9割5分はレイサから得たものでしかない。
なんだか恥ずかしくて、若干顔が熱くなってくる。
「ライバルなノ?」
「どうだか。俺のこの前の満点はまぐれみたいなもんだし、入学後常に一位を取り続けているあいつの眼中に、俺なんかいるのかな」
「そっか。あの人ずっと1位なンだ」
高木李緒。
まともに話したのは例のファストフード店でのやり取りのみ。
その時の印象で言うと、ひたすらに胸糞悪い奴だった。
正直ライバルだなんて、思ってない。
思いたくない。
どこが好敵手なんだあんな奴。親の仇みたいなもんだろ。
だがしかし、別の意味でも俺はライバルになっているとは思えない。
正直現時点では差が開き過ぎている。
入学当初は数問のミスの差だったが、今では一教科ハンデで大目に受けても、合計点が負ける気もする。
そのレベルだ。
「でもあの子もスゴいよネ。高木クンと同じ三組の雨草サン」
「基本高木の下につけてる奴か」
雨草凪咲のことは、俺でも知っていた。
成績優秀なのは勿論、それだけではない。
何と言っても、今目の間にいるレイサと肩を並べる、学内屈指の人気美少女だからだ。
賑やかな昼休みの学食。
定位置と化したスペースで話していると、やけに周りが静かになったのに気づく。
それが気になって辺りを見渡したところ、すぐに原因が分かった。
ほぼ全ての生徒が、こちらに向かってくる一人の姿に目を奪われていたから。
その人は、優雅な所作で真っ直ぐに歩いて来る。
目指す方角は恐らく俺達のいる近く。
いや、目が合った。
どうやら近くではなく、俺達に用があるらしい。
「く、クル……!」
同じくレイサも気づいたらしいが、既にその人は俺達のそばに来ていた。
そのまま、空いていたレイサの横の席に「失礼します」と断って座った。
要するに、俺の目の前である。
間近で見る雨草凪咲は、目を見張るほどに繊細で、どこか儚げな雰囲気の美少女だった。
「初めまして。枝野筑紫さん」
「あ、はい。どうも。あま……雨草さん」
戸惑いながら答えると、彼女はふわりと微笑を浮かべた。
ショートボブの黒髪が露わになった肩の華奢さを強調する。
噂をすれば何とやら、今丁度話題に挙がっていた例の秀才美少女がやってきた。
「雨草サン、どしたの急に」
レイサが尋ねると、凪咲は俺を見つめながら答える。
「枝野さんに、折り入ってお話が」
「あ、もしかしてアタシお邪魔?」
「いえ、大丈夫です。よかったら一緒に聴いてくださるとうれしいです。七村さんにも関係がある話なので」
「そっか。……でも名字呼びはやめて。なんか照れるからサ」
さて、話とは一体何なのか。
正直俺は今、物凄くビクビクしている。
ただでさえレイサと二人きりで毎日昼食をとっている現状だ。
ようやく周りの圧からも慣れてきたのに、そこに新たにもう一人美少女が追加されると、周囲からの針の筵感は増幅の一途。
体感で火力圧25倍増しと言ったところか。
そもそも誰とでもフランクなレイサと違い、この雨草凪咲の方がいわゆるガチ恋ファンが多くいる。
男子と過度に親しくしない彼女が俺に話しかけてくる状況は、そんなファンにとっては流血沙汰一歩手前の暴動ものだろう。
あぁ、考えると冷や汗が止まらない。
幼馴染の嫌がらせから解放されたかと思えば、今度は美少女たちが話しかけに来て意味が分からない。
人生って不測の連続過ぎる。
と、凪咲はそんな俺に話を始めた。
「私、成績で伸び悩んでて。でも次の実力考査でどうしても高木李緒に勝ちたいんです」
「へぇ。なんで」
「それは……まだ言いたくないです」
まぁ特に追及することでもないか。
2位の人間が1位に勝ちたいと思うのは、至極普通だ。
しかも俺は、高木の本性を知っているし。
あんな奴すぐにでも鼻をへし折ってやりたいもんな。
「そこで、あなたの噂を聞いたんです。あの七村・フレイザー・レイサに人生で初めて赤点を回避させたというあなたの話を」
「オイ! なンか今喧嘩売られたッ!? そもそも人生初じゃなくて、”入学後”初なだけナ!? 勘違いすんなし!」
「で、なんですけど」
「無視!?」
横でうるさいレイサをスルーする凪咲は流石である。
にしても、そんな有名な赤点女王だったのかこいつ。
少し気の毒になってきた。
「私、ずっと英語だけが苦手で。過去のテストの平均点も7割いくかいかないかっていうレベルなんです」
「随分低いな。2位でそれって、逆に他の教科でどれだけ点を取ってるんだ」
率直に意見を述べた。
しかし、周りがやけに静かになったので見ると、皆に冷ややかな視線を向けられていた。
「ツクシー、デリカシーも勉強しよっか」
「え? ……あ! ご、ごめん!」
「ふふ、別にいいですよ。事実ですし」
ジト目のレイサに言われて気づいたが、結構マズい発言だった。
迂闊な自分の口調に反省する。
デリカシーか。
よし、早速今晩からネットの参考教材を元に予習しよう。
「なので、良かったら私に英語を教えていただけたら嬉しいのですが」
「……え? いや、話は分かったけど、なんで俺? 確かに聞いたところ、英語は俺の方が出来が良さそうだが、それ以外はボロボロで正直恐れ多いんだが」
何故直近模試53位の文字通りゴミな俺が、2位様に向かって勉強を教えるのか。
正直意味が分からない。
「チョ、場所変えよ?」
その場はレイサの声によって、いったん中断した。