第1話 俺の頭は”ざぁこ”らしい
「また順位落ちてる! 頭よわよわじゃん、だっさ!」
「……」
模試の結果が帰ってきた日。
俺の結果用紙を奪い取るなり、幼馴染は下品な笑い声を俺に投げかけた。
全国偏差値も志望校判定も一旦どうでもいい。
何より問題なのは校内順位である。
そこにかかれていた数字は、400人中53位。
放課後の賑わうファストフード店内、幼馴染である果子はギャハハと笑いながら俯く俺を覗き込んでくる。
ツインテールが俺の頬をさらりと撫でた。
「ねぇ、アンタ毎日15時間くらい勉強してるのにこれヤバくなーい? 時間の無駄じゃん。ウケるんですけど!」
「マジで、なんでだろ……」
「は? そんなのわかりきってるじゃん」
真剣に考える俺に、あっけらかんと果子は言う。
気になって顔をあげる俺。
しかしすぐに後悔した。
ニヤリと意地汚い笑みを浮かべるのを見て、長年の付き合いから慰めの言葉が来ないことを察してしまった。
「そんなの、アンタが馬鹿で学習能力皆無の無能だからに決まってんじゃん! キャハハッ! 無能ガリ勉!」
「そんな言い方しなくたっていいだろ」
「はぁ~? アンタのおつむが弱いのが悪いのに、なんで逆ギレするわけ?」
「いや、逆ギレとかでは」
果子との付き合いは小学校からであり、今年で10年目。
昔から事あるごとに馬鹿にされ続けてきたが、共に過ごした時間は長い。
なんだかんだ、俺の事を理解してくれている節もあった。
だからこそ、これまで一緒にいたのだが。
一体いつからだろうか。
気付けば俺はもはや幼馴染のサンドバッグに成り下がっていた。
「こんな紙捨てちゃえ! キャハッ」
目の前でぐちゃぐちゃに丸められる自分の模試結果。
虚ろにそれを見ながら、様々な感情が押し上げてくる。
「あのさ」
「なに?」
俺は深呼吸をして、果子の眼を真っ直ぐ見つめた。
「あんまり酷い事ばっか言うなよ。俺達、幼馴染だろ? お前の事嫌いになりたくないから、もう少し優しくしてくれ」
心からのお願いだった。
出会ってからこれまでに重ねてきた、たくさんの思い出。
今はこんなだが、昔の果子は可憐で気が利いて人懐っこくて、優しい女の子だった。
それに、いつか俺のお嫁さんになるとも言っていた。
高校も俺に勉強を習ってまで付いてきたんだ。
彼女もまだ俺に好意があるのだろうし、流石にこのままの関係性を良しとするわけにはいかない。
だからこそ、俺はきちんと話をすることにした。
しかし。
「は? え、何。キモ」
「え?」
「急にどしたの? あれ、もしかしてウチがアンタに気があるとでも思ってるの?」
「……」
言われて困惑した。
というのも、俺は自分が自意識過剰だったとは思えないからだ。
昔から現在まで絶えず付き合いがあり、距離感はかなり近め。
高校は俺の受ける進学校にわざわざ偏差値を20近く上げて進学。
果子と俺とではかなりの学力差があったため、当時は付きっ切りで勉強を教えた。
並大抵じゃない努力を惜しむこともなく、そこまでしてでも、こいつは俺に付いてきたのである。
高校に入ってからも、毎日のように放課後は俺の家に入り浸り、夕食を共にすることもしばしば。
物言いは酷いモノも多いが、基本的にはフレンドリーで、ガリ勉な俺に学校での出来事を教えてくれたりと、楽しい時間を共有した日も多かったはずだ。
好きでもない男にそこまでするとは思えないのだが。
目をパチクリさせていると、果子は珍しく不敵に笑う。
「あ、マジで勘違いしてたん? なんかごめんね? ウチ彼氏いるし、普通にえっちとか、全然してるよ?」
「……え」
「もしかして昔結婚するって言ってたの、まだ真に受けてたん? んなわけないじゃん。身の程知りなよ」
確かに果子は可愛いし、学校で男子から人気もある。
俺とは釣り合わないような存在だ。
でもじゃあ、なんで。
なんで今もこいつはここにいるんだ。
何のために俺と同じ高校についてきて、何のために今こうして俺に罵詈雑言を浴びせているのだろうか。
冷や汗が腋を伝い、落ちていく不快感に襲われる。
と、そんな中、俺は視界に入る新たな人影に目を見開いた。
「あ、李緒君やほー」
ファストフード店に突如現れたイケメンに声をかける果子。
そのイケメンの事はよく知っていた。
そいつは、うちの学校で一番成績のいい男だったから。
果子は男の腕にくっつきながら言ってくる。
「紹介するね? これがウチの彼氏。アンタと違って頭もいいし顔もいいし、運動もできちゃうんだよ。キャハハ! ひっどい顔!」
確かに俺は酷い顔をしていたと思う。
だがしかし、別に果子の事が好きだったからショックを受けたわけではない。
単にここまで嫌がらせを受ける理由が分からなくて困惑したからだ。
「ウチ、頭良い人がタイプなの。だからアンタはもーいらない!」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。二度と話しかけてこないで? 童貞の血走った目怖いし」
「べ、別に俺はそんな目で見てない!」
「キャッ! こわーい! 李緒君助けて!」
果子が抱き着くと、高木李緒は俺を蔑んだ目で見てくる。
「君、入学当初は学年3位だった枝野筑紫だよね。君は医学部に入りたいんだろう? しかも奨学金付きの特待生枠で」
「……そうだけど」
「ふーん。それで……どれどれ。プッ! ご、53位!? 医学部特待生枠狙いでこの順位!?」
目の前で広げられる皺になった成績用紙に、悔しくてつい拳を握った。
小学二年生の頃、難病で父親を亡くした。
以来うちは母子家庭であり、金がない。
大学は親に迷惑をかけずに入りたいし、将来はいっぱい稼いで母親に恩返しをしたい。
そして何より、治療法がなくて泣く泣く見送った父親のような患者を、この世界から救いたい。
その一心で今日まで勉強してきた。
それを、こんなところで表面しか知らない奴に馬鹿にされて悔しい。
今にもぶん殴ってやりたい気分だ。
それに、こんなに詳しく知っているという事は、果子が話したに違いない。
事情をよく知っているはずなのに、軽はずみに、人を馬鹿にする材料として喋ってしまう幼馴染に、心底怒っている。
だがしかし、怒気はすぐに消沈した。
なんたって、こんな事態になったのは俺の成績が落ちたという、俺の自業自得だから。
「行こう、果子ちゃん」
「うんっ! こんな頭ざぁこな無能ガリ勉は無視して、早くホテルっ」
去り際、果子は俺を見て嗤った。
「アンタは精々家に帰って、ウチらのこと想像しながらシコシコしてればいいんじゃない? キャハハッ」
◇
それから数日、魘された。
ノートを開いても先日の模試の結果と、煽ってくる幼馴染の顔がチラついて集中できなかった。
高校に入学した時点で学年順位は3位だったのに、順調に成績を落として夏休み明けの今でついに53位。
うちの高校は偏差値73程度で地元断トツとは言え、それでもこの順位はマズい。
特待生受験は早期勝負だし、もう絶望的だ。
暗い感情に思考を支配されてしまっている。
情けない。
そして長年あの最低な幼馴染の分まで、夕飯を用意してくれていたりした母親に申し訳なくて辛い。
学校に居ても常にそんな感じで、俺はふさぎ込んでしまっていた。
勉強をしなければいけないのに、いくらやっても無駄な無能ガリ勉というワードが脳裏をよぎってしまう。
そんな時だった。
とある日の授業間の休み時間の事だ。
普段ぼっちで誰とも会話をしない俺の肩に、誰かの手が触れた。
「枝野クン」
名前を呼ばれて、重い頭を上げる。
するとそこにいたのは——。
「枝野クンって頭良いんだよネ!? 良かったらアタシに数学教えてくれないかナ!?」
学校内で屈指の人気を誇る、帰国子女のブロンド美少女だった。