第41話 付け入る隙を与えた俺が悪い
文化祭が近づく中、俺は目の前のプリントを手にフリーズしていた。
普段なら死ぬ気で聞き逃さないようにしている授業の解説が、もはや絶望のBGMと化している始末。
全く内容が頭に入ってこない事態に陥っていた。
というのも、原因はこのプリントである。
つい先日行われた英語の小テストの答案を見て、生気が抜けてしまっていた。
「今回は平均点もそれなりに高くて見直したぞー。90点以上は珍しく十人以上いたしなぁ。あ、満点は三組の高木だけだったがな! がーっはっは!」
ほぼ全ての情報がすり抜けていく癖に、妙にダメージになるところだけ聞き逃せないのが俺の耳。
全体的に出来が良いテストだったという事がまずプレッシャーであり、それに加えて高木が満点だったというのがさらに苦しい。
この英語の教員は三組の担任であるため、誇らしそうに言ってくるからまた耳に残る。
そして、そんなテストで俺の点はと言うと……91点。
個人的にはかなり痛手な点だった。
勿論学年上位の点数ではあるが、小テストで満点を逃していては定期考査でどうなることか。
考えるだけで恐ろしい。
しかし前提として、分かっていたことではある。
俺は全教科で安定してトップクラスの成績を誇っていたわけではなかった。
満点を安定して狙えるのは得意の数学のみで、国語なんかに至っては苦手中の苦手。
8割を維持することだって正直困難だ。
だからこそ本心ではわかってはいた。
だがしかし、やはりそれでも悔しい。
くそ、どうも数学にばかり気を取られ過ぎていた。
度重なる満点の連取で、数学で満点を取ることに固執しすぎて他の教科が疎かになっていたかもしれない。
これは明確に俺のミスだ。
教室の至るところで盛り上がっているが、俺はどうもそんな気分になれない。
同時に、ここまで落ち込んでいる自身を不思議にも思っていた。
別に小テストで満点を逃す事なんて、少し前まではむしろ当たり前だった。
特に英語は別に得意というわけでもないため、たかが小テストでまで常に学年トップを取らなければ……とまでは正直思っていなかった。
学年50位台まで下がっていたのだから当然と言えば当然だが、少し前まで俺の小テストに対する心構えはその程度。
いつからここまでトップに固執していたのだろうか。
どうしても、高木の嫌な笑みが脳裏をチラつく。
もう既にどうしようもない程に意識してしまっている。
「はぁ……」
今後、英語は集中して対策をしよう。
全て上手くいくわけがない。
良い成績を取る日があれば、悪い成績を取る日もある。
大事なのは切り替えて次のテストで同じ過ちを繰り返さないことだ。
と、ノートを取りながら授業内容に耳を傾けようとして、嫌な事を思い出した。
そう言えば、この小テストでの満点は一人だと言っていた。
今日中に全クラスで結果が返却されることはほぼ確実であり、恐らくこの平均点や満点取得者数の話はどのクラスでも耳にするだろう。
それは勿論、高木本人にも、だ。
となるとどうなる?
アイツはどんな行動を起こすだろうか。
……想像に容易過ぎて苦笑が漏れてくる。
はぁ、顔を合わせるなり絶対に煽られるだろうな。
あれだけ意味もなくマウントを取りに来る奴だ。
自分が確実に勝っているとわかっているこの状況で、俺を馬鹿にしないわけがない。
その一点においては、全幅の信頼を置ける。
小テストはさて置き、その後を考えて早くも気が重くなった。
今回の件で俺は痛感する。
高木には、いかなる理由があれど負けてはいけないのだと。
アイツに餌を撒きたくなければ、常に勝ち続けるしかないのだ。
「はぁぁぁ……」
頭をぐしゃぐしゃにしながら溜息を吐いた。
本当に面倒な秀才だ。
正真正銘、しっかり頭が良いからこそアイツはタチが悪い。
なんで天才が咬ませ犬みたいな絡み方をしてくるのか、理解に苦しむ。
◇
その日の昼過ぎの事だ。
俺の懸念は面白いくらいにすぐに現実となった。
休み時間にトイレから出て廊下を歩いていたところ、丁度高木に遭遇した。
俺を見るなりニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるのを見て、最悪な気分だ。
もう顔だけでも『僕は満点だったが君は? ん?』みたいなことを言いたげなのがわかる。
これは被害妄想ではない。
過去の被害事例を基にした警戒だ。
特に用もないので素通りを試みるが、肩に手を置かれた。
「お、現学年1位の枝野じゃないか! 久しぶりだな」
「……別に久々って言うほどじゃないだろ」
そもそも、お前が突っかかってきた模試から半月も経っていないんですが。
鬱陶しいので肩の手を払いのけると、高木の周りにいた取り巻きの男子達がどよめいた。
現学年1位とこれまで絶対首位を誇っていた高木の会話が気になるのか、なんだか周りにも様子見をしてくる奴が多い。
今日は野次馬が沢山だ。
黙って高木を見ると、彼は高らかに笑いながら喋り始める。
「そういえば今日は英語の小テストが返却されたな! うちの学校で出てくるには些か難易度が低かったように思えたが、君はどう思う?」
「平均点は高かったらしいな」
実際、全体の難易度自体は優しめではあった。
だがしかし、それを満点を逃した俺が言うのは違和感がある。
というわけで当たり障りのない返答をしたのだが、高木は収まらないらしい。
顎に手を当てて思案顔を向けてくる。
「そうだよな。勿論僕は満点だったが、あんなテスト、正直間違えどころがないというか、点を落とす方が難しかったよな?」
回りくどい話し方をする奴だ。
ネチネチと外堀から固めて逃げ場をなくしてくる。
どうせ俺を馬鹿にするのが目的な癖に、なかなか本題に入るつもりはないようだ。
ひくひくと動いている口端は我慢しているようだが、もはや笑っているのと変わらない。
そんなに今の俺は面白い顔をしているのだろうか。
「あ、でも先生がおかしなことを言っていたんだ。こんな簡単なテストなのに満点を取ったのはこの僕だけだった……とね」
「で?」
「こほん、わからないか? 僕より成績の良い男がいるはずなのに、何故か満点は僕だけ……。そんなのおかしいじゃないか。でも、そこで僕は気づいたんだ。あの枝野筑紫が満点を逃すなんてあり得ない! だからこれはきっと先生の採点ミスかメモのし忘れなんだ! とね」
「……」
答えには辿り着いているが、あくまで俺の口から言わせたいらしい。
ここまで性根が腐っている奴も珍しいな。
高木はもはや下卑た笑みを隠しもせずに言った。
「さぁ枝野、点を教えてくれ! 君も満点、だったんだよな!?」
負けているからこそ、言い返す言葉もない。
隙を与えた俺が全て悪い。
鼻息荒く絡んでくる高木に、俺は溜息を吐くしかなかった。
 




