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「良かったです。貴方に別れたくないし縛るのもイヤだと言われたら…」竜星の頬、平手の内出血跡にそっと春が触れる。
「ウイスキー飲む時、拳はダメだ!ダメだ!と念じたんです。
朝になって、この平手の跡見てホッとしました。
側頭部と右脇腹だけは絶対拳を入れたらダメだと兄に言われてたので。」傷にかかる髪をそっと払いながら首の絞め跡も触れる。
トラウマなのか?竜星の身体がビクンと反応する。
泥酔してても苦しかった記憶は残ってるのかもしれない。
「…お兄さん?確か長女で長子でしたよね?」竜星が聞く。
「はい、従兄弟です。母方の従兄弟のお兄さんです。」
なぜか春が涙をぬぐった。
「ああ、そういうことですか。
でも側頭部は拳ダメなんですか?」なんで春が泣いてるのか?分からない。
「人間の身体って実はすごく脆いんです。
特に弱点が側頭部と右脇腹なんです。
即死はしませんが半日くらいで亡くなります。」
春が言う。
「ハッ、どういう意味ですか?」竜星が驚く。
「普通、人間は丸腰素手で1対1で戦っても殺す事は出来ないと思うでしょうが、
この2カ所だけは可能なんです。」春が声をひそめて話す。
「側頭部は骨が薄いのに脳に大事な血管が集まり過ぎてるんです。なので、ここに人の力でも強い衝撃が加わると時間差で亡くなる可能性があるんです。
それこそ、今日会議中にジワジワと体調が悪くなったみたいに。」春の話に竜星の背筋が寒くなる。
「では右脇腹は?」
「それは肝臓です。」春が目を伏せて話す。
「あっ…」竜星も気づく。
人間は肝臓で身体に入った毒素を無害なものに分解してる。
だから肝臓が機能しなくなると毒素が身体に溜まっていくのだ。
「半日から1日くらいですかね。竜星さんの側頭部に平手じゃなく拳を入れてたら、
今頃通夜でした。」春が真顔で話す。
「人が人と丸腰で密室に2人っきりになるのって本当は怖い事なんですよ。特に泥酔とか正気無くした状態で。」春が目を伏せた。
竜星は昨夜とんでもなく危機にあった事を知る。
「分かりました。今度からは心します。
ところで、そんな事は刑事の解剖学でも勉強しませんよね?
その従兄弟のお兄さんは何者なんですか?」竜星が聞く。
「…ボクサーですね。」春が言いにくそうだ。
「え〜と、どのくらいの?」竜星がもっと聞く。
「◯◯チャンプです…」春がうつむく。
警察では数年前他の武道と同じく採用の優先枠をボクサーにも適用した。
だが、あまりに逮捕時の死亡率が上がるので危険と判断し止めた。
ボクサーは自衛隊へ行って貰うことにした。
「貴女の動体視力が抜群な理由が分かりました。
逮捕術が強くないのは、貴女が平常時はリミッターを掛けてると言うことですね。」竜星がため息をついた。
「組対に女性が在籍してると言う事は、こういう事なんですね〜」遠く窓の外を見た。