3.遺されたアイリス
少し時代を感じるが小洒落た外観に、窓から見える美しいアクセサリー達。“石ノ小路”に一人で入ることを躊躇する男性客は少なくない。その日も、深月が汐と打ち合わせをしていると街灯の光が差し込む小窓に人影が落ちた。
「あら、お客様でしょうか」
「あぁ……あの人、ここ最近毎日来てるんだよね。入ってこないけど」
「……一応商売なのですから、もう少しお客様を歓迎してはいかがですか」
店を先代から受け継いで数年が経つが、この店主はどうにも接客というものに向いていない。深月は相手を驚かせないようにゆっくりとドアを開けた。
「こんばんは。よろしければ、中へどうぞ。ごゆっくりご覧ください」
「!あー、いや、でもやっぱり俺なんて場違いだし……」
汐と同世代か、少し年下くらいだろうか。青年は案の定困ったように一歩後ずさった。
「そんなことありませんよ。店主も男性ですし、原石や男性用のアクセサリーもありますから。きっと、楽しんでいただけると思います」
「えっ、男性?店主って、あの人ですよね」
窓からは、片づけをしている汐の姿がよく見える。
「えぇ。あの方が店主の神崎様ですよ」
「マジか……てっきりきれいな女の人かと」
キラキラと輝く石達に囲まれた、レトロで可愛らしい店の店主。夜、窓から覗いていただけならば間違えても不思議ではない。
「なら、入ってみようかな……」
「えぇ、ぜひ」
扉を開けて促すと、青年は覚悟を決めた表情で鞄の紐を握る手に力を込めた。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは……本当に、男のひとだったんだ。もっと早く入ってればよかったぁ」
悪気なく相好を崩す青年と、分かりづらいが僅かに顔を引きつらせる汐。笑いをこらえる深月の隣で、青年は鞄を漁り小ぶりな布の包みを取り出した。
「自分、隼人って言います。今日は、コレを見てほしくて来たんです!」
黒い布に映える、透き通った石の欠片。中央当たりで、クラックが美しい虹を描いている。
「水晶ですね。これは、貴方に近い方のものでしょうか」
「!さすが、石詠様には分かるんですね」
店の光で息づくように虹が揺れて、大きくはないけれど美しい。深月にはその位しか分からないけれど、汐には何か感じるものがあったようだ。
「これ、先日亡くなった伯母のものなんです。ガキの頃から可愛がってくれた人で。持っておきたいんですけど、親が手放せってうるさいんです。死んだ人間の石なんて、ろくなもんじゃないって」
「あぁ。一定数、そういった考えの方もいらっしゃいますね」
持ち主を亡くした石には邪気が宿る。呪いを周囲に振りまくからすぐに手放さなければならない。昔から言われている迷信だ。
「でもっ、代々大切にされてる石だってあるじゃないですか。ほら、“金剛家のダイアモンド”とか!」
隼人は目を輝かせ、ずい、と身を乗り出した。
「あんな風に、俺がこいつを受け継いでいきたいんです」
汐が応えるのに一瞬の間があった隼人の勢いに飲まれたのか、それとも他に思うところがあったのか。
「金剛家のダイア、ですか」
珠盟国ができて数百年。ダイアモンドの別称である金剛の名を冠する金剛家は、代々王家に仕える石詠の一族だ。建国当初から、大きなダイアモンドを基に鉄壁の守りを築いてきたという。
「はい。やっぱり、石詠様は本物を見たことがあるんですか?」
「いえ。あれは国宝ですから。僕のような一般の石詠では見ることもできませんよ」
「そっかぁ、残念。話を聞いてみたかったのに」
「……僕も、見てみたいんですけどね」
金剛家の家宝であるダイアモンドは、片手では覆えないほどの大きさがあるというが、真偽は定かではない。実物を見たことがあるのなんて、金剛家の中でもごく一部だろう。
汐は苦笑しながら水晶を受け取り、光にかざした。角度を変えながら、石と会話するようにじっくりと。
「どうですか、その石。石詠様に浄化してもらったっていえば、うちの親も納得すると思うんです」
「……よくある勘違いですが、浄化というのは少し違います」
「と、いうと?」
「よくいらっしゃるんです。亡くなった方の石を手放そうとするお客様。ですが、僕は浄化なんてしていません。ただ、元の状態に戻しているだけなんです」
魔術を使わない人間には、馴染みのない話だ。首をひねる隼人に、汐は近くのショーケースに置かれたアンティークのコーナーを指さした。
「例えば、アンティークは基本的に一度人の手に渡ってからここに来ます。その石は、持ち主のためにカスタマイズされた状態なんです。大切にされてきた石程、ね」
小さな傷1つにも、持ち主との思い出が刻まれている。色褪せていても輝き続けるのは、大切にされてきた証だ。
「それを、元に戻しちゃうんですか?」
「正確には、次の持ち主に馴染みやすいようにカスタマイズされた部分も含めて整えるんです。全てが消えるわけではありません」
「そうなんですね……よかった」
汐から水晶を受け取り、隼人はそっと包みを胸に抱いた。伯母の遺したもの受け継いでいきたいのに、伯母と重ねた時間を消すような真似をするのは本末転倒だ。
「そもそも、その石は貴方によく馴染んでいます。浄化どころか、僕が手を加える余地がありませんよ。きっと、いいお守りになります」
「本当ですか!確かに、この石には妙に惹かれて……処分されそうになってたのを拝借してきたんです」
手の中で、応えるように虹が踊った。処分される前にと、この石が隼人に助けを求めたのかもしれない。主人を慕っていた彼であれば、悪いようにはしないだろうと信じて。
「ただの水晶、それも大きめの傷が入っているなんて何の価値もないって言われちゃって」
「そんな……こんなに綺麗なのに」
深月が思わず声を上げた隣で、汐は僅かに眉根を寄せて目を細めた。
「聞き捨てなりませんね」
カウンターの奥に回り、キャビネットを開く。保管用の透明なケースに入った薄紅色の原石が名乗りを上げるように煌めいた。
「僕の相棒となる石です。不格好でしょう」
「ローズクォーツ、ですか?」
「えぇ。これも所謂”ただの水晶“の一種です。それでも、僕にとっては何よりも大切で、代わりなんてありません」
汐の相棒、ローズクォーツの”花雪姫“。つつじの花を伏せた形で下に広がり、花弁を縁取るように白く筋が入っている。白い部分を雪に見立てて”花雪姫“とはよく名付けたものだ。
「原石も、捨てたものじゃありませんよ。手にした人の数だけ、可能性がありますから」
店内にも、数多の原石が並んでいる。汐は石達に語りかけるように全体を見回した。
「神崎様は、原石がお好きですからね」
師匠である先代が原石を主に扱っていたからだろうか。修業をしていたころから、その手にはいつも原石が握られていた。
「原石のほうが、俺に合ってるから。後から好きな形に加工することもできるしね」
一度削った石は二度と元には戻らない。研磨された石は研ぎ澄まされた刃のようで扱いづらいのだと、以前汐から聞いたことがある。
「好きな形に……」
隼人は小さく呟いて、手元の水晶に視線を落とした。
「こちらでは加工の受付もしていますが、興味がおありですか?」
「いやぁ、でも宝石になるようないしじゃないし……」
「あら、そんなことありませんよ。透明度も高いですし、立派な虹があるじゃありませんか。きっと、磨いても素敵になりますよ」
大きくないとはいえ、研磨するくらいの大きさは十分にある。深月が視線を送ると、汐は気だるげに置いてあったカタログを手に取った。
「よろしければ、いい職人を紹介しますよ」
カタログには、今まで石ノ小路で取り扱ってきたジュエリーの数々が写真つきで掲載されている。隼人は水晶と顔を見合わせ、力強く頷いた。
「お願いします!俺、こいつをとびっきりきれいにして見返してやりたいです」