7.夜風にご注意を
翌日、約束の午後9時になろうかという頃。物流のために整備されているとはいえ、薄暗くて不気味な山道の入口にはまともな人間は近づかない。
「お嬢さん、こんなところで何をしておる」
山道を下りてきた老人のしゃがれた声は、警戒心で満ちていた。ローブを羽織り目深にフードを被っており、顔は完全に暗闇に溶け込んでいる。
「“山小屋”の石詠様ですね」
「!なんじゃお主。客か?」
「申し遅れました。私、魔術管理官の倉町と申します。昨日付で貴方の担当になりました」
深月の言葉に、“山小屋”はピタリと動きを止めた。
「魔管?あのうるさい小僧の代わりか」
「はい。田代に代わって、これからは私が担当させていただきます」
「帰れ。魔管のサポートなぞ必要ない」
「そういうわけにはいきません、仕事ですから」
老人がどれだけ人嫌いだろうと、退くわけにはいかない。
「足手まといになる。邪魔じゃ。邪鬼が少し湧いたくらいでピィピィ騒ぎおって」
「貴方様の身に何かがあってからは遅いですから」
フン、と鼻を鳴らして、“山小屋”は自身の胸元に手を遣った。
「誰に物を言っておる」
不意に、“山小屋”越しの空気が揺らいだ。木の葉がこすれる音から、虫の羽音の様な不快な音に変わっていく。影が月明かりの下でうごめき、形をとった。
「!邪鬼です!下がってください!」
「くどい」
たった3文字。“山小屋”が言い終わるより前に、邪鬼に1本の線が走った。一瞬にして、邪鬼の形が崩れていく。
「これで分かったじゃろう。お前さんの助けなぞいらん」
「それは……黒水晶ですか」
首から下げられていたのは、闇夜がよく似合う黒い水晶だった。大きめの結晶を1本使い、そのまま革ひもで吊るしているようだ。
「腐っても魔管、か」
黒水晶は水晶の中でも魔除けに長けていると言われている。“山小屋”が祓うことに特化していると汐が行っていたのはこのためか。
「お前さんはあの小僧よりは多少肝は座っておるようじゃな」
「彼もあれでいて、やるときはやる子ですよ。魔管の一員ですから」
「どうかな。邪鬼を実際に見た日には腰を抜かすんじゃないか」
相手はこちらを挑発するように肩をすくめて見せた。月明かりに、胸元の黒水晶が刃のように妖しく光った。
「最近湧く邪鬼を見に来たんじゃろうが、見ての通り儂一人で十分じゃ。また湧かんうちに早く帰れ」
「!お待ちください、まだお話が——」
逃げようとする“山小屋”に手を伸ばしたとき、夜に似合わない勢いで足音が近づいてきた。
「深月さん!ごめん、遅くなっちゃった」
「あつっ……!」
篤士の声に“山小屋”は体を強張らせて振り返った。
「ことらこそ、夜分にご足労いただきありがとうございます」
「いいのいいの!俺がなぁこに会いたかったんだから。なぁこ、久しぶり!」
「あぇ……違っ……人違……」
先程までの威勢はどこへやら。ごにょごにょと言葉を濁す相手に、篤士は迷いなく歩み寄り手を伸ばした。
「ほら、これからお世話になるんだからちゃんと挨拶しないと」
「わ、や、やめてよぉ……!」
「えっ……」
一切の躊躇いなくフードが外され、黒水晶がよく似合う美しい黒髪が広がる。そこにいたのは、どう見ても篤士と同年代の少女だった。




