第17話 裏切ってくれたおかげで
自宅にて、不規則なリズムでペンの音が響いていた。
ノートを走るボールペンの線は、長めのストロークによって大胆に伸びる。
一通り書きなぐった後、俺はそれを手に取って見返した。
今書いていたのは、これからの直近数週間で自分がやるべきことだ。
目下の全国模試に向けて、どのようなスケジュールで何を勉強するか、どのくらいの点数を取るかを今一度整理するためにノートに記した。
今日まで、二学期が始まってから色々な事があった。
幼馴染に裏切られた時はどうなるかとも思ったが、蓋を開けてみればむしろそのおかげで様々な新しい日々を見せてもらった。
数学の小テストで100点を取ったのは勿論、実力考査での1位や、レイサや凪咲と仲良くなれたことまで、全て果子と離れたから得られたものである。
俺を切り捨ててくれてありがとう、なんて思えるほど俺はあの日言われたことを消化できてはいないが、だからと言ってそこまで根にも持っていない。
今回のテストでアイツが最下位を取ったと聞いた時、正直もはや怒りから同情にシフトしてしまった感もあるからな。
と、そんな事を考えていると、ラインのメッセージが入る。
送ってきたのはレイサだ。
『今日も勉強教えてくれてありがと。打ち上げは今週末の日曜ね。やること色々考えておくからまた学校で話そう!』
レイサは律儀に毎日連絡をくれる。
他人と連絡を取り合う生活をしたことがないからわからないが、思ったより世の女子高生は連絡がマメらしい。
俺は苦笑しつつ、『わかった。また明日』などと返信する。
するとさらに秒速でスタンプが返ってきた。
友達が多い奴の連絡反応速度には驚かされる。
そして、その数秒後に今度は凪咲からも連絡が来ていた。
『今日はテストの1位おめでとうございます。その件でですが、数学の問題で解説を聞いても納得できない問題があったので教えてくれると助かります』
こっちは次の勉強の話だった。
とは言え、枕詞で褒めてくれるあたり、凪咲もなかなか面白い連絡をしてくる。
少しこそばゆいが、嫌な気はしない。
「はぁ、先生に聞いてわからない問題を俺が教えられるかね……」
少しヘビーな注文に唸りつつ、一応『ありがとう。勉強の方も善処します』と返信しておいた。
なんだか、夢のようだ。
あの学内人気屈指の美少女たちとこうしてやり取りしている現実が信じられない。
今までは勉強の合間に視界の端で見かけて、「綺麗だな」なんて思うだけの別世界の人間だったからな。
仲良くなってみると、二人共そんなに過度に緊張するような人ではなかったが、やはりそれでも恐れ多い部分はある。
なにしろ、男からの視線が痛いのは変わらない。
どうしてもあの美少女たちといると仕方のないことである。
俺はなんとなく、アプリのトーク欄を眺めていた。
するとそこで、おかしなものが目に入る。
「なんだこれ」
誰かの名前がUnknownに変更されていたのだ。
中身を見るに、どうやらこれは果子のアカウントらしい。
初めて見る表記に困惑した。
直近のやり取りと言えばアイツが俺に夕飯の催促をしてきて、それを俺が無視したものだったが、それが何か問題だったのだろうか。
実際に顔を合わせた会話はファストフード店でのもの以降ないのだが、突然の事に俺は驚く。
気になってグーグル先生に尋ねると、どうやらこの表記は相手がアカウントを削除した場合に起こるものだと発覚。
要するに、果子のアカウントが削除されたというわけだ。
最下位を取って、親の逆鱗にでも触れたか。
俺はそんな推測に行き着き、大きく息を吐く。
関係のないことだが、仮にそうだとしたら哀れなものだ。
スマホでの連絡手段を失えば、愛しの彼に泣きつく術もなくなる。
「まぁいいや。アイツと関わるとロクでもないことになるし」
果子と関係を切ってからすべて上手くいくようになった。
気のせいかもしれないが、今後もなるべく距離を置こうと思う。
存在を意識するのも止めよう。
さて、では問題は月末の模試だ。
志望校は海凰大の医学部で、偏差値は74。
その中でも特待生枠を習うなら、上位一桁は勿論、志望者内で一位を目指すくらいの気概じゃなきゃ無理だ。
となると今回受ける一般の模試レベルだと、ほぼ満点近く取らなければ達成できないだろう目標である。
前回の模試は校内53位だったアレ。
点数は国数英の順に、62、78、72で、全体偏差値も64とあまりにも論外だった。
ここからブンブン捲っていくしかない。
「……まだ高一の9月だからな」
現在は出題範囲が限られており、正直難易度的にはかなり優しい。
とは言え、うちの学校は授業の進行度自体が周りの進学校より速いため、今回の範囲も夏前にやっていたところが出題されそうだ。
前回はその復習時間がロクに取れず、授業について行くのに必死で点数を取りこぼした感が否めない。
だからこそ余裕のある今は、少し予め復習をしておいた方が良いだろう。
校内順位は一位が前提である。
ここで落せば、実力考査の一位がまぐれだったとまた嗤われかねない。
高木にまた調子付かせるのも腹が立つ。
今後一切、アイツに一位の座を返すわけにはいかないのだ。
俺は新たにスマホに入って来たメッセージを見て口角を上げた。
「まぁ実際、1位が脅かされるなら、その相手は高木じゃないだろうけどな」
雨草凪咲は俺より頭が良い。
今は成績は勝っているが、地頭や勤勉さを考えるとどうも勝ち続ける自信を強く持てない。
俺が自分の手の内をアイツに見せているせいもあって、正直高木よりも怖い存在だ。
だが、それは相手も同じ条件か。
俺も凪咲の手の内を知り尽くした状態で国語を習っているし、そのおかげで今回のテストでは8割を取れた。
模試だと尚更傾向対策が効くし、彼女の教えが刺さるだろう。
スマホの通知欄に表示された『次は負けません』というメッセージに、ワクワクしてくる。
事情はあるだろうが、知らない。
次も俺が1位を取る。
人々が寝静まる時間、俺は決意を固くノートを閉じた。