1-2 検証! 『うしろの風子』の正体を探れ(1)
明日から体育祭の練習を始めるそうだ。
教室は、風子の代わりに副委員長の僕が壇上に立つたびにどうしょうもない険悪な雰囲気が充満して、体育祭の各種目の選手決めもままならない状態。
結局、体育委員の男子に司会を代わってもらって、僕は壇上を下りて風景の一部になった。
さっきまで降っていた雨はようやくあがって、窓の外では遠い住宅街の空に鮮やかな青空が顔を出している。
『光平? 落ち込んでない?』
イヤホンの奥に、ちょっと心配そうな風子の声が響いた。
僕は昨日と同じように、机の左上角に置いたルーズリーフにそっと返事を書き込んだ。
【落ち込んでなんかない。ちょっと面倒くさいなって思ってるだけ。桜台はなにも気にしなくていい】
『えー? でもー。そうだっ! みんなにあたしがここに居ること話して、光平はなにもしてないってあたしがみんなに言ったらどうかな』
【そんなの誰が信じるんだよ。とにかく今日はハルダの家に行くからな? この現象の謎解きを優先しよう】
『うん、ごめんね。ありがと、光平』
ふと気付いた。
風子はいつの間に、僕のことを『光平』って呼ぶようになったんだろう。
僕の名前『光平』は、牧師である父さんが付けた名前。
それまでのユダヤ教の選民思想を排して、ユダヤの民のみならずすべての民に平等に愛を与え、そしてその進む先にずっと光を置いて下さるという、イエス・キリストが伝えた神の姿。
その神の姿のイメージから、平和を表す『平』と、希望を表す『光』をとって付けられたのが、僕の『光平』だ。
しかし、驚くなかれ、実は、僕は『完全無神論者』。
まぁ、いろいろあって、父の願いはむなしくも神さまに届かず僕は牧師の息子としては相当に親不孝な『無神論者』となってしまったのだが、実のところ、この『光平』という名前はとても気に入っている。
きっと誰も、僕みたいな無感情で冷たい人間の名前が、慈悲深い神さまのイメージから付けられたなんて思いもしないだろうな。
桜台風子の『風子』だってそうだ。
その名前の由来を知るまで、なんか変わった名前だななんて失礼なことを思っていた。
風子自身についても、八方美人でいい加減なお調子者だと著しい悪印象を持っていたけど、いまはちょっとだけ親近感を感じている。名前もなかなかいいネーミングだ。
ふと外を見ると、名も知らない小鳥が鳴いていた。あの小鳥にも、きっと僕が知らない素敵な名前があるんだろう。
窓に反射して見える、僕の背後の教室。
少し離れたところに、誰も座っていない風子の席が見えた。
「風子って、なかなかいい名前だな」
無意識に、そうひとりでに声が出た。
『そそそ、そうかなぁー! いやぁ、うれっ、うれっ、嬉しいなぁっ!』
耳をつんざくような大音量で『うしろの風子』の声がイヤホンをかき鳴らした。
耳を押さえて思わずのけ反る。
「うわっ、風子、突然大きな声を出すな!」
『もー、光平、突然そんなこと言わないでー。わたくし、喜んでしまいますぅ』
「あ、声に出てたか。ま、ちょっとだけホントにそう思ったんだ。気持ち悪いこと言ってすまなかったな」
『気持ち悪いとかなーい! やっと光平もあたしの良さに気付いてくれたのね』
「そんなんじゃないけどな。風子、悪いがもうちょっと静かに話してく……」
あ……。
ハッと周りを見ると、みんながじっと僕のほうを見ていた。
「永岡、大丈夫か? 保健室に行ってもいいぞ?」
後ろからやって来た担任の若宮先生が、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
壇上の体育委員もチョークを片手に固まっている。
「い、いえ。大丈夫です」
すると前の席のハルダが振り返って、ニヤリと口角を上げた。
「永岡よ。授業中に委員長とイチャイチャ話すのは違反だぞ?」
「うるさい」
ハルダには、昨日の病院からの帰りに近くのファミレスに寄って、いまの状況をぜんぶ話した。
すごくびっくりするだろうと思っていたのに、終始ずっと冷静だったのは意外だった。
昨日の帰り、夕暮れのファミレス。
テーブル越しのハルダが口をへの字にして僕に目をやった。
「……するとなにか? 永岡の後ろに目に見えない委員長が居ると」
「そうなんだ。それもこのスマホの自撮りカメラを通してしか見えない」
「なるほど。声はそのイヤホンか」
「うん。どういうわけか、アイツの声がこのスマホを通して聞こえているんだ」
「私も話ができるだろうか」
「ちょっと試してみよう」
イヤホンのペアリングを切って、テーブルの真ん中にスマートフォンを置いた。
「委員長、聞こえるかっ!」
『おおう! ハラダくん、おつかれー!』
「なんと! 私はハラダではないっ! ハルダであるっ!」
『ごめん、それもう飽きた』
「なにおう?」
通話もしていないのに、声を放つスマートフォン。
僕はゆっくりとハルダへと視線を向けた。
「まぁ、このとおりだ。たしかに桜台風子の声に聞こえるだろ? でも『病院の風子』と、このスマホの中の『うしろの風子』がどういう関係になるのか、まったく見当がつかないんだ」
僕の言い方が腹立たしかったのか、間髪入れずに風子の合いの手が入った。
『いやぁ、完全にあっちがニセモノでしょ』
「しかしな? それを言い出すと『人はなにを以って本物と為すか』という、すごく哲学的な思索に陥ってしまうんだよ」
ハルダが口を尖らせた。
「うーむ。本当に委員長なのか? 委員長なら信任投票に賛成票を入れた私の誕生日を知っているはずである」
『もう、そんなの知るわけないじゃん。でもね? ハラダくんが物理科学部で頑張っているのは知ってるよ?』
「私はハラダではな」
思わず手が出た。
「もういいから」
『もういいから』
「ぷはっ! 永岡よ、コップで口を押さえるのは反則であるっ! しかも委員長のツッコミも絶妙にシンクロしているではないか。キミら仲良すぎなのである!」
『そうよー? 仲良しだもんねー。昨日もひと晩中ずーっと一緒だったし。ね? 光平っ?』
「そういう誤解を生む言い方はやめてくれ」
すると、その言葉を聞いたハルダは一瞬考えたあと、それから目をキラリとさせて僕に視線を戻した。
「ずっと一緒? そういえば、委員長からは永岡の後ろ姿がずっと見えているのであろう?」
『そうよー?』
「なら、トイレや風呂のときも見えておるのか?」
『あ』