5.もう1つのお仕事
石ノ小路の扉が、いつもより重く感じる。閉店間際で客のいない店内に滑り込むと、店仕舞いをしていた汐は目を丸くして手を止めた。
「どうしたの、こんな時間に」
「申し訳ありません。実は折り入ってご相談がありまして」
夜更けに仕事モードで訪ねているのだから、面倒な案件であることはバレているだろう。それでも、逃がすわけにはいかない。
「相談?」
「はい。2点あるのですが、まず1つ。最近、邪鬼の発生が確認されています」
石詠の仕事は、石と人を繋ぐだけではない。人々を守るために結界を張る、神官としての役割も担っている。“石詠様”なんて大仰な呼び方で呼ばれているのはこのためだ。
「邪鬼が……珍しいね」
「はい。目撃情報だけで、幸い被害は出ていませんが」
人々の憎悪や嫉妬など負の感情を元に生まれる“邪鬼”。奴らは影のように形を変え、ある時には獣のように人間に噛みつき、ある時には人間のような姿をして人々を惑わすという。石詠の結界によって、普段は滅多に姿を見せることはない。それがここ最近、この中心街の周辺で出没するようになった。
「目撃されたのは全て北方にある山の麓周辺です。何か心当たりはございませんか」
「北方……あぁ、なるほど」
机に広げた地図には、目撃情報のあった場所に印をつけてある。汐はそれをなぞり深いため息と共に眉根を寄せた。
「何か心当たりが?」
「単純な話。相性が悪いんだ」
「相性、ですか」
汐はクルクルと地図の上に指で2つの円を描いた。
「この辺は俺とアイツ……“山小屋”の結界の境目でしょ。オレたちの魔術は死ぬほど相性が悪い。水と油みたいに」
石詠には、結界で守る区画が担当として割り振られている。汐の担当は、この珠盟国の中心街ほぼ全域だ。街の外れにある件の山は、その線を越えている。
「魔術の相性が結界に影響を及ぼしているということですか」
「オレの結界はローズクォーツの”博愛“を基に人の負の感情を和らげるもの。対してあちらさんの結界は、とにかく悪いものを弾く攻撃的なものなんだ。その境目で、隙をついて湧いたんでしょ」
「ですが、小屋の石詠様が就任されてから数年になるはずです。何故今になって邪鬼が湧き始めたのでしょう」
相性の問題であれば、“山小屋”が就任した瞬間から邪鬼が湧いていてもおかしくない。汐は少し考えて口を開いた。
「2か月くらい前かな。向こうが結界のメンテナンスをしたんだよ。多分、その余波で隙が大きくなってたんだと思う」
確かに、目撃情報は全て汐の言った期間に当てはまる。安堵すると同時に、ふと違和感を覚えた。長い珠盟国の歴史を辿っても、石詠同士の相性が結界に影響を及ぼしたなんて例は聞いたことがない。今までの数多くの石詠たちの中に、相性が悪い組み合わせがなかったなんてことがあるのだろうか。
「しばらくすれば、結界も馴染んで湧かなくなるよ。大丈夫」
汐はそう言って、興味を無くしたように頭を掻いた。
「かしこまりました。それでは、落ち着くまではこちらでの見回りを強化しましょう」
「心配ないよ。こっちに入り込めばオレの結界の構造上戦意喪失して弱っていくだけだし、あっちに転べばそれこそ一瞬で消し炭になる」
「山小屋の石詠様も、実力は確かなのですね」
「妙なモノを祓う、弾くことに特化した奴だからね。今回の件も、あっちに任せとけばいいよ。オレの結界内では、絶対に被害出さないから」
石詠のなかでも屈指の実力だとされている汐の言葉に、疑いようはない。きっと、この件は遅かれ早かれ終息に向かうだろう。
「……それが、そうもいかないのです」
薄々嫌な気配を感じて身を引く汐に、深月は2本の指を立てて見せた。
「もう1つの要件ですが、私に“山小屋”の石詠様を紹介していただきたいのです」
「深月さんに、あいつを?」
「実は……本日付で山小屋の石詠様も担当させていただくことになりまして」
壁に掛けられた時計の針の音がうるさく感じる程の静寂の後
「……え?」
目を丸くした汐はようやく1文字を絞り出した。
数時間前
「うわぁぁぁぁぁ!!もうだめだぁ!」
後輩である田代の叫び声が、魔術管理課のフロアに響き渡った。
「うるさいわよ、田代君」
この後輩は仕事はできるのだが、少々気が小さいところがありちょっとしたことでも大袈裟に騒いだりする。またか、と思いながら声をかけた。
「倉町さぁん!!助けてくださぁい!」
「はいはい。とりあえず落ち着きなさいな。何があったの」
何とか彼をなだめながら隣に腰を下ろすと、田代はデスクに積まれた書類の中から1枚を拾い上げて深月に差し出した。
「また邪鬼の目撃情報っスよ!今月で4件目!先月と合わせて7件目!」
「あら、また。最近多いわね……」
普段なら、年に1度あるかどうかだ。それがこの短期間にこれだけの数となると確かに気になってくる。
「多いどころじゃないっスよ!もしかして、天変地異の前触れなんじゃ……」
「そんなわけないでしょう。馬鹿な事いわないの」
「だっておかしいですもん!倉町さんの管轄のすぐ近くなんですから、助けてくださいよぉ」
「そうは言われてもね。そちらの石詠様には話したの?」
田代は件の“山小屋”の担当であり、癖のある相手にいつも胃と頭を痛めている。深月の言葉が刺さったのか、田代は書類の海へと頭を埋めた。
「だってあの爺さん、俺と話す気がないんですもん!今回も、自分がなんとかするから手は出すなって……」
「あらまぁ……」
こういう話を聞く度に、汐の担当をしている自分がどれだけ恵まれているのかよく分かる。
「俺もうあの人の担当やっていける自信ないっス……」
「それじゃ、担当変えるか?」
書類の山の後ろから、勢いよく影が生える。
「わ!?」
「か、課長……聞いてらしてんですか」
ひょっこりと顔を覗かせた男は、2人の反応を見て満足そうに笑った。大柄で整った髭が印象的なこの男こそが、魔術管理課の長、藤堂その人だ。
「丁度、田代に任せたい案件もあったしな」
「本当っスか!」
「あぁ。だから倉町、よろしくな」
「え」
ナイスミドル。紳士。そんな言葉が似合いそうないい笑顔で藤堂は深月の肩をたたいた。
「汐の坊やは優秀だから手がかからないし、もう1人くらい担当できるだろ」
「お言葉ですが、それは流石に……」
「じゃ、よろしくな」
「課長!」
抗議する深月に、後輩はちゃっかりと“山小屋”の資料を差し出しだのだった。