1-1 「うしろの風子」と「病院の風子」(3)
すると、どうやらそれをちゃんと読み取れたらしく、イヤホンにその声が響く。
『おおう、バッチリ読めるよ? で、物理部ハラダくんとなにかするの?』
【ハラダじゃない、ハルダだぞ? 桜台が構わないなら、この不思議な現象のことをぜんぶハルダに話そうかと思うんだけど】
『おおう。ぜーんぜん構わないよ? 物理部の彼ならなんか分かるかも知れないしねー。あたしはぜんっぜん物理分かんないし。謎の学問』
【物理、苦手なのか】
『苦手もなにも、もう支離滅裂よ。お父さんは物理の先生で、あたしの名前も物理学者にちなんで付けられたっていうのに、ほんとてんでダメなんだー』
【理数系ダメって、なんかほんと桜台っぽいな。お父さんが物理の先生ってのは、なに? ジョーク?】
『なんですとー? お父さんね? 大学教授なの。なにかよく分かんない難しいこと研究してるみたい。えっと、「シュレッダー嫌いの猫」?』
【「シュレーディンガーの猫」だろ。量子力学だな。で、名前の由来が物理学者?】
『うん。「フーコーの振り子」って知ってる?』
【あ、そういうことか】
桜台が言った『フーコーの振り子』とは、その昔『地球が自転している』ということを立証した有名な実験の名前だ。
『フーコー』はその実験を行ったフランスの物理学者、レオン・フーコーのこと。
『風子』って名前、初めて聞いたときちょっと変わった名前だななんて思ったけど、そういわれてみればなかなか趣深いネーミングだ。
【「風子」はレオン・フーコーから来てたのか。すごいな】
『えへへー。でもあたし全然ダメなんだけどね。理数系』
【まぁ、名前負けの典型かもな。で? レオン風子さまはその名前の由来どおり、科学によるこの異常事態の解決を希望するんだな?】
『名前負けとかひどーい。でもまぁ、なんとなくよく分かんないから、とにかくぜーんぶ光平に任せる!』
【また言ったぞ? 「なんとなく」】
『えへへ』
他人の名前の由来なんて、そうそう聞く機会はない。
聞いてみればなるほどと思うし、そこに込められた両親の思いや、どれくらいその子のことを想って大事に育ててきたかなんてことも垣間見えてくる。
そう聞けば、『風子』はなかなかいい名前だ。
考えてみれば、僕はこの『風子』のことを何も知らない。
知っているのは、いつもヘラヘラ笑ってて、誰のどんな話にも前のめりで大げさなリアクションをして、なんでもその場の思いつきでやる無計画女だってこと。
クラス委員長なのに遅刻も多いし、成績もお世辞にもいいとはいえない様子。
でもなぜか、この風子はみんなから慕われている。
たぶん、僕には理解できない、僕には見つけることができないなにかを風子は持っているんだろうな。まぁ、理解したいとも思わないけど。
【ま、あとは放課後な】
僕はそう書いたあと、カバンの中に大事にしまった白いスマートフォンを取り出して、ちょうど先生からはハルダの陰になって見えない位置でこちらへ向けた。
それから例のごとく自撮りモードにして僕の左後ろを見ると、もうこれ以上無いくらいの満面の笑みで、僕の左肩に頬を寄せている風子が映っていた。
「で? 私になにを頼みたいというのだ?」
メガネのブリッジを指でくいっと上げながら、ハルダがカッコつけている。
「いや、一緒に病院に行ってくれないかな、と」
「病院? 口と性格以外にもまだどこか悪いのか?」
「お前に対する胸くそが悪いな」
不思議なことに、風子と話しながら過ごした今日は、一日が終わるのがすごく早かった。
授業はぜんぜん聞けてないかもだけど。
たぶん、風子と出会ってからのこの一年半ぜんぶの会話より、昨日から今日にかけての方がたくさんのことを話したと思う。
「桜台が入院している病院だよ。ひとりじゃ行きにくくてさ。頼めるか? ハラダ」
「私はハラダではないっ! ハルダであるっ!」
「いいよな? 病院行くの」
「スルーかっ! う、まぁ、構わんが、その」
「ん? どうした」
「その、じょ、女子のお見舞いにこのハルダが行くなどと」
「そうか? ギャップ萌えでいいじゃないか」
「誰がいったい私に萌えるのだ」
風子が入院している病院は、先生が教えてくれた。
本当に行くのかと何度も聞かれたけど、なんでそんなに神経質に聞くのか分からなかった。
病院は、高校から僕の家とは反対の方向へ自転車で十五分くらい走ったところにある。
すぐそばには高架下にあるJRの駅と大型のショッピングモールがあって、僕の家の近くに比べたらちょっとだけ都会だ。
病院のエントランスに入って、受付で桜台風子の病室を聞いた。
よく聞いてみると今朝ICUから病室に移ったばかりで、まだ面会はできないらしい。
さらに「それ以上の詳しい事は一切教えられない」の一点張り。
イヤホンに『うしろの風子』の溜息が響いた。
『はぁ……、ここに入院しているのって、本当にあたしなのかなぁ』
「どうだろう。『病院の風子』が物理的に存在しているのは間違いないだろうな」
『もうっ、どう見てもあたしが本物なのに!』
「いや、どう見ても現実的な本物さはないと思うが」
『なんですとー? ううう、光平なんてキライだぁー』
「嫌われてんのは知ってるよ。事実を言っているだけだ。副委員長だからな。ちゃんと委員長を補佐して正しいことを教えてやらないとな」
『ふーんだ』
イヤホンから漏れた声が聞こえたのか、前を歩くハルダがじわりと振り返る。
「永岡よ。電話か?」




