2-2 ふたりが語る永岡光平(3)
「今日は愛の好きなホワイトシチューよ? いっぱい食べてね」
父さんも母さんも、いつもよりずいぶん饒舌だ。
普段は僕も父さんもほとんど喋らないから、いつも夕食の時間はしんとしている。
こんなに楽しい夕食は本当に久しぶり。
「主よ。愛をここにお連れ頂きましたあなたの祝福に感謝いたします。愛? 病院では長い髪を洗うのは大変だろう? 切らなくていいのかい?」
「うん。お父さんお母さんが許してくれるなら、愛はこのままがいいな」
「そうか。 愛がそうしたいのならそれでいいよ?」
楽しい団らん。
あと何回、こうやって愛を囲んで楽しい食事ができるんだろうか。
愛の病院は、この辺りでは一番大きな総合病院。
交通事故などの負傷者が最初に運ばれる救急病院でもある。
実は、あの『病院の風子』が入院しているのも、同じ病院だ。
夕食の間、僕はすっかり『うしろの風子』のことを忘れてしまっていた。
スマートフォンは二階の机の上に置いたまま。
食後、愛と楽しく話していた僕は突然そのことを思い出して、ぬるくなったコーヒーの残りをパッと飲み干した。
「愛? また明日、たくさんお話しようね?」
愛におやすみを言うと僕はいつもの僕に戻って、それから少し早足でトントンと階段を駆け上がった。
本来の愛の部屋は、僕のとなりの部屋。
でも、今回の帰宅の間は、ずっと一階で母さんと一緒に寝るらしい。
「風子のヤツ、ほったらかしたからちょっと怒ってるかもな」
そう独り言を言ったあとで、こんなことは前の僕なら思いもしなかっただろうなと少々笑った。
いつの間にか、風子がそばにいるのが当たり前になっている。
いつまでこの状態が続くんだろう。
あれから、謎解きはまだ中途半端のまま。
僕とハルダの見解は、『原因は不明だが、突然、僕のスマートフォンの中に風子とそっくりの思考や言動をするAIプログラムが仕組まれた』というものだけど……、特殊なアクセス権限が設定されているのか、どう解析してもその関連ファイルを見つけられないでいる。
鍵を握っている『病院の風子』の意識もまだ戻っていない。
「お待たせ、風子」
『うぇーい』
「ご機嫌ナナメだな」
『べつにぃ。愛ちゃん、かわいいね』
「そう思うか?」
『光平、ああいうタイプが好みなんだ』
愛が好みのタイプ?
まぁ、妹としても女の子としてもかわいいと思うけど、好みのタイプかと聞かれると……、ちょっと違うかも。
「それは見た目の話だろ? 愛の見た目はすごくかわいいって思うけど、僕は顔かたちだけで好きにはならないんだ」
『へぇー。えっと……、いま、好きな人っているの?』
「え? 残念だな。それは公開不可の極秘情報だ」
『なんですとー? ちょっとだけ! ねぇ、ヒント!』
「うるさいの。さ、課題やんなきゃ」
『もー、いいじゃん。ちょっとくらいー!』
トントン。
風子の声の残響がまだイヤホンの奥に残っていたとき、不意に僕の部屋のドアがノックされた。
慌ててスマートフォンの自撮りカメラを終了する。
「あ、えっと、母さん? ちょっと電話中」
そう声を上げたあとの、数秒の無言。
なんだろうと思って立ち上がり、僕はそっとドアを開いた。
「兄さん」
愛だ。
シャワーを浴びたのか、やや濡れた髪にピンク色のパジャマ姿。
その上に白いカーディガンを羽織った愛が、ちょこんと廊下に立っていた。
「どうしたの? ひとりで大丈夫なのか? 母さんは?」
「大丈夫。今日はずいぶん具合がいいから」
「そう。まだお話足りなかった?」
「うん。兄さんにちょっと聞きたいことがあって」
「そっか。じゃ、もうちょっとだけね」
そう言って、僕は愛を部屋に招き入れてベッドに座らせると、僕も椅子をベッドの方へ回転させて腰掛けた。
愛がふわりと僕の部屋を見回している。
「どうかした?」
すーっとシーツを撫でながら、ベッドの上に視線を置いて柔らかく言葉を返した愛。
「兄さん……、なんか、前と変わったね」
「変わった? そうかな」
「なんだか、前よりとっても穏やかになった」
「穏やか?」
「うん。すごく優しい目になった。もしかして、大切にしたい人ができた?」
「え? そう……だね。愛のことはいつも大切にしたいって思ってるよ?」
「違うの。愛じゃなくて」
愛はそう言ってゆっくりと顔を上げると、その美しい瞳を真っ直ぐに僕へ向けた。
「ねぇ、兄さん。その、後ろに居る女の子、だぁれ?」
「えっ?」
一瞬、息が止まる。
スマートフォンを持つ手が机に触って、コトリと小さな音を立てた。
愛は満面の笑みだ。
『な、な、な、なんですとー?』
次の瞬間、突然、スマートフォンがスピーカーモードに切り替わって、飛び出しそうな風子の声が部屋に響いた。
「うわっ、突然でかい声出すなっ!」
『だってぇ!』
「ちょっと黙ってろ! ……ええっと、愛? この子が見えるのっ?」
「うん、すごくかわいいね。兄さんの彼女?」
そう言った愛はちょこんと肩をすぼませながら、首を傾げてゆらゆらとゆらめく瞳を僕の左後ろの空間へと向ける。
『あっ、あたしがかかか、彼女っ?』
「い、いや、突っ込むとこはそこじゃないだろっ」
『光平っ! あたし、妹ちゃんと、おっ、おっ、お話ししたいっ!』
「ちょ、ちょっと落ち着け、風子」
「ふぅん、フウコちゃんて言うんだ。かわいい名前」
この異常な現象に、全く驚いた様子を見せない愛。
スピーカーからは、風子がキャーキャーと喜んでいる声が聞こえている。
これはとんでもなくでかい検証材料だ。
初めて、このスマートフォンを通さずに風子の姿を見ることができる者が現れたんだから。
もしかしたらこれがきっかけで、この『うしろの風子』の謎が解けるかもしれない。
外はもう満天の星空。
僕は高鳴る胸の鼓動を鎮めるようにゆっくりと深呼吸しながら、『うしろの風子』を見つめる愛の瞳に、いつの間にか吸い込まれそうになっていた。




