第18話 元秀才からの宣戦布告
「アタシ、焼肉ってあんましたことないンだよネ」
「あー、そうなのか」
翌日木曜のこと。
もはや恒例となった休み時間のレイサとの雑談で、彼女はそんな事を言った。
数学の授業が終わった後、わからない問題を聞くついでに話しかけてくる。
先ほど先生に指名されたにも関わらず、答えを間違えて笑いを巻き起こしたのを気にしているのだろうか。
それより勉強後の雑談が本命な気もするが、どちらでもいい。
机に顎を乗せるようにひょこっと顔を出す仕草が、なんだか可愛らしく感じた。
至近距離にある端正な顔と、髪から香る甘い香りが刺激的。
以前の俺なら耐性がなくて、即逃げただろう攻撃力だ。
今日もうちのクラスの帰国子女は距離感が近い、近すぎる。
と、それはさて置き。
焼肉は日本の文化だし、意識的に食おうと思わなければ海外で触れることはないだろう。
それに、店で食べるならともかく、自宅でやる機会は少なそうだ。
帰国子女のお嬢様が家焼肉に疎いのも納得である。
仲良くなってしばらく経つため、俺とレイサが会話していてもクラスからは然程注目されることが減ってきた。
「じゃあ今度やるか?」
「いいノ?」
「まぁな」
今度というのは勿論週末の打ち上げ会の事だ。
日時は決まったが、何をするかは決まっていなかった。
幸いその日は親も出張でいないため、遅くまで遊んでも問題はない。
と、そんな事を考える俺にレイサはニコニコしながら言った。
「じゃあ食材はこっちで買って持って行くネ」
「え、いや。……いいのか? 割り勘とかでも」
肉は高い。
一人でも毎回遠慮がちなのに、三人分の肉をうちの財布で買うのは不可能だ。
だからこそ、レイサの申し出は嬉しい。
だがしかし、それはそれで恐縮というもの。
「いいよ全然! やるのはツクシーの家だし、光熱費も手間もかかるわけじゃン? お肉くらい買わせてよ」
「……じゃあありがたく」
「アハハ! そもそも毎日勉強教えてもらってるンだから、そのくらいさせてよネ」
ケラケラと笑うレイサは、そのまま立ち上がって俺の肩をトントン叩いてくる。
なんだか、やけに距離が近いな今日は。
流石にボディタッチまで起こっては、周りの視線も厳しくなる。
うちで集まって週末遊ぶなどという話が聞かれていなければいいが、少し不安だ。
「で、テストのやり直しはやったのか?」
「まぁ一応ね。見てホラ、昨日作ってもらったプリントもやったよ」
「レイサさんは、本当に、本当に偉いな……!」
「ナッ!? 急に泣き出してどうしたの!?」
感動しただけだ。
作ったプリントをぐちゃぐちゃにしたり放置したりもせず、真面目に解いて見せてくれるこの存在が、どれだけ尊いか。
俺は改めて身に染みて感じた。
こんなに素直なら、俺としても勉強を教えるのが全く苦ではない。
むしろもっと教えてやりたいくらいだ。
と、言ったところ。
「いやそれは恐れ多いワ。ツクシーの自分の勉強時間が減るし」
などと俺の心配もしてくれる。
天使だ。
こんなに優しくされて良いのだろうかと、意味の分からない不安に駆られてしまうくらいには嬉しい。
そんな風にどうでもいい会話をしていた時だった。
「枝野筑紫」
右の方からそんな声がかけられ、俺は視線を移す。
するとそこには、意外な人物が立っていた。
不愉快そうに俺とレイサのやり取りを見るのは秀才、高木李緒だ。
俺に話しかけてくるのは初めてだったため、一瞬困惑する。
「なんだよ」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
と、それを受けて高木はレイサを見た。
「少し話がある。借りても良いか?」
「ドーゾ? なんでアタシに聞くノ」
「え? いや。……まぁいい。よし、行くぞ」
「いやに急だな。俺には拒否権もないのかよ」
珍しく不愛想なレイサに俺も少し驚きつつ、早速歩き出す高木について行く。
全く、何の用だろうか。
不穏な空気を感じながら、俺は高木の後ろを歩いた。
◇
連れていかれた先は体育館裏だった。
何か重要な話をするときの定番スポットで足を止める高木に、俺は冷や汗をかく。
これ、大丈夫か?
俺は辺りをきょろきょろ見渡して身の安全を確かめた。
人気のないところに連れ込んで集団リンチ~なんてのは、漫画の世界なら定番だ。
こいつなら、成績を逆転された腹いせにそういう気を起こしてもおかしくない。
何しろ、俺はあの日の果子とこいつから言われた事をまだ覚えているからな。
ただ、リンチの予定はないらしく、高木は正面から俺を向いた。
どうやら今から何かを話すつもりらしい。
……はっ!
そこで新たな懸念に気付いた。
まさか、告白でもするつもりだろうか。
実は男女どっちもいけるタチで、成績一位を取った俺に惚れてしまった、とか。
体育館裏と言えば、告白もあり得るのだ。
盲点だった……。
それはそうと、正面から高木と二人なのも気まずいものだ。
果子のあの日の、ヤることはヤっている発言がどうしてもチラつく。
それ自体はどうでもいいのだが、幼少から知っている奴とそういう関係になった奴と、どんな顔で話せばいいんだろうか。
童貞メンタル過ぎてよくわからない。
「おい、そわそわしてどうしたんだ」
「いや特に」
言われて真顔でそう答える。
と、そのまま高木は意外な事を口にした。
「周果子とは別れた」
「え?」
別れたって、どういうことだ。
付き合い始めたのがいつかは知らないが、少なくともあの日からは一ヶ月も経っていないのに。
目を見開く俺に、高木は続ける。
「今日は宣戦布告をしに来たんだよ」
「なんのだよ」
「次の月末の模試の話だ。僕はそこで1位に返り咲き、また君を上から見下ろしてやる」
「……」
わざわざ何の宣言なのだろうかと、内心思った。
別に一人で勝手に勉強して、俺を負かした後にまた馬鹿にでもすればいいのに。
彼なりのプライドなのだろうが、正直そんな事を俺に言われても困る。
なんて思っていると、ため息を吐いて睨んできた。
「お前、よくもあんな化物を寄越してくれたな? アイツのせいで僕はめちゃくちゃだ」
「……果子の事か?」
「そうだ! アイツと付き合ってから勉強を邪魔され続けてこのザマだ! 僕があんな点数を取ったのは、全部アイツのせいなんだ……!」
鬼の形相でまくし立てる高木は最低だ。
自分のミスを他人に押し付けるなんて、仮にも元彼氏のすることではない。
だがしかし、気持ちがわかってしまうのはいけないことだろうか。
言われてみると、高木の実力考査の点数を見た時に俺は「らしくないな」と思った。
それがあの幼馴染のせいだと考えると、妙にしっくりくる。
ただ、それを俺に文句言われても困るわけで。
「いやいや、お前が好きで付き合ってたんだろ? 自業自得じゃないか」
「ふざけるな! 誰があそこまでの馬鹿だと思うんだよ!?」
「……んふっ」
「笑っただろお前!」
変なタイミングで笑ってしまったから、物凄く意地の悪いやつみたいになってしまった。
俺はただ迫真の表情で元カノに散々言うこいつに呆れただけだ。
それはそれとして、果子の頭が良くないのは知っていたが、ここまで言わせるとは、一体何をしたのだろうか。
……いや、まぁそれはいいか。
他人の夢を馬鹿にしてきた罰が当たったのだろう。
二人で仲良く地獄を見たらしく、俺としては若干面白い。
「果子から聞いたが海凰大を受けるらしいな」
「あぁ」
「じゃあ僕もそこの医学部を受ける。お前の夢ごと踏み躙って、今回のテストの分もあの女を寄越してくれた件も全部清算してやる!」
わざわざ志望校を被せて進路妨害か。
これまた、なかなか粋な嫌がらせをしてくる。
でも。
「お前、素行悪いから成績良くても特待は受けられないだろ」
「え?」
「果子と一緒に俺にしたこと、忘れたとは言わせないぞ」
「あんなので内申点が減点されるわけないだろ」
「そうだな。……今は、な? これからの身の振り方を考えろという話だ」
ここからこいつの嫌がらせがエスカレートするなら、そうもいかない。
俺は普通に先生にチクるし、全然抵抗もする。
果子の件で学んだのだ。
常に笑って流すことが正解ではないと。
時には心を鬼に、然るべき態度で相手するのも大切なのだ。
それに、アイツは腐っても幼馴染だった。
今となっては見るも無残な倫理観皆無女に成れ果てたが、昔から知っている分、多少は多めに見てあげられた。
だがこいつは違う。
ナチュラルボーンエネミーだ。
邪魔してくるならこちらもそれ相応の対処をさせてもらう。
思ってもみない反論だったのか、高木は黙る。
だから俺は言った。
「まぁ、成績上げたいって気持ちはわかるからさ。頑張れよ」
「……は?」
「お前の事嫌いだけど、同じくらいの成績の奴が頑張ってると、励みになるから」
負けるかもしれないという恐怖が、また闘争心に火をつける。
凪咲や高木が成績を上げるほど、俺も後がなくなって追い込めるから。
あとなんか、成績を落として情緒がめちゃくちゃになった今の高木を見ていると、可哀想な気分になってきた。
張り合いがないのも面白くない。
俺の言葉が気に障ったのか、高木は「舐めやがって」とかなんとか捨て台詞を吐いて去っていった。
「相変わらず意味わからないくらいウザい奴だな」
一人残されて、そんな独り言が口を突いて出た。