3-2 笑顔になったわけ、笑顔を捨てたわけ(2)
「風子さん、よく聞いてね。いま兄さんの後ろに居る『うしろの風子』さんが愛が思っているとおりの存在なら、道を間違わなければ、ちゃんと元どおりに戻れると思うの」
どういう意味?
「風子さんはいま、ちょっと道に迷っているだけ。たぶんもう少ししたら、風子さんにもまた道が見えるようになると思う」
元に戻れるって、またスマートフォンを通して光平と話ができるようになるってこと?
「そのときは……、選ぶ道を絶対に間違わないでね? そして、ちゃんと元に戻って、愛が神さまのもとへ行ったあとは、風子さんがずっと兄さんのそばに居てあげて」
愛ちゃん、道を間違わないようにって、どうしたらいいの?
「あのときも、ちゃんと道を間違わずに来られたでしょう? 兄さんが風子さんに、『神さまは笑顔でいる子に幸せを運んでくださる』って言ったとき」
あ……、どうして愛ちゃんが知ってるの?
あのときの、あの公園。
もう無くなってしまった砂場で、その言葉を掛けてもらったから、あたしはそれからずっと笑顔で居られた。
真っ赤に染まった空。
吐く息が白くて、幼稚園の先生が巻いてくれたマフラーが取れて、すごくすごく寒かった。
丘の上の幼稚園。
園庭で空を見上げて遅いお迎えを待っていたとき、いつも意地悪をする男の子たちに囲まれた。
『たいふうおんな』
『ふうこはかぜのこ』
『かぜがつめたいからあっちいけ』
物理学者のレオン・フーコーから名づけられた、『風子』という名前。
あたしは、この名前が嫌いだった。
どこへ行っても、誰と会っても、ちょっと苦笑いしながら「いい名前だね」と言われる。
みんな、なんか少し変わった名前だなって思っているくせに。
そのときもおんなじ。
あたしの名前が変だからって、囲まれて、寒いのはあたしのせいだって、たくさんたくさん嫌なことを言われた。
そうしたら涙が止まらなくなって、あたしはそのまま幼稚園を飛び出した。
坂を下って、道路の下のトンネルをくぐって、息が続かなくなるまで、いっぱい走った。
気が付くと、そこはあの『まちかど広場公園』。
幼稚園の先生に連れられて何度か来たことがあったけど、ひとりで来たのは初めてだった。
それからあたしは砂場の一番すみっこに座って、ずっとずっと泣いていた。
『どうしたの?』
しばらくして、とっても優しい声が聞こえて、あたしは顔を上げた。
声を掛けてくれたのは、同じ年くらいの男の子。
優しい目、優しい言葉遣い。
幼稚園の男の子たちとはまったく違う。
その男の子はあたしの頭にそっと手を乗せて、それから優しく優しくあたしに言葉をくれた。
『ないちゃだめ。ぼくのおとうさんがいつもいってるよ? 「かみさまは、えがおでいるこに、しあわせをはこんでくださる」って』
そうして柔らかくあたしの頭を撫でてくれて、ずっと横に座っていてくれた。
その子がとなりに居てくれると、ほっぺを痛くしていた冷たい風がなんだかとっても暖かく感じた。
『神さまは笑顔でいる子に幸せを運んでくださる』
いまでもその男の子の声をはっきり覚えている。
そうしていると、もう空が暗くなり始めたころに、すごく慌てた様子で先生とお母さんが探しに来て、あたしを見つけてくれた。
お母さんに手を引かれて立ち上がったとき、その男の子がくれた満面の笑顔。
そう、笑顔だ。
あの男の子に教えてもらった笑顔。
あたしの一生の宝物。
またいつか、あの男の子に会えるまで、ずっとずっと笑顔でいよう、そう思った。
それから何度かあの公園に連れて行ってもらったけど、あの男の子とはずっと会えないまま。
そして春が来て、幼稚園を卒園しても結局会えなくて、そのまま我が家は隣町へ引っ越したから、あの公園にも行けなくなった。
それから……、九年と少し。
高校生になって、同じクラスになった永岡光平くんを見て、ハッとした。
あのときの、あの公園の男の子にすごく似ている。
目つきや態度はぜんぜん違うけど、なぜかすぐにそう思った。
そして、夏休みになる少し前、永岡くんの家がキリスト教の教会であることを知った。
その教会のすぐ近くに、あの公園はある。
間違いない、そう思った。
『ないちゃだめ。ぼくのおとうさんがいつもいってるよ? 「かみさまは、えがおでいるこに、しあわせをはこんでくださる」って』
永岡くんのお父さんは牧師さま。
だから、あの言葉は『おとうさんがいつもいっている』だったんだ。
思ってもみなかった再会。
本当に、本当に嬉しかった。
そしてそれから、あたしはずっと永岡くんの姿を追うようになった。
ただ、いまの永岡くんはあのときとは少し違っていた。
ちょっと冷たく感じる言葉、笑顔のない淡々とした態度。
だから、みんな永岡くんを誤解した。
でも、違う。




