4-3 それは、『想いの形』(2)
悟りにも似た……、なんともいえない諦め。
僕はどうすることもできなくて、ただただ夜空を見上げた。
父さんなら、きっとこう言うだろう。
『これは、神さまの思し召しだ』
そうだな……、神さまが決めたことなら……、仕方がない。
でも……。
でも……、やっぱり。
でも……、やっぱり……僕はイヤだ。
僕は、もう一度、風子の顔が見たい。
画面越しなんかじゃなくて、真っ直ぐにその愛らしい顔が見たいんだ。
そして力いっぱい抱きしめて、この気持ちを真っ直ぐに伝えて、誰よりもその笑顔が大好きだって、大きな声で叫びたいんだ。
もっとたくさん、風子の笑顔を見ていたい。
もっとたくさん、風子の声を聞いていたい。
来年の夏祭り、一緒に行こうって約束したじゃないか。
こんな僕と、手を繋ぎたいって言ってくれたじゃないか。
どこにも行って欲しくない。
どこにも行って欲しくないんだっ!
『……兄さん?』
心の叫びが飽和したとき、どこかから響いた優しい声。
ハッと足元を見た。
転がったイヤホンのすぐそば。
真っ白な光の点が、なぜかそこで輝いている。
思わず、再び空へ目をやった。
一条の、光りの筋。
その清らかな細い光が、真っ直ぐに僕の足元へと射している。
愛?
『兄さん? ちゃんと、風子さんの名前を呼んであげて?』
愛の声だ。
天をたなびく『魂の通り道』の中から、真っ直ぐに射す光の筋がその声を運んでいる。
風子の……、名前を呼べばいいのか?
ふと見ると、小さな雅が泥だらけの白い衣を引きずりながら、目を大きくして空を見上げていた。
「愛……? 愛なの? あなた、どうしてそこに居るの?」
『雅さん、兄さんの後ろに居た風子さんを、除霊で病院の風子さんのところへ帰そうとしたのね?』
「でも……、私の力では……、ああ……、わたくし、どうしたらいいの……」
『あの「うしろの風子」さんは……生霊じゃないの。あの風子さんは……、神さまがくださった、想いの形』
「想いの……形?」
『そう。「魂の通り道」へ迷い込みそうになった風子さんを神さまが見つけられて、そしてその「想い」に添ってあげようとお思いになられて……、それで風子さんを兄さんのところへ導かれたの』
「ではっ……、わたくしはどうすれば……」
『たぶん、雅さんの術だけでは元に戻せない……。兄さんの気持ち、みんなの気持ち、そして……雅さんの気持ちがひとつになれば……、きっと神さまが祝福をくださるわ』
「わたくしの気持ち……? わたくしっ……、桜台風子が許せなかった。こうちゃんが困っている姿を……、もうこれ以上見たくなかった」
『でも、風子さんがそんな女の子じゃないって……、目に見えるものだけではすべては分からないって……、雅さんもそう思ったから――』
「わたくしは……、わたくしは……」
『――雅さんもそう思ったから、風子さんを元に戻したいって思ったんでしょう?』
泣き崩れた雅。
さらに大粒の雫が、その瞳からとめどなく溢れた。
『雅さんがとっても大切に思ってくれている兄さんは……、風子さんが居なくなってしまったら、また笑顔のない兄さんに戻ってしまうわ……。だから……、ね? 雅さん……』
愛の問い掛け。
震える雅の両手が地につき、それからゆっくりとその顔が上がった。
そして、天を仰いで動いたのは、小さな唇。
しかし、その声は僕には届かない。
永遠にも感じられた、一瞬の間。
雅がさらに泣き崩れると、すぐにその答えは届いた。
愛の声が響く。
『よかった。神さまはもう、雅さんをお許しになっているわ。そして、風子さんに道を示されている。風子さんが祝福とともに新たな目覚めを迎えられるように』
次の瞬間、地に射していた光の筋がはじけ飛んだ。
「うわっ!」
思わずつむった目。
真っ白な光が世界を包み込む。
なにも見えない。
しばらくして、まるで母さんのように僕の両頬に優しく触れたのは、温かな手の感触。
『兄さん? 神さまが道をお示しになったわ。あとは、兄さんが風子さんの名前を呼んであげるだけ』
「愛は……、愛は一緒に戻れないのか?」
『うん。でも、ここへ来られてよかった。兄さんと風子さんが心配だって申し上げたら……、神さまがここへ来ることを許してくださったの』
「そうか……。そうなんだね……。ごめんね、愛。ありがとう」
『兄さん……、でもまだ、風子さんは帰り道を見つけられないでいるみたい。だから……、兄さんがちゃんと呼んであげて?』
「呼ぶって……、どうしたら」
ふと、周りを見回した。
すべてが真っ白だ。
雅も、諸田さんも、ハルダの姿もない。
森や神社の風景もまったく見えなくて、そこにはただただ純白の平原が広がっていた。
『兄さん、見える?』
そう言われて、凝らした瞳。
平原のずっとはるか向こう。
声も届かないくらい、ずっとずっと向こう。
そこに、ひとりの女の子の後ろ姿が見えた。
制服を着ている。
あれは……、風子だ。
なにか不安そうに、周りを一生懸命に見回している。
『ねぇ……、兄さん? 風子さんのこと……好き?』
突然問われた、その問い。
愛の優しい声が、ゆらりと響き渡った。
風子のこと、好きかって?
そんなの、決まってる。
誰に問われても、どんなことがあっても、その答えは絶対に変わらない。
「うん……。好きだ」
一点の曇りもない、真っ直ぐな気持ち。
『よかった。最後にその言葉が聞けて。兄さん、それじゃあ、その気持ちをいっぱいに込めて、しっかりと風子さんの名前を呼んであげて。目を閉じて、そう、風子さんのことを一心に想って』
感じた、愛の柔らかな笑顔。
ふわりと頬を撫でた、優しい風。
風子、僕はここだ。
風子のずっと……後ろ。
でも、たぶん風子は僕を見つけられない。
風子はいつだって、前だけを見ているから。
だからきっと、『魂の通り道』でも前だけを見て、そのまま真っ直ぐに天国へ行ってしまう。
もう、霞みかけている風子の後ろ姿。
風子、僕はここだよ?。
大きく息を吸う。
届け。
風子が行ってしまわないように。
この気持ちが、ちゃんと伝わるように。
そして僕は……、目を閉じて、一心にその名を呼んだ。
「風子――」
ハッとした。
体がふわりとして、温かなゆらぎに包まれる。
ずっと向こうで、風子が振り返ったような気がした。
ただただ真っ白な世界。
最後に届いたのは、愛の、柔らかな、声ではない声。
『兄さん、風子さんのこと、大事にしてあげてね』
その声は、大聖堂の中のように広がって消えた。
そして僕は、ついに自分がそこに居るという感覚すらなくなって、いつの間にか遠くへと意識を手放していた。




