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うしろの風子  作者: 聖いつき
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2-3  思い出の公園、壊れたスマートフォン(3)

 最後の一段を上り終えると、下見係長は階段を背にして僕の前に立ち塞がった。

 部下は伴っていない。

 さっきの電話の声からすると、あの女性警察官は母さんを相手に別のことをしているんだろう。

「お前、桜台風子の見舞いに行ったそうだな。冷淡なお前が珍しいじゃないか」

「そうですか? 一緒にクラス委員やってるんだから見舞いくらい不思議じゃないでしょ」

「お前、桜台風子のケガがどの程度か確認しに行ったんだろ? かなり心配になって」

「いまの言葉は僕の行動の説明としては間違っていませんが……、『心配になって』が、誰が誰のことを心配しているのかでずいぶん意味が変わってきますね」

「そりゃ、お前が一番よく分かっているだろ」

「さぁ、どうでしょうね。係長殿はどう思われるんですか? 僕の内心を代弁してくださいよ」

「はぁ? ずいぶんとナメた言い方だな」

 そう言って下見係長が目を見開いたとき、僕のずっと後ろのほうで甲高い声が上がった。

「係長ーっ! ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!」

 砂を蹴って駆けて来る足音。

 振り返ると、パンツスーツの諸田巡査部長と、端正なスーツ姿の若い男性警察官が息を切らしてこちらへ走って来ている。

『あーっ、またあの女刑事だ! もー、光平をイジメるなぁーっ!』

「うわっ、風子、それ僕にしか聞こえてないから」

 いつもなら、この時間は犬の散歩やジョギングをする人などの姿がちらほらとあるはずなのに、なぜか今日はまったく人影がない。

 不意に、冷たい秋風が制服シャツの襟をふわりと揺らした。

 下見係長が僕越しに声を張り上げる。

「なんだぁ? 諸田っ! お前は母親からコイツの最近の生活ぶりを聞いていろと言っただろうがっ!」

「……ハァ、ハァ、係長! ここはちょっと私にっ!」

「黙れ! お前に何ができるんだっ」

 すぐ背後で諸田巡査部長の声がした次の瞬間、突然、僕の襟首がぎゅぎゅっと後ろへ引っ張られた。

「うわ」

「光平くんっ? 挑発にのっちゃだめよ? あなたの話は、私がもう一度ちゃんと聞くわっ」

 そう言って僕をぐっと後ろへ押しのけて、下見係長の前に立ちはだかった諸田部長。

 同時に、男性警察官が僕の背中を受け止める。

 係長の顔がみるみる鬼瓦へと変わった。

「諸田……、お前、なんの真似だ」

「係長……、私は……、私たちがすべきことは、まず少年を信じることだと思います」

「は?」

「少年警察の責務は、少年を信じて、ちゃんと向き合って、その違法行為がいかに罪深いことかを理解させ、そうして一日でも早く立ち直らせることのはずです」

「お前、誰に向かって――」

「――ましてや、少年が無実の罪を負わされようとしているのなら、我々は必ずそれを救わねばなりません」

 どうしたんだ。

 諸田部長が僕の味方をしてくれている。

「係長、私は……、私はっ、光平くんが無実であると信じています」

『うわぁ……、この女刑事、「光平くぅん」とか言ってる。はっ? まさかこの人、光平のこと』

「風子、黙ってろ」

 係長が一歩迫る。

「お前ら、さっさとどいて俺にそいつを渡せ」

「係長、私は――」

 諸田部長が肩をいからせてそう発した瞬間、僕の背中に手を当てていた男性警察官が、僕越しにずいぶん優しい声を上げた。

「あのー、係長? なんか刑事ドラマみたいになってますね。僕は諸田部長に賛成なんでこの子を係長に渡したくないんですけど、それって職務上の命令ですか? それとも、私的要求ですか?」

「なんだとっ? ナメてんのかお前っ! お前らふたりともそのクソガキと変わらんな! 職務上の命令だ! さっさとそいつを俺に渡せっ!」

「あらー、それじゃ、地公法の『上司の命令に従う義務』の違反になっちゃいますねぇ。どうします? 諸田部長」

 それを聞いて、諸田部長が顔半分こちらへ振り向いた。

「いいんじゃない? 違反で。光平くん、何も心配要らないわ。この会話、電話の向こうのお友だちにも聞かせてあげなさい」

 ぎゅっと僕に近づいた諸田部長の笑顔。

 柔らかな花の香りがふわりとした。

 よく見ると、すごくキレイな人だ。

 この前とはまったく違う顔。

 あの日、後ろでしっかりとひとつに結ばれていた髪は、今日はゆるやかなウェーブを描いて肩にかかっている。

「えっと……電話って……、あ……、はい」

 そう僕が口ごもって目を伏せた瞬間、突然、イヤホンから漏れたジャリジャリという激しい音。

『もおぉぉぉーーーっ! なにデレデレしてんのよぉぉぉ!』

「うわっ」

 思わず耳を押さえると、勝手にスピーカーモードになったスマートフォンから風子の声が響いた。

 思わず画面を見る。

 同じく勝手に自撮りになったカメラ画面では、スキーのジャンプ台みたいに斜めになった眉を上下させて、真っ赤な顔の風子がわーわー言っていた。

「な、なに怒ってんだよ」

『もうっ! 光平っ! あたしにはぜんぜんそんな顔しないくせにぃ!』

「なんなんだ」

 その風子の叫びが再び広がった瞬間、諸田部長が急に視界から消えた。

「きゃっ!」

 そして僕の眼前に迫ったのは、諸田部長を押しのけて迫る下見係長の鬼の形相。

「きさまぁ! 誰かにわざわざこの会話を聞かせてるのか! なんてガキだっ! その電話をよこせっ!」

「なにするんだっ!」

「電話を切れ!」

 むんずと掴まれた、僕の右手首。

 同時に諸田部長が左から割って入った。

「係長っ、やめてくださいっ!」

「うわっ!」

 突然、浮き上がった僕の左足。

 引っ張られた僕の右手には、真っ白なスマートフォン。

 下見係長の顔が左に流れると、その向こうに公園出入口の階段が見えた。

 釣られて出した右足は、もう階段を踏み外している。

 一瞬だけ、男性警察官の手が背後から僕の肩を掴んだが、その手はすぐにするりと遠ざかった。

 諸田部長に引きずられて、バランスを崩して倒れる係長。

 相前後して、その手から解放された僕の右手首。

 次の瞬間、足元に急勾配で下っているコンクリートの階段が見えた。

 もう、僕の体はその上に飛び出している。

 手から離れて、宙を舞うスマートフォン。

 それを掴まえようと思わず手を伸ばすと、ゆっくりと体が回転した。

 一瞬見えた、夕暮れの秋空。

 キレイな空だ。

『光平っ!』

 聞こえた、風子の声。

 同時に背中が暖かくなって、懐かしくて優しい香りがぎゅっと僕を包み込んだ。

 風子だ。

 風子が後ろから抱きしめてくれている。

 なぜか、そう思った。

 そしてすぐにゴツリという鈍い音が響いて、永遠にも思えるほどに景色が暗転した。

 感じた、アスファルトと砂の匂い。

 じわりと目を開くと、顔のすぐ横を赤い液体がゆっくりと流れていた。

 その液体の先には、無残に画面が割れている僕のスマートフォン。

 それからまた目の前が暗くなって、僕の意識は遠くへと運ばれていった。


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