3-3 泣きべそ光平と『うしろの風子』(4)
頬を伝った雫が、握った手の甲にポツリと落ちた。
もう一度、ゆっくりとベッドの上の風子へ目をやった。
風子の想い。
ずっとずっと、風子は僕を想ってくれていた。
目の前でベッドに横たわる風子は、いまその想いを口にすることができない。
もしかしたら、もう口にすることができないままかもしれない。
僕はそんな彼女の想いを、いままでずっと踏みにじって……、ひとり涼しい顔をしていたんだ。
「……あの、すみません。少しの間だけ、風子とふたりきりにしてもらってもいいですか?」
「……うん。風子も、きっと喜ぶと思う」
優しく微笑んだお父さん。
そしてゆっくりと立ち上がると、お父さんは外で待っていると言って静かに部屋を後にした。
しんと静まった病室。
風子の枕元に真っ白なスマートフォンをそっと置くと、僕はシーツの上に出ている風子のその手にゆっくりと手を重ねた。
温かい。
風子はちゃんと生きている。
その顔を覗き込むと、風子がなんだか笑っているように見えた。
もっとたくさん、風子の笑顔を見ておけばよかった。
もっとたくさん、風子の優しい声を聞いておけばよかった。
こんなにも僕のそばに居てくれたのに。
こんなにも僕のことを想ってくれていたのに。
僕はなにひとつ風子に応えてあげられないまま、その想いを大切にしてあげられないまま、ただ彼女のことを誤解し続けていた。
ぽろぽろとシーツに雫が落ちる。
「風子、お前、こんなかわいい顔してたんだな……」
僕はゆっくりと風子の肩口に額をつけて、漏れ出る声を飲み込んだ。
「風子……、ごめん。本当に、ごめん……」
届かない言葉だと分かっているのに、僕は何度も何度もそう呟いた。
どれくらいそうしていただろう。
ふと気付くと、窓の外の雨音がやんでいた。
とても愛らしい寝顔。
風子の寝顔を見て、正直にそう思った。
そのときだ。
どこからか、聞き覚えのある音がかすかに届いた。
プチプチと、電気回路がショートするような雑音。
思わず顔を上げる。
すっと周りを見回すと、その音がとても近くで鳴っていることに気が付いた。
風子の枕元。
僕とお揃いの真っ白なスマートフォン。
耳を澄ますと、そのスマートフォンのスピーカーがごくわずかに音を立てていた。
その瞬間、消えていた画面がふわりと明るくなった。
僕はなにも操作していない。
ひとりでに画面がカメラに切り替わって、ガリガリとスピーカーから音が鳴っている。
ハッとした。
「風子っ?」
思わず手に取った。
もしかして、もしかして……。
風子に……、会いたい。
自撮りモードのカメラには、LED照明が放つ真っ白な光がふわりと映っている。
大粒の涙がぼろぼろと落ちた。
「神さま……、お願いします。風子に会わせてください……。風子と話せるのなら、なんでも……、なんでもいたします……」
口元がくしゃくしゃになって、無意識にそんな言葉が口を突いた。
温かなスマートフォン。
そして僕は大きく息を吸って、それからゆっくりとそれを傾けた。
僕の、後ろ。
『光平……?』
居た。
雫でぼやけた視界の先、画面にふわりと映った、その愛らしい顔。
そこに映し出されていたのは、雫でいっぱいになった瞳をキラキラさせている、『うしろの風子』。
思わず笑みが出た。
「風子? そんなとこで、なにしてるんだ?」
『なんですと? 泣きべそ光平のくせに』
スピーカーから聞こえた優しい声。
僕はこのとき、初めて神さまに感謝した。
素直に、そして心から、その愛らしい風子の笑顔に再び会えたことに感謝したんだ。
「あはは。風子だって泣いてるじゃないか」
『いーの。だって嬉しいんだもん』
心からこんなふうに笑ったのは、いったい何年ぶりだろう。
『光平の笑顔、とっても素敵だよ?』
「ありがとう。風子には負けるけどな」
『光平、あたしのこと「こんなかわいい顔してたんだな」って言ってくれたもんね?』
「え? 聞いてたのか?」
『ずーっと聞いてたよ?』
「忘れてくれ」
『忘れない。ぜーったい忘れてあげない』
愛らしい笑顔、優しい声。
神さまが僕に、もう一度会うことを許してくれた、『うしろの風子』。
謎はまったく解けていないけど、これからどうしたらいいのかもまったく分からないけど、いまはそんなことどうでもいい。
もう少し、この風子の笑顔を眺めていたい。
そんな僕らしくないことを思いながら、僕はそれからしばらく、画面の中の風子の優しい笑顔をただただ眺めていた。




