3-3 泣きべそ光平と『うしろの風子』(3)
どういうことだろう。
目を白黒させている下見警部補を横目に、風子のお父さんがゆっくりと歩み出て僕のとなりに並んだ。
そして、僕の後ろから両肩に手を置くと、お父さんはなんとも優しい声で僕に話し掛けた。
「キミ、真っ白なスマートフォンを持っているだろう?」
「え? あ、はい。いまは修理に出してますけど……」
「じゃぁ、間違いない。下見係長さん、とにかく、あなたが追っている犯人は、『この子』ではないですよ? 私が保証します」
「いや……、あのっ、桜台さんっ?」
「永岡くん、妹さん大丈夫かい? 少しの間、離れても構わないのなら、ちょっと一緒に来てほしいんだが」
「え? は、はい」
僕はなにが起こったのか分からないまま、ただその言葉に同意を返した。
下見警部補は僕を睨みながら、ギュッと下唇を噛んでいる。
「下見さん、間違いなく、『この子』は違います。もう一度よく捜査をして頂けませんか? すみませんが、今日はこれで」
そう言って、風子のお父さんは下見警部補から視線をはずして、そっと僕の背中を押した。
下見警部補の横を通り過ぎて、数歩進んだところで背後で響いた激しいドアの音。
「私について来てくれるかい?」
下見警部補のことなどまったく意に介さず、先へと歩み始めた風子のお父さん。
病院の長い通路。
ただ靴音だけが響くその通路を、僕はただただ風子のお父さんの後ろについて歩いた。
たどり着いたのは、いつか、風子のお母さんから辛い言葉を投げられた、あの病棟。
外を見ると、もう日が暮れて、雨の夜景がガラスに滲んでいた。
前を行くお父さんが、顔半分振り返る。
「永岡くん、なにか飲むかい? そこに自販機があるんだが」
「い……、いえ、結構です。でも……、どうして僕のこと」
「そうだな……。何から話そうか。とりあえず、風子の顔を見てあげてくれないかい?」
その言葉と同時に、立ち止まったお父さん。
ドアの横には、柔らかな照明に照らされた『桜台風子』のネームプレート。
あのときは面会謝絶で会えなくて、それからあとも風子のお母さんの一件で訪れることができなかった、この場所。
ゆっくりとドアを開けながら、お父さんが声を投げた。
「風子? 永岡くんが来てくれたよ」
静かな個室。
奥の大きな窓は、まだカーテンが開いたままで、ずっと向こうまで続く窓灯りたちがプラネタリウムのように浮かび上がっていた。
「どうぞ? 入って」
促されて足を踏み入れると、部屋の一番奥に、真っ白なシーツのベッドが見えた。
ベッドの脇には、血圧や心拍数を測る機器。
口につけられた透明な酸素マスクの内側を曇らせる吐息が、女の子の命がちゃんと続いていることを教えてくれていた。
風子だ。
スマートフォン越しでない、現実の風子。
なにか楽しい夢でも見ているかのように、とても優しい顔をして瞳を閉じている。
「遠慮は要らない。そこに腰掛けて」
そう言われ、僕はベッドのすぐ横に置かれた椅子にゆっくりと腰を下ろした。
続けて、お父さんが床頭台を開けて、そこからなんとも見覚えのあるそれを取り出した。
「永岡くん、このスマートフォン、見覚えないかな」
真っ白な、とても馴染みのあるスマートフォン。
なぜか、ついこの前まで『うしろの風子』の笑顔を見せてくれていた、あの壊れてしまった僕のスマートフォンとまったく同じ機種、まったく同じ色のそれが、いまそこにあった。
「あの……、これは」
「これはね? 風子が使っていたスマートフォンだ。見たことないかな」
「えっと……、はい。一度も」
「そうかい? 実は、風子が高校生になってすぐどうしてもこの機種にしたいって、風子らしくないワガママを言い出してね」
風子が使っていたスマートフォンなんて、まったく気にしたことがなかった。
でも、どうして……。
「それで、なぜこの機種がいいのかと風子に聞いたら、『大好きな男の子とお揃いだから』と、まぁ、父親としてはとても複雑な答えが返ってきてね」
思わず、ベッドの上の風子へ目をやった。
お父さんは苦笑いのまま続ける。
「少し前の機種でなかなかこの色がなくて……、色違いではダメだと言うんで、ずいぶん探してやっと機種変更したんだ」
思わず、ぎゅっと握りしめた膝の上の拳。
ベッドの上の風子がほんの少し笑っているように見えた。
「このスマートフォンに変えた日の夜、風子はずっとニコニコしててね。ちょっと手間がかかったけど、その笑顔を見てワガママをきいてあげてよかったと、すごく親バカなことを思って……」
そう言いながら、お父さんはそのスマートフォンの電源を入れると、小さな子どもに微笑むような柔らかな笑みを浮かべて、ゆっくりと僕へその画面を向けた。
「ちょっと、これを見てくれるかい?」
手渡された白いスマートフォン。
画面には、日常を写した無数の写真たち。
そして……、そのどれにも、なぜか、なんとも無表情な僕の顔が写っていた。
「実は、風子はその大好きな男の子の話を毎日のようにしてくれていたんだ。物理で満点を獲っただとか、教室の鍵を掛け忘れたのを庇ってくれただとか」
僕は思わずハッと顔を上げた。
お父さんが瞳をゆらりとさせる。
「とっても優しくて、とっても頼りがいがある男の子だって、毎日毎日、その子のことを話す風子は本当に楽しそうでね」
僕の頬を、温かな雫が伝った。
何も言葉が出ない。
「捜査に必要だと言われて仕方なくショップでロックを解除してもらって、その中に『風子が大好きな男の子』の写真がたくさんあるのを見つけたんだ」
僕は本当にバカだった。
なにも見えていない、なにも分かっていない愚か者だった。
「そしてその男の子は、いま私の目の前に居る。キミが永岡光平くんだというのなら、永岡光平という男の子が風子を突き落としたりするはずがない」




