第3話 帰国子女のプラン
昼休み。
俺は早速レイサと小テスト対策の勉強会に興じていた。
場所は学食スペースの一角であり、勉強するにしても談笑するにしても都合がいい。
勿論、勉強するにも騒がしさに目を瞑れば十分だ。
もとい、逆に教え合いをしやすいという長所でもある。
だがしかし、居心地がいいとは言い辛かった。
何しろこの突き刺さる視線の数々だ。
学内で屈指の人気を誇る帰国子女と、二人きりで勉強するという状況。
周りの、特に男子生徒からの『誰だあいつ』という無言の圧で背中に穴が開きそう。
「むー、公式は覚えても応用できないだよネー」
唇の上でペンを挟みながら唸るレイサ。
テーブルには教科書とノートの他に、食べかけのサンドイッチがある。
俺も今日は弁当持参だ。
自分で作ったため、若干不格好ではある。
「先に友達とご飯食べてくればよかったのに。そのくらい待てたぞ」
俺が言うと、レイサは目をパチクリさせた。
「え? 今食べてるじゃん」
「あ、あぁ。そうとも言うな」
軽く友達認定されたことに、驚きと同時に嬉しさが込み上げる。
何気に高校に入って初めてかもしれない。
情けない話だが、本当に勉強一辺倒でやってきたからな。
と、俺は弁当を食べ終えたので、レイサからノートを拝借する。
「ふーん、この問題から間違えてるのか」
「そそ、公式通りに当てはめても答えがバグるの」
「そりゃ使う公式間違えてるからだな。ここはまずこの式に変形してだな。で、その後にこうして……ほら」
「え、すっご。秒でできたじゃん。ヤバ」
目の前で解いてみせると、レイサは驚いて手に持っていたサンドイッチを落とした。
特に凄いことはしていないため、肩を竦める俺。
ちなみに嫌味な謙遜ではない。
テストで出てくるなら大問2ってとこだ。
要するに超初級。
とまぁ、とりあえず彼女の苦手部分が分かったため、俺は自分の持ってきたルーズリーフにさらさらと数式を書きなぐる。
黙って見つめるレイサを前に、二分程度テキトーに式を並べ、それを渡した。
「え、ナニコレ」
「今のと似たような問題を俺が作った」
「凄くない!? この数分で!?」
「まぁ、毎日幼馴染にしてた事だし、慣れてるから」
言うとレイサは『それ普通じゃない! 特殊スキルだよ!』と叫びながら、あんぐりと口を開けていた。
しかし俺には、よくわからない。
中高と勉強を教えてきた果子には、そんな事一度も言われなかったから。
当たり前と言わんばかりに俺のプリント作成を見ていたし、毎度つまらないと言って途中で破いていた。
……うーん、今思い返すとやっぱりあいつ酷いな。
ルーズリーフもタダじゃないのに。
元はあいつが俺に作らせ始めたものだし、金がないからこっちは全部手書きで作ってあげていたのに。
まぁ、そのおかげで今ではこうして即座に対策問題を作れるようになったがな。
「あ、まずは変形式の練習問題作ってくれたんだ」
「そっちさえ押さえれば、まぁこの手の問題は解けるから。大体2割分くらいの配点をモノにできるよ」
「は、配点とか考えてテスト受けてるノ?」
「勿論」
俺は教科書を開き、自分が苦手な問題を指しながら言う。
「基本的に上に行けば行くほど満点を取るのは難しい。即座に解けない問題や、解法に納得いかない問題もある。そんな中でできるのは、確実に取れる問題を落とさず、難しい問題は捨てる。2%の可能性の100点は捨てて、80%の90点を取りに行くんだ」
「ま、マジ何言ってるか半分くらいわかんないんだケド。日本語喋ってる? それともアタシの日本語が怪しい感じ?」
「まぁ要するに、目標点数さえ取ればいいから、予めそこだけ目指して簡単な問題から確実に解けるようにしようって話だよ」
いかん、話していて気持ちよくなった。
あるあるだが、得意げに数字や自身の主観データを用いて持論を展開すると、気分が良くて語り過ぎてしまう。
相手を置いてけぼりにしてはダメだ。
これはコミュニケーションなんだから。
と、そんな俺の言葉が伝わったかどうかは知らないが、レイサは笑った。
口端にチーズソースをつけて頭の後ろに腕を組む。
「ンー、やっぱ頭良い人凄いや。考えてることのレベルが違う。アタシなんか、この公式を変形させてそのまま絵描いてた。フヘヘ」
「いや逆に凄い! ってか何やってんの!?」
よく見たら数式がカッコいいロボットの絵にトランスフォームしている。
ヤバい、この頭の柔軟性……見習いたい。
感心していると、ケラケラ笑うレイサ。
彼女は聞いてきた。
「枝野クンはなんで勉強してるノ?」
「……実は、医者になりたいんだ」
「すご。カッコいい夢じゃん」
「そうかな」
大義はある。
だけど、半分くらいはお家の事情に悩まされた末の、お金の問題だ。
普段他人に家庭の話なんてしないが、続きを待っているレイサのあどけない表情に、自分でも驚くくらい口が動く。
「俺、8歳の時に難病で父親を亡くしてさ。それ以降、母子家庭なんだよ。父親みたいな患者を救いたいから医者は目指してるけど、はっきり言って無茶だ。金がない。奨学金を借りてもキツいもんはキツい。そんなところに医学部の特待生枠というものを見つけた」
「あるネ。かなり保証が手厚い奴。生活費まである程度出るんだっけ。でもあれって」
「そう。一部の超エリート入学者しか得られない資格だ」
「だから勉強してるんだ」
勉強なんか好きじゃない。
だがしかし、コネで入れる人脈も融通が利く財布もない。
夢をこじ開けるには、己の脳みそを魔改造するしかないのだ。
俺の話に、レイサは下を俯く。
少しヘビー過ぎただろうか。
「アタシ、そんな貴重な時間をもらってるんだネ」
「あ、いやでも別に——」
「じゃあ頑張らないと! 枝野クンに無駄じゃなかったって、思わせてみせる!」
「……ははっ」
止めようとして後悔した。
俺が思ったより、何倍も明るくて良い奴だった。
もしかすると、俺の気分を察してくれたのかもしれない。
どのみち感心した事には違いない。
「ってか最近周サン見ないネ」
「……まぁ、あいつのことはいいよ」
「何があったノ?」
「いや別に」
周というのは果子の名字だ。
他人にその話をする気はない。
引きずるのも男らしくないし、どうも愚痴っぽくなりそうだ。
あんな奴は記憶から消した方がいい。
多分その方がすっきりする。
なんて思っていると、レイサは不思議な事を言い出した。
「ナーんだ。付き合ってたのかと思ってた」
「はぁっ!?」
「声でっか! どしたの急に」
「い、いや。なんでもない……」
怪訝そうなレイサに俺は顔を背ける。
あいつと付き合う?
今となっては死んでもごめんだ。
そもそもあいつ、別クラスの秀才と付き合ってるし、……ヤることもヤってるらしいし。
俺には関係ない。
「フーン」
レイサは、ニヤニヤと俺を見つめた後に、ゆっくり言った。
「じゃあ今はアタシのモノってことか」
◇
【レイサの視点】
勉強会の後、アタシは人気のないトイレで口を開く。
「ミカ」
「はいレイサ様」
「……ウワァ、ドコに入ってるの」
奥の個室から呼びかけに答えた少女に、アタシは頬を引きつらせる。
どうせどこか近くに潜んでいるとは思っていたけど、まさか同じトイレの別個室に既にスタンバイしてるとは思ってなかった。
この地味なおさげのミカという子はアタシの家のメイドだ。
わけあってこの学校に一緒に入学しており、彼女との関係性は極秘。
と、そんな彼女を呼び出したのには理由がある。
「アタシ、ついにやったかもしれないワ」
「ついにですか?」
「そう、ついに。クラスの天才を引き込んで、例のプランは完成に近づいた」
鏡に映るアタシの顔は、クックと笑みを浮かべていた。
「枝野クンと周サン、付き合ってないらしいネ」
「だからそう言ったじゃないですか。調べた通りです」
「……あの話も?」
「はい。例の日、ファストフード店で二人の事を家の人間が見かけています」
「フーン」
アタシは知っている。
周果子が枝野クンに対して、酷い事をしたのを。
勿論詳細までは知らないけど、周サンが大声で『もーいらない!』と枝野クンを捨てたという話は、ミカを始めとしたメイド達から聞いているのだ。
だけど、今日の会話から本人はそれを他人に言う気がないのが分かった。
愚痴る事もせず、ただ勉強の事しか考えていない。
正直メイド達の話が本当なら結構嫌な記憶のはずなのに、不気味なくらいだ。
だけど……。
先ほどもらった対策プリントを、取り出して眺める。
ふと前の鏡を見ると、先程とは一転してアタシはだらしのない表情を浮かべていた。
「ねぇミカ」
「はいレイサ様」
「予定通り枝野クンに話しかける機会には辿り着けたワ。次はあの作戦を決行するよ!」
「あの作戦とは……?」
きょとんと言われてアタシは彼女を見る。
この子は相変わらずノリが悪い。
こういう時はなんとなくの勢いが大事なのに。
「ごめん。言ってみたかっただけ。もう特にプランはない」
「お嬢様、テキトーな事を言うのは屋敷だけで。また昔みたいにお尻にショウガを挿しますよ」
「またってナニ!? 記憶にないんですケド!?」
冗談はさて置き、アタシは決意した。
明日の小テストで見事勝ちをもぎ取り、枝野クンをあの子から搔っ攫おう。
あの人は覚えてなさそうだけど、アタシにとって枝野クンはずっとヒーローなんだから。
覚えてなさい、周果子。
カレはもう、アタシのモノよ。