第27話 進学塾で再会するトラウマ
変な勝負に巻き込まれるアクシデントがありつつも、時は流れ土曜日がやってきた。
今日は凪咲の誘いで塾の特別講義を受ける予定がある。
というわけで、待ち合わせの二十分前に約束の駅に向かったのだが、そこには既に凪咲の姿があった。
この前のワンピース姿とは異なり、ジーンズにブルゾンを合わせた、落ち着いたコーディネートだ。
スマホを見ながら待ち合わせ場所で立っている姿に、心なしか視線が集まる。
俺自身も、なんだか普段より大人びて見えたせいで、若干緊張した。
しかし、そんな事を考えている俺を他所に、彼女は俺に気付くと学校の時のような柔らかい笑みを浮かべる。
「おはようございます。早いですね」
「おはよう雨草さん。遅れてごめん」
「いえいえ。まだ二十分前ですから」
本来の集合時刻に余裕があるとは言えど、相手が先に着いていたらなんだか申し訳なくなるのはあるあるだろうか。
合流した俺達は、そのまま塾を目指す。
今日のスケジュールは、朝から英国数の順に90分ずつ講義を受ける、大容量なものとなっている。
実は学校以外の場所でこうした授業機会に恵まれるのが初めてな俺は、ドキドキとワクワクが同時に押し寄せていた。
これを機に、さらに来週末にある模試の対策を完璧にしたい。
既に出題範囲の穴はかなり万全に塞いではあるが、土壇場で数式の応用変形を見落としたり、古典で全く異なる翻訳をしてしまう可能性がないでもないからな。
そういうアドリブ力を今日何か盗めれば幸いだ。
なんて思う中、俺は道すがら凪咲に尋ねる。
「そう言えば、今更だけど雨草さんは塾に通ってるんだな。やっぱりその効果って如実なものか?」
「どうでしょう。私の場合、成り行きで通い続けているだけな側面もあるので」
苦笑する凪咲に首を傾げると、彼女はそのまま続けた。
「兄の話はこの前しましたよね? 私は幼少期から兄にくっついて回っていたんです。それで、小学校の頃にいつも学校のテストで満点を取っている兄に、少しでも追いつきたくて先取りのために塾に通い始めたのがきっかけでした」
「あー、小二で小六の範囲をやるみたいな?」
「まさにそんな感じです。まぁ早々に兄には遠く置いて行かれ、中学の頃には自分のその時の範囲の勉強しかしなくなっていましたけどね。とは言え、勉強を始めた当初からそういう塾ありきの習慣が染みついていたので」
「今更塾なしでは不安だ、と」
うちの学校にも、そういう先取りで高校の範囲とかまで勉強している奴がいたのを覚えている。
ただ偏見かもしれないが、そういう奴って自分の意思以上に、親の熱心な教育の賜物だと思っていたんだがな。
兄好きの延長で同じことが知りたいと思い、そのまま勉強漬けになるパターンは初耳で面白い。
若干重い気もするが、和やかなホームコメディの範疇だろう。
「ふふ、その通りです。だけど、最近はやめてもいいのかなとも思ってます。既に週一で英語の勉強をしていただけだったので、今のあなたが隣で教えてくれる環境さえあれば、正直塾は不要です」
「いやいや大げさな」
「そんなことありませんよ。どんな講義や解説を受けても停滞していた私の英語の成績を上げてくれたのは、他でもない枝野さんです。いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
「……どうも」
レイサも凪咲も一々持ち上げ過ぎなせいで鼻の頭が痒くて仕方ない。
それに、凪咲は言い回しがいつもアブナイ。
前の志望校を合わせてきた時もそうだが、普通に受け取れば勘違いしそうになるような言葉の数々。
照れ恥ずかしさとかはないのだろうか。
満足げににこやかな凪咲から、気まずくて視線を外す俺。
賑やかな駅前通りが今日はやけに意識に干渉してこない。
友達が少ないから、距離の詰め方が分からないのだろうか。
誰が言っているんだと怒られそうな失礼なことが頭に浮かぶ。
凪咲はあんまり人と一緒にいないし、特に男子と絡んでいるところは見たことがない。
そのせいで発言が一々危ういのかもしれないと、俺は思い至った。
レイサも凪咲も、別の意味で距離感がおかしい。
もっとも、あの帰国子女の場合はその近すぎる距離感を強靭なコミュ力に変換して、上手くやっているがな。
◇
少し時間を潰してから塾に着き、教室に入る。
と、そこで見知った顔を見つけてしまった。
つい最近、幼馴染のせいで存在を思い出していたからか、まるで示し合わせたようなタイミングでの再会に、若干動揺する俺。
そいつとは目が合った。
俺と目が合って向こうも驚いた顔をした後、じっと隣の凪咲と俺を見定める様に見つめてくるその女に、俺の方から気まずくて視線を外す。
相手の名前は山吉文乃。
中学時代頻繁に話していた、元同級生だ。
「枝野さん?」
「あ、いや。ちょっと知り合いがいて」
俺の態度に凪咲が聞いてきたので、そんな風に返す。
山吉とは中学の、特に三年の途中までをよく一緒に過ごした仲である。
元々成績が近く、テストの度に競い合ったり、わからないことを聞き合ったり、たまにマウントを取り合っては遊んでいた。
そんな彼女だが、中三の頃はあの果子と同じクラスだった。
当時の俺と果子は受験勉強に躍起で、自分の成績に若干余裕のあった俺は、その知識の復習を兼ねて毎日果子に勉強を教える生活を送っていた。
俺はその中で彼女の授業の進行度を加味して対策していたため、そのクラスでどんな授業を受けているのか、ノートの取り方まで知りたかった。
そこで仲が良かった山吉に、俺は向こうのクラスの授業事情を聞いたりしていたのである。
『他クラスの内容まで知りたいだなんて、もはや狂ってるね』
『実際、たまに先生って他のクラスでサラッと流したところを、特定のクラスに教えただけなのを勘違いして出題してきたりするだろ? そういうので満点を落とすのは嫌だからさ』
ずっとそんな感じで仲良く、たまに普通に勉強し合う事もしばしばな仲だったが、何故かとある日を境に避けられ始めた。
先日果子が馬鹿にしていた通り、山吉という女とはそれ以降話していない。
何がきっかけかは知らないが、かなり唐突に嫌われたのを覚えている。
個人的にはそれが結構なトラウマで、彼女に苦手意識を抱く原因となった。
俺が今あいつを見つけて顔をひきつらせたのは、そういう理由があるのだ。
「女の子って、マジ何考えてるのかわかんないよな」
「女心と秋の空、ですか。今日は秋の入り口ですし、突然雨が降るかもしれませんね」
「はは、まさか」
天気予報は一日晴れで、今も快晴。
ここから天気が崩れようものなら、逆立ちで鼻からラーメンを食ってやろう。
そんな事が言えるレベルであり得なかった。
馬鹿なことを考えつつ、やってきた講師の先生に意識を向ける。
ここからは集中だ。
ノートを開き、俺は学習モードに切り替える。
と、ふざけていたせいだろうか。
講義始まって二十分、本当に雨が降り始めて俺は秘かに絶望した。